ああ君にゆだねてしまいたきことの多けれどビールたらふく
飲めり 駒田 晶子
恋をすると、自分らしさと女らしさの間で迷うことがある。これは多分、男性にはない迷いだと思う。ふだんならぱきぱきと主張して決断するのに、そのことにためらい、相手の意向を確認し、できれば相手の望むようにしたくなる。それは「女らしさ」というよりは、相手を喜ばせたいという心理なのかもしれない。
この歌の「ゆだねてしまいたきこと」には、「今日、なにを食べる?」や「今度の旅行、どこに行く?」から「結婚したら仕事はどうする?」「親との同居、どうしよう?」まで、二人で決めるべきさまざまなことが含まれているのではないだろうか。選択をまかせる、というのではなく、相手を喜ばせたい一心で「あなたが決めて」と言いたくなる心理が、女性にはある。
この歌では、恋をした作者が「ゆだねてしまいたきこと」の多さに圧倒されそうになりながら、ぐいぐいとビールを飲んでいる姿が、愛らしくも頼もしい。缶ビールなんかでなく、分厚いガラスのジョッキで飲んでいるようなイメージである。何でも恋人が望むようにしたいという、しおらしい、いわゆる「女らしい」気持ちもあるのだけれど、ビールがおいしくって、彼女は「雄々しく」ジョッキを傾けるのである。
「たらふく」という言葉がいい。私は二十代前半のころ、社内報に職場の行事報告を書いたことがあった。刷り上がった社内報を見ると、皆でバーベキューを食べる場面に、デスクが私の知らない間に「たらふく」という語を補っていた。「自分は絶対に使わない言葉なのに」と、すごく悲しかった。
なぜ「たらふく」を使わないか――若かった私は「たらふく」を女らしくない、品のない言葉だと思ったのである。愚かだった。
恋する若い女性が、あれこれ悩みながらもビールを「たらふく」飲む。何てすてきなんだろう、と思う。ジョッキをたくさん空けているうちに、「これだけは、ゆだねちゃダメね」と思って、恋人にちゃんと自分の意見を伝えられるかもしれない。自分らしい「たらふく」を大事にしたい。
☆駒田晶子歌集『銀河の水』(2008年12月、ながらみ書房)



