2012年07月13日

電信屋

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 先日、石垣市内で、日本インターネットプロバイダー協会(JAIPA)の主催する「沖縄ICTフォーラム2012」が開催された。「スマートフォン・SNSの安全安心な活用について」「インターネット規制についての国際的な動きとその危機」といった議題に交じり、「明治政府の南西諸島への海底ケーブルの敷設について」という一枠があり、とても面白かった。
 日清戦争後の明治政府にとって最も大きな課題は、欧米列強に対抗するため、新たに統治下に入った台湾と日本本土を結ぶ通信網の構築だったという。九州〜沖縄〜台湾を結ぶ海底電信線の敷設という国家的プロジェクトが成し遂げられた際、石垣島にも海底電信線陸揚げ施設が建てられた。
 これが実は、地元で「電信屋」と呼ばれる施設である。わが家から車で10分余りのところにあるのだが、島の住民にも知らない人が多い。鹿児島から台湾までケーブルをつなぐうえで、石垣島は重要な中継地点の1つであり、陸揚げ施設は第二次世界大戦時に米軍の攻撃目標ともなった。1897年に造られた建物には空爆を受けた痕が残るものの、今もしっかりと建っている。

  旧日本軍の電信施設があるといふこの騒ぎ止まぬ穂波のむかう
  電信屋とふ廃屋ありて煉瓦壁に弾痕のくぼみ残るいくつか
                       渡 英子


 上記の歌が収められている歌集『夜の桃』の冒頭の一連は、「電信屋」というタイトルである。そして、最初の一首には「石垣市崎枝」という詞書が付けられている。歌集の出た2008年、私と相棒は石垣へ移り住む計画を着々と進めていたから、「崎枝」という自分にとって特別な地名がこの歌集に出てきたことに、ひどく驚いた。
 それにしても、今から100年以上も前から、通信技術は軍事や経済関係において重要なものと認識されていたのだなあ、と感心する。インターネット時代になって、ケーブルの中身は銅線から光ファイバーになったが、海底線としての基本的な構造や技術は継承されている。琉球の歴史と文化ばかりが沖縄ではない。現代史においても、かなり沖縄は面白い。

   *渡英子歌集『夜の桃』(砂子屋書房、2008年12月刊行)
posted by まつむらゆりこ at 16:07| Comment(5) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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