2011年06月24日

台風

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  声を台風に飛ばされながら笑う友 背後はやけに広々として
                      花山 周子

 
台風5号が石垣島に近づいてきた。前回、2号が石垣に接近したときには東京にいたので、今度こそ(?)と張り切っているが、規模としてはあまり強くないようだ。
 マンゴーやパイナップルなど、農作物のことを考えると、なるべく風雨が強くないよう、祈るばかりである。わが家のバナナも、ようやく実がついたばかりなので、何とか持ちこたえてほしい。
それにしても忙しい。いろいろな仕事を引き受けすぎたのが原因である。昔から自分はそうだったなぁ、と反省するばかり。断れなくて引き受けるのではなく、その仕事が面白そうで、他の人にはさせたくなくて、どんどん引き受けてしまうのだから、単なるお調子者である。
 たくさんの締め切りが迫ってきてパニックに陥りそうになったとき、この歌のような豪快な人がいると、とても嬉しいだろう。こんな人は、言葉よりも先に体が動く人だ。私もそうありたい――ということで、相棒が庭から運びこむ鉢植えを、私もせっせと室内に敷いたブルーシートの上に並べるのであった。
 風の音が強くなってきた。気圧計はいつも1010hPaくらいを示すのだが、6月24日19時現在は990hPaを指している。さて、夕飯にしなければ。

☆花山周子歌集『屋上の人屋上の鳥』(ながらみ書房、2007年)
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2011年06月17日

やすたけまりさんの歌集

『ミドリツキノワ』

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 「不思議、大好き」というコピーは、本当に素敵だったと思う。子どもも、おとなも、「不思議」が大好きだ。「不思議」とは、センス・オヴ・ワンダーであり、文学にも科学にも必要なものだと私は思っている。

 分子ひとつの決意はいつも正しくて金平糖の角がふくらむ

 「やすたけまり」という、ひらがな書きの名前の歌人は、とてもやわらかい言葉で「不思議」を詠う人だ。この金平糖の歌も、すっと読めてしまうけれど深いものを秘めている。
 寺田寅彦の随筆に「金平糖」という一篇がある。金平糖の製造過程において、角のような突起が生じる物理的条件をあれこれと考察した内容だ。実のところ、金平糖の角ができるメカニズムはまだ完全には解明されておらず、今もいろいろな研究が続けられている。
 この歌の「分子ひとつ」の擬人化は決して甘いものではない。私たちはその「決意」の堅固なこと、美しいことにうっとりさせられる。見えない力によって砂糖の結晶が突起を伸ばす現象の、何と不思議なことだろう。
 こうしたセンス・オヴ・ワンダーは、彼女の歌の本質だ。

 地球ではおとしたひととおとされたものがおんなじ速さでまわる
 ながいこと水底にいたものばかり博物館でわたしを囲む
 なつかしい野原はみんなとおくから来たものたちでできていました
 

 「おとしたひと」「おとされたもの」は、地球外から見るなら「おんなじ速さでまわる」存在である。「ひと」も「もの」も「おんなじ」であると見るまなざしに魅了される。博物館において「わたしを囲む」のは、化石標本だろう。化石は、海や湖だったところに生物の死骸が沈み、その上に泥や砂が堆積した後、長い歳月を経て出来たもの、つまり「ながいこと水底にいたもの」なのだ。「なつかしい野原」には、セイタカアワダチソウのような外来種の雑草ばかりが生えていた。そのことをおとなになって発見すると、何か郷愁と悲しみが入り混じった奇妙な気持ちを味わう。

 ニワトリとわたしのあいだにある網はかかなくていい? まよ
 うパレット
 本棚のなかで植物図鑑だけ(ラフレシア・雨)ちがう匂いだ
 凍らせた麦茶のなかにもっている ゆがんで溶ける水平線を


