
まな板に胡瓜の車輪走らせて何に急くとう心を知らず
長澤 ちづ
キュウリを輪切りにする度に、この歌を思い出す。そして、何となく楽しくなる。
「厨(くりや)歌」というのは、女性の歌の1つのジャンルであった。いまは男性も魅力的な厨歌をいろいろ作っているが、自分の心境や人生の真理のようなものを野菜や魚介類に託して詠う手法というのは、なかなか味わい深い。
最近すごく忙しくしていて、相棒から「もっとぼーっとする時間を持たないと、いいものは書けない」と叱られてしまった。確かにそうだと思う。一刻も早く食事の支度をしなければ、なんて思っているときに、こんな佳き厨歌はできないだろう。
キュウリというものは、テンポよく輪切りにしていると、どうしてあんなにもコロコロと転がるのだろう。心の余裕がないと「ええい、このキュウリめ!」と苛立つのだが、作者は急くということをせずに、輪切りのキュウリを「車輪」に見立てて面白がっている。
この歌人は私と違って、料理をするときにも心を働かせ、自分の奥深くに潜んでいるものを引き出す名人である。
塩の壜ほがらかにあり容量に合いたる塩を内に満たして
絞れるだけレモン絞った手のひらに怒りの所在稀薄になりぬ
馬鈴薯の断面のごと瑞々と妬心抱きぬ 若さは無謀
私はこうした厨歌をこよなく愛する。塩の壜に満ち足りた喜びを見出し、レモンを力いっぱい絞る充実感に怒りを忘れ、じわじわと水分の滲むジャガイモに「妬心」を思う余裕……。詩は暮らしのどこにでもあるのだと、改めて思う。日々を豊かに過ごしたい。
☆現代短歌文庫『長澤ちづ歌集』(砂子屋書房、2010年)