
災害を遠くいためばその余震しばしば届きわが家揺るる
秋葉 四郎
東日本大震災のあと、しばらく仕事が手につかなかった。テレビのニュース画面を見ていると、胸が詰まるように苦しかった。自分の言葉がとても無力に思え、文章も短歌も書けなくなった。何だかもうブログもやめてしまおうか、なんていう気持ちにさえなった。
けれども、被災した人たちのことをただ思うだけでは何も変わらない。先週、地元のお母さんたちが被災地に送る子ども用の衣料品と絵本を集める活動を手伝って、少しだけ心が軽くなった。たった2日間だけのボランティアだったけれど、自分はこういうことがしたくて会社を辞めたんだっけ、新聞記者の仕事は好きだったけれど、どんな活動についても常に傍観者でいることが嫌だったんだ、と思いだした。1人ひとりのできることは小さいに決まっている。それを集めることが大事なのだ。
運び込まれる衣類にしみやほつれがないかどうかチェックしながら、持ってきてくれた人に今回の趣旨を説明したりお礼を言ったり、待っている人の列に呼びかけたり……結構忙しかった。そして、いつも一人でパソコンに向かって仕事をしている私にとっては、「本当に」働いたという実感が持てたひとときでもあった。やっぱり体を使うことは大事。
絵本については、まだ受け入れ先の状況が整っていなくて、後日市内のフリーマーケットで販売し、売上を義捐金として送ることになった。家にある本を精選して持っていったので、ちょっぴり残念だが仕方ない。また時間が経てば、絵本を送る機会もあるだろう。自分が被災したときのことを考えたら、本のない生活は実につらいと思う。大勢の人と寝起きを共にする生活の中でも、本があれば束の間でも別世界に遊ぶことができる。避難所生活が続く人たちのために、「避難所文庫」みたいなものがあれば喜ばれるのではないかな、と考えている。電気のないところでも、本はいつでも開くことができる。
この歌の「余震」は、実際の余震のことだろうが、いろいろな影響と取ってもよいと思う。今回の大震災の余波は首都圏にも広がっており、穏やかな日常やこれまでの価値観といったものが揺れている。被災地の悲しみに寄り添いつつ、何か行動したいと願うばかりだ。
☆秋葉四郎歌集『東京二十四時』(短歌新聞社、2006年8月)