
『さくらあやふく』
いじめの問題を考えるたびに、学校の先生の大変さが思われてならない。メディアでは責任逃れしたがる教師ばかりが糾弾されるが、現場には心身をすり減らして生徒たちと向き合っている人がたくさんいる。
ターゲット変へていぢめを繰り返す深き根雪を心にもつ子
いかにして育てるべきか惑ひをりいぢめをしつつ試合に勝つ子
班長の女子を容易に泣かせたりヘラヘラしつつ針のごとき子
作者は岩手県の公立中学校教諭である。いじめられている子の悲しみや悩みを取り上げた歌は何度も読んだことがあるが、私はこの歌集で初めて、いじめる子を見つめる歌というものに出会った。
一首目の「根雪」という言葉には、深い人間観察が表れている。その子の抱える重苦しいかたまりを思いやる気持ちがしんしんと伝わってくる。二首目からは、スポーツが得意な活発な生徒像が浮かび上がる。もしかするとクラスで中心的な存在なのかもしれない。「ちょっとした指導で、この子はいじめる側でなく、いじめをなくそうとする立場にだってなれるのではないかしら…」と思い惑う作者なのだろう。三首目の下の句には、かすかな嫌悪感、恐怖感が滲むだろうか。しかし、作者はこの子も否定はしていない。
この三首がいずれも「〜〜子」で終わっているのは、修辞に凝る余裕がなかったということではないと思う。作者は、この子たちのありように余計なコメントを付け加えたくないのだ。
こんなふうに一人ひとりの生徒に心を砕いている先生たちが、職場の上司から理不尽な指示を受ける。
「いぢめとふ言葉使ふな」上からの指示を拳を握りつつ聞く
現場の教師が対面するのは、いじめだけではないことも思う。さまざまな家庭環境があり、さまざまな性格の子がいる。
人を恋ふこころどうにも出来ぬ子がリップクリームを盗む放課後
「つまらない遠足でした」と書いてくる日記顔面に水をかけらる
注意せし我をにらむ子の目の奥に潜めるものを読み取れずをり
わがひいき指摘する文にたつぷりとひいきされたき寂しさを読む
教師にも感情というものがあるし、いろいろな限界を抱えている。しかし、それでもやっぱり子どもが好きだという気持ちに、私たちは感動する。万引きして警察から連絡を受けたり、「つまらない遠足でした」「○○さんをひいきしている」などという文章に傷つけられたりしても、この作者は、そこに満たされない思いや「ひいきされたき寂しさ」を読み取る。
授業中反応せぬ子がわが言ひし本借りに来る つくし芽を出す
「こういう本があるよ。先生もすごく好きなんだ」と授業中熱心に勧めても無表情だった子が、その後でむっつりと「先生、あの本、ある?」なんて尋ねてくる。思春期の子どもというのは何と扱いにくく、いとおしい存在なのだろう。「つくし芽を出す」には、作者の抑えがたい喜びがあふれていて胸が痛くなる。
本箱が本を吐き出す部屋の中化粧水濃く瞬時ににほふ
カーナビは知人の宅を不意に告ぐ がれきのみなる道走るとき
岩手郡滝沢村に住む作者は、東日本大震災の大きな揺れを経験した。部活や宿泊研修の引率で、かつて宮古や釜石、陸前高田といった被災地を何度となく訪れた経験もあるという。自身の感情を抑制した歌の数々は臨場感に満ちている。学校のみならず、さまざまな現場に誠実に向き合う作者のまなざしが、本当に美しい。
*山口明子歌集『さくらあやふく』(ながらみ書房、2012年8月刊行)