
一粒の卵のような一日をわがふところに温めている
山崎 方代
卵が貴重品だったのは、昔の話。今や「物価の優等生」として長く君臨し続けている――と思い込んでいたのだが、石垣島に来て、少し考えが変わった。というのも、いくつものガソリンスタンドで、「たまごプレゼント」という幟がはためいており、ガソリンを入れる度に卵がもらえるのが楽しみになったからである。
旅行者として来ていたころは、その幟を見ては相棒と「何だろうね、たまごプレゼントって」「卵くれるんじゃないの?素直に理解すれば」なんてのんきに話していた。しかし、こちらに引っ越してきて、スーパーにおける卵(10個入りパック)の価格が200円前後と高いことを知ってからは、「2000円以上ガソリンを入れると卵が4個もらえる」というサービスがすごく嬉しいものに思えてきた。

千葉のスーパーでは時々、目玉商品として「1パック99円。お1人様1点のみ!!」とチラシに大きく書かれ、勇んで買いに行っていたものだが、それはあまりに安いような気もしていた。どんどん産卵させられる鶏を思うと、どこか後ろめたい思いがする。石垣島では、大体200円を切ると「おお、安い」という感じで、最安値は128円といったところだろうか。これくらいが普通かな、という気がする。
「一粒の卵のような」という語にこめられた大切な感じは、もちろん価格のことではなく、卵というある種の全きかたちというものから来ているのだろう。そんな「一日」というのは、どんなよいことがあったのだろう。人に話すと壊れたり損なわれたりするような、そんな面もありそうだ。誰にもみせずに「ふところに温めている」ところが、秘密めいて楽しい。
卵1個を惜しんで食べる日々、方代の心にちょっと近づいたような気もする。最近では、ホームセンターで50円の「給油券」をもらっても、「あそこのガソリンスタンドは卵をくれないからなあ」「やっぱり卵サービスのあるところで入れようよ」などと話す私たちである。
☆山崎方代歌集『迦葉』(不識書院、1985年)