2013年05月15日

慰安婦のこと

0121morning.jpg

 従軍慰安婦問題について、時々考える。90年代の前半、元慰安婦の韓国人女性が2人来日した際、私も取材したことがあった。
 インタビューはとても難しかった。デスクから「彼女たちの話を全部、本当と思うなよ」と言われて、取材に赴いたのを覚えている。国家賠償を求める韓国の団体から吹き込まれた後付けの情報、主張も交じるだろう、ということであった。そして、彼女たち自身が無意識に塗り替えた記憶もあるに違いなかった。誰だって自分が一番大切だ。思い出したくもない悲惨な出来事によって心身が傷ついたとき、そこから回復するためには、記憶の書き換えが必要なのだと思う。自分の物語を語るとき、「騙る」という要素が入るのを誰も責めることはできない。
 来日した元慰安婦の韓国人女性2人は、シンポジウムなど公的な場で非常に淀みなく語った。するすると言葉が紡ぎ出される様子に、どこからどこまでが本当の話なのか、私には分からなかった。だから、通常の新聞記事と違って、すべてをカギかっこの中に入れる形でしか書けなかった。
 そんな中で、「あ、これは彼女の本当の気持ちだ」と思う言葉があった。それは、慰霊祭のために沖縄へ旅立つ慰安婦たちと同行した際、空港の売店で韓国人スタッフが「何か飲みますか? 牛乳とか?」と声をかけた時だった。1人の元慰安婦が顔をしかめて、「牛乳は大嫌い。精液を思い出すから」と言ったのだ。通訳を通じての言葉だったが、大きな衝撃を受けた。そして、これこそ事実に違いないと思って原稿に書いた。
 昨年5月に出版された朝井さとるさんという女性の歌集を読んでいて、次の歌に出会い、とても驚いた。

  語られて書かれて残る 牛乳は飲めないあれを思ひ出すから
                        朝井さとる


 私の記事を読んだ人が、こんな形で20年近くもその痛みと衝撃を共有してくれた――そのことに感激した。もしかすると、他社の記者も記事にしていたかもしれないが、それはどちらでもよい。記録は多い方がいいに決まっている。
 フランス語のhistoire という語には、「歴史、史学」という意味のほかに、「物語、話」という意味もある。起こった事実は1つでも、その人、その国によって作られる物語は異なる。そして、それが歴史というものなのだ。他国と歴史認識を共有することの難しさを改めて思う。

  生臭き牡蠣をずるりと飲み込んで孤立無援の慰安婦思ふ
                        古川 由美


 この歌は、93年に発表されている。20代の作者は、従軍慰安婦問題に割り切れぬ思いを抱きつつ、「ずるりと飲み込ん」だ。「ずるりと」に込められた不快感、もどかしさ、嫌悪感と共に、史実に向き合うしかないのだと思う。


  *朝井さとる歌集『羽音』(砂子屋書房、2012年5月刊行)
   古川由美 「かりん」1993年3月号
 

*拙著『物語のはじまり』はお蔭様で、残部がなくなりました。たくさんのお申し込み、どうもありがとうございました。
posted by まつむらゆりこ at 15:25| Comment(10) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。