
若いころ女友達と「年上がいいか、年下がいいか」なんていう議論をしたものだが、今思うと笑ってしまう。いくら自分で「年下の男性がいいなぁ」と思っていたところで、惚れてしまえば前言撤回、後付けの理屈を並べて周囲を白けさせることになるのに、若さとは愚かさである。
そして、人の年齢というものが当てにならないことも、だんだんに分かってくる。何歳になっても夢と理想を追い求める人もいれば、早くから自分の世界を規定してしまう人もいる。また、関係性というのは常に変わるものであり、パートナーに対して妹のように甘えていた自分が、次の瞬間には母のごとく諭しているということもある。
おとうとのやうな夫居る草雲雀 津川絵理子
「草雲雀」は初秋の季語。鈴を振るような鳴き声が美しい、小型のコオロギである。その小さなコオロギと「おとうと」の取り合わせが何ともいえず、胸に迫る。「夫」が実際に作者よりも年下であるかどうかは分からない。むしろ、年下でない方が句の味わいがあるだろう。そして、たぶん作者はいつも彼に対して「弟のようだ」と感じているのではない。草雲雀の鳴き声を聞きつつ、秋の訪れや来し方を思っている今このときに、ふと「おとうとのやう」という思いを抱いた――。相手を包容するような深い情愛の感じられる句である。
兄という親愛に恋は流れ着き寝起きの鼻をつままれている
松村由利子
この歌は、歌集が出たとき山田富士郎さんが書評のなかで取り上げてくださったことで、愛着のある一首となった。自分の歌のよしあしというのは分からなくて、人に褒められて「ほほう」と思うことが多い。
弟と二人きょうだいの私にとって、「兄」は少し憧れの存在である。いろいろ教えてもらったり、かばってもらったりするのだろう。少しいじめられたかった気もする。そういうわけで、ふとした瞬間に「兄さんってこんな感じ?」と思うことがある。このトシになるとあまり暑苦しい愛の歌も詠めず、ちょっと滑稽味を加えたくらいが丁度いい。
現実の弟は六歳下なのだが、随分と頼りがいのある男になり、兄のように思うことが多い。兄も弟も、いいものだ。
*津川絵理子句集『はじまりの樹』(ふらんす堂・2012年8月刊行)
*松村由利子歌集『大女伝説』(短歌研究社・2010年5月刊行)