
日本の童謡というのは、少し特殊なジャンルではないかと思う。幼い子どものために作られた歌であるはずなのに、短調の曲がやたらに多い。何となく、おとなが子ども時代をなつかしんで、自分を慰藉するために作った歌のように思えてしまう。
たとえば、「森の小人」なども、実にかなしげなメロディーが忘れがたい。「森の木かげで どんじゃらほい しゃんしゃん手拍子 足拍子」という出だしは、まずまずリズミカルなのだが、「小人さんがそろって にぎやかに」のあたり、もう泣きたくなってしまうような、ヘンな恐ろしさが漂うのだ。
そんなことを思い出したのも、最近、子どもたちの間で『こびとづかん』というものが人気を博しており、その「こびと」たちの姿がひどく奇妙だからだ。昨今言うところの「キモカワイイ」というのだろうか。「カクレモモジリ」「ベニキノコビト」「リトルハナガシラ」……どれも、少々気味の悪い顔と姿である。子どものころ、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』シリーズや、いぬいとみこの『木かげの家の小人たち』は大好きだったが、このこびとたちには「う〜ん…」と腕組みしたくなる。
しかし先日、この『こびとづかん』のキャラクターたちこそ、「森の小人」のメロディーにぴったりではないか!と気づき、「そうだ、そうだ」と一人で嬉しくなってしまったのであった。
子の食べる一匙ごとのうれしさに茶碗蒸しにはこびとが棲むよ
小守 有里
この歌の「こびと」は、「妖精」と言い換えてもよいのかもしれない。ふだんは食の細い子どもなのだろう。期待以上にぱくぱく食べてくれるのが嬉しくて、作者は茶碗蒸しに潜む「こびと」の力に感謝の念を抱く。一所懸命に子育てしている母親の姿に、ちょっと胸が熱くなったりもする一首である。
人間よりもサイズが小さくて、不思議な力を持っていたり、独特の暮らしをしていたり――。こびとの存在を心のどこかで信じていると、いいことがありそうな気がする。
*小守有里歌集『こいびと』(雁書館、2001年8月刊行)