
ぴあのぴあのいつもうれしい音がするようにわたしを鳴らしてほしい
読むたびに胸がいっぱいになり、やわらかな気持ちにさせられる。これまでに出会った歌の中でベスト10に入るくらい大好きだ。
そもそも歌集のタイトル『やさしいぴあの』に魅了される。ピアノは私にとって特別な楽器であり、大切な友達だから。きっと作者もピアノが大好きなのだろう、と思う。
弾く人が違えば、同じ楽器でも違う音がする。自分の気分によってもタッチは変わる。「うれしい音」がするのは、弾く人がピアノのことが好きだからであり、その人に弾かれる「わたし」もそれに応えようとして、よい音を響かせる――ああ、こんな解説をするのは実に野暮なことだ。この歌の弾むような思いの美しさ、楽しさを愛の至福と言わずに何と言おう。
初めてこの歌を読んだとき、涙ぐんでしまった。気持ちがとても落ち込んでいる時期だったからだ。「やさしく弾いてくれれば、私もやさしい音を出すのに。私だっていつも『うれしい音』を出したいのに。なのに、なのに……」と恨めしい思いも味わいながら、この歌のひたむきな明るさにうっとりさせられていた。
おとうふの幸せそうなやわらかさ あなたを好きなわたしのような
大好きな二首目。恋をしていたころの自分の気持ちがよみがえる。下の句のまっすぐさがいい。共に暮らすようになると、どうしても「あなたを好きなわたし」が時々どこかへ行ってしまう。けれども、心の底にはちゃんと「あなたを好きなわたし」がいて、「あなたなんか『大っ嫌い!』と思うわたし」を悲しんでいるのだ。
スーパーに行くたびに、この歌を思い出す。島豆腐はけっこう丈夫で、ふるふるとした絹ごし豆腐のようなやわらかさではないけれど、滋味を感じさせるたまご色をしている。
つぶやきは真夜中の雪 ささやきは暁の雨 春になりたい
にんじんの皮は剝かずに切り刻むその断面が春になるまで
サンダルを脱いで走った砂浜の夜までたどり着けますように
詩のある日々の美しさ。人は生きてゆくうえで詩を必要とすること。そんなことを改めて思わされた。この歌集をひらくたびに、私はしあわせになる。
行くことのない島の名はうつくしい 忘れられない人の名前も
シェリー酒がどこの国からきたかとかそんな話題がいいね、深夜は
本棚でぼんやりしてる楽譜から「レ」と「ラ」を抜いてエイサー踊ろう

歌集の章のタイトルも洒落ている。T章は「手のひらが小さいひとのためのエチュード」、U章は「L’ensemble des dissonances」(不協和音のアンサンブル)、V章は「ドルチェ、モルト・エスプレッシーヴォ。」。
T章の冒頭に置かれたロベルト・シューマンの言葉を胸に、今年はピアノを弾こうと思う。「やさしい曲を上手に、きれいに、ひくよう努力すること。ひく時には、誰がきいていようと気にしないこと」
ピアノを弾くことと人を愛することは、たぶん似ている。やさしい曲――日常、をおろそかにしてはいけない。
☆嶋田さくらこ『やさしいぴあの』(書肆侃侃房、2013年11月)