 出版されたばかりのこの歌集には、「幼ごころ」がたっぷりと詰まっている。幼ごころというのは幼稚なものではない。真実をまっすぐ見つめるまなざしを持ったものだ。センス・オヴ・ワンダーに満ちた世界を描き出した、この歌集がたくさんの人に届きますように。

 ☆『ミドリツキノワ』(短歌研究社・2011年5月、1700円)


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2011年06月10日

ブリキ

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 特急券を落としたのです(お荷物は?)ブリキで焼いたカステイ
ラです             東 直子


 お菓子の型というものは、何となく持っているだけで楽しい。いつか作るケーキやゼリーが目に浮かんで、心が浮き立つ。
 型の素材はステンレスや銅などいろいろだが、鉄にスズをメッキ塗装したブリキ製のものは最近ほとんどないようだ。「ブリキ」という言葉には、何ともいえないノスタルジーと温かみがあって、ほんわかさせられるのだけれど。
 このところ、稲垣足穂のことを調べているのだが、次のような一節に出会って、東直子さんの歌を思いだした。

 「お月様が出ているね」
 「あいつはブリキ製です」
 「なに ブリキ製だって?」
 「ええどうせ旦那、ニッケルメッキですよ」(自分が聞いたのはこれだけ)
         (『一千一秒物語』の「ある夜倉庫のかげで聞いた話」)

 これは「お月様」がブリキ製だといっているのだが、私は東さんの歌のイメージから、どうしてもブリキの型で焼いたホットケーキのような月を想像してしまうのだった。
 写真は、先日母から送ってもらった型。石垣島のスーパーや百円ショップではどうしても見つからなくて頼んだ。右側は、「クグロフ」と呼ばれるアルザス地方のお菓子の型らしいが、ゼリーを作ってもきれいだと思う、と選んだそうだ。さて、仕事が終わったらお菓子を作ろうか!

 ☆東直子歌集『春原さんのリコーダー』(本阿弥書店、1996年12月)
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2011年06月03日

卵のような

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  一粒の卵のような一日をわがふところに温めている
                       山崎 方代


 卵が貴重品だったのは、昔の話。今や「物価の優等生」として長く君臨し続けている――と思い込んでいたのだが、石垣島に来て、少し考えが変わった。というのも、いくつものガソリンスタンドで、「たまごプレゼント」という幟がはためいており、ガソリンを入れる度に卵がもらえるのが楽しみになったからである。
 旅行者として来ていたころは、その幟を見ては相棒と「何だろうね、たまごプレゼントって」「卵くれるんじゃないの?素直に理解すれば」なんてのんきに話していた。しかし、こちらに引っ越してきて、スーパーにおける卵(10個入りパック)の価格が200円前後と高いことを知ってからは、「2000円以上ガソリンを入れると卵が4個もらえる」というサービスがすごく嬉しいものに思えてきた。

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 千葉のスーパーでは時々、目玉商品として「1パック99円。お1人様1点のみ!!」とチラシに大きく書かれ、勇んで買いに行っていたものだが、それはあまりに安いような気もしていた。どんどん産卵させられる鶏を思うと、どこか後ろめたい思いがする。石垣島では、大体200円を切ると「おお、安い」という感じで、最安値は128円といったところだろうか。これくらいが普通かな、という気がする。
 「一粒の卵のような」という語にこめられた大切な感じは、もちろん価格のことではなく、卵というある種の全きかたちというものから来ているのだろう。そんな「一日」というのは、どんなよいことがあったのだろう。人に話すと壊れたり損なわれたりするような、そんな面もありそうだ。誰にもみせずに「ふところに温めている」ところが、秘密めいて楽しい。
 卵1個を惜しんで食べる日々、方代の心にちょっと近づいたような気もする。最近では、ホームセンターで50円の「給油券」をもらっても、「あそこのガソリンスタンドは卵をくれないからなあ」「やっぱり卵サービスのあるところで入れようよ」などと話す私たちである。

 ☆山崎方代歌集『迦葉』(不識書院、1985年)
posted by まつむらゆりこ at 11:58| Comment(8) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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