
『はじまりの樹』
句集や歌集を読み、人に惚れるということがある。なぜか女性である場合がほとんどだ。津川絵理子さんには心底、惚れてしまった。
風鈴を鳴らさずに降る山の雨
ものおとへいつせいに向く袋角
向き合うてふつと他人やかき氷
切り取られた瞬間の、何と生き生きしていることだろう。この人の清新な感覚が捉えた景に、ただただ魅せられてしまう。
俳句は男性的な文芸と言われるが、女性ならではの句というものが確かにある。
綾取や十指の記憶きらめける
群らがつてひとりひとりや日記買ふ
山笑ふ雑巾のみなあたらしく
「綾取」の句は、幼い日から今に至るまでの時間が織り込まれていて、実に味わい深い。また、来年の日記を売るコーナーに人が集まる様子から「ひとりひとり」であることを思う知性の濃やかさに感服する。新しい雑巾の清々しさは、何か藤沢周平や宮部みゆきの時代小説に登場する、凛と美しい女性たちを思い出させる。
そして、この人の愛の句が本当に素晴らしいのだ。
おとうとのやうな夫居る草雲雀
助手席の吾には見えて葛の花
滝涼しともに眼鏡を濡らしゐて
人を愛するなら、こういうふうに愛したい――何だか涙ぐみそうになって読んだ。丁寧に愛し、丁寧に生きる人だけが詠める句だと思う。
捨猫の出てくる赤き毛布かな
飼ひ犬の老ゆるはやさよ鴨足草
深々と伏し猟犬となりにけり
動物の好きな人らしい。どの句にもあたたかみがある。最後の一句、この作者の魂の大どかさというか、作者自身にも理解し兼ねるわけの分からなさのようで、特に愛誦する。
*津川絵理子句集『はじまりの樹』(ふらんす堂、2012年8月刊行)