2014年10月30日

フリスク1粒の思い

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 ミント風味の清涼菓子「フリスク」のテレビCMは、いろいろなバージョンがあって、どれにも妙なおかしさが漂う。ちょっとアブナイ感じのものもあるのだが、それだけ売れているのだろうな、と思う。
 だからだろう、若者の歌にも多く登場する。

  福島の雪ではないがFRISKをがりがり嚙んで初校をめくる
                                齋藤 芳生
  プラシーボ効果を狙い「ぱきしる」とつぶやきながら食べるフリスク
                                月原 真幸

 1首目の作者は福島出身の人。この歌は、東京で編集の仕事をしながら、ふるさとの雪を思った場面だ。しんみり懐かしみたいところだろうが、職場は多忙を極め「がりがり」とミント菓子を噛み砕くようなストレスの中で思い返している。
 子どものころ雪のかたまりを口に含んだ記憶がよみがえったのだろうか。心情的には結構つらい感じだが、白い「雪」と「FRISK」の重なり具合が美しい。
 2首目の「ぱきしる」は、うつや強迫性障害などの患者に処方されるパキシルのことだろう。この作者はかつてパキシルを服用していたことがあり、今は薬を飲まなくてもよい状態にまで回復した――と解釈した。けれども、思わぬときに不安やうつ状態に襲われ、「これはパキシル。パキシルなんだから、飲めば落ち着くはず!」と自分に言い聞かせつつ、フリスクを口に含むという場面である。
 プラシーボ効果は偽薬効果とも呼ばれる。人間は不思議なもので、「これは実によく効く薬ですよ」などと言われて服用すると、効能のないものでも痛みや不眠が改善する場合があるのだ。しかし、それはあくまでも他者に渡されて信じた場合であって、自ら「プラシーボ効果を狙い」なんて言うところに、この歌の可笑しさと切なさがある。

  ★齋藤芳生『湖水の南』(本阿弥書店、2014年9月)
  ★月原真幸「短歌研究」2014年9月号、短歌研究新人賞最終選考
   通過作「これはバグではなく仕様です」より
posted by まつむらゆりこ at 09:41| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月23日

赤ちゃん

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 先日読んだ『AIDで生まれるということ−−精子提供で生まれた子どもたちの声』(萬書房)は衝撃的だった。
 AIDは、配偶者以外の提供精子による人工授精のことである。不妊治療としては最も古いものの一つで、技術的な難しさがないため、ある時期まで問題にされてこなかった。卵子の提供や代理母出産に比べれば、倫理的にそれほど問題がないと思われていたのだ。しかし、近年、自分のルーツを知りたいと願う子どもたちの声が少しずつ高まり、生まれてきた子が自分の出自を知る権利について論議されるようになった。
 この本には、当事者である6人の手記が収められている。AIDで生まれた事実をどのように知ったかという経緯や家庭環境は異なるが、ごく普通に両親からかわいがられて育った人たちだ。しかし、AIDについて知ったときは誰もが大きなショックを受け、それまでの人生が瓦解したような気持ちを味わったことが分かる。そのときの驚愕、絶望感は、産婦人科医や倫理学者といった"識者"の推測をはるかに上回るものだった。
 6人の当事者の中には「子どもは親のペットではありません」「私は自分を、人と提供されたモノから造られた人造物のように感じています」という人もいた。自分の始まりに、男女の情の通いあいがなかったことをとても悲しく思ったという声も記されている。「親にずっと嘘をつかれていた」と感じたり、誕生日が来るのが嫌でたまらなくなったりしたケースもある。
 もちろん、誰もがそうではないだろう。親から「どうしても、あなたという存在が欲しかった。そしてあなたを愛してきた」と説明されて、納得できる人もいるかもしれない。けれども、そうでない人もいる。生まれてくる子が、どんな性格で、どんな価値観を築いてゆくか、親は決して予測することができないのだ。「こういうふうに説明したら、きっと分かってくれるはず」というのは、楽観的に過ぎるのではないか。不妊治療を考えるとき最も大事にすべき痛切な声が、この本にはあふれている。

    玉のようなあかちゃんを我は未だ産まず
           桃缶のぬるきシロップをのむ      齋藤 芳生


 三十代の作者はシングルである。「玉のような」という慣用句が、なぜか無惨なものとして響く。産む性として自己を認識しつつ、社会的に「未だ産まず」と見られることのプレッシャー、生きにくさが、どことなく感じられるからだろう。「ぬるき」が効いている。
 こうしたプレッシャーや生きにくさが取り除かれないまま、不妊治療の技術ばかりが進んできたことを思う。医学研究は大切だが、臨床応用については慎重過ぎるということはないはずだ。

  ☆齋藤芳生歌集『湖水の南』(本阿弥書店、2014年9月)
  ☆写真の絵は、林明子『こんとあき』(福音館書店)より
posted by まつむらゆりこ at 18:26| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月12日

猫とわたし

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 わが家に、ものすごく猫にやさしい人がいて、時々「あー、猫に対するくらい私にもやさしくしてほしいのにねぇ」と思ってしまう。落ち込んでいるとき、何だか機嫌が悪いときは、「なんで猫にだけ、そんなやさしーんだよっっ!!」と、猫に対してまで怒りが向く。

  こんなにも猫にはいつもやさしくて母にはたまにつめたいわたし
                        小島ゆかり


 なので、この歌を読んだときには、いつも穏やかな笑顔がチャーミングな小島ゆかりさんでさえ、そうなのか−−と、人間の不思議な心理を少し理解できたように思った。猫は、反論しない、うるさいことを言わない、嘘をつかない。人間を相手にするよりも、心がほっとする存在なのだろう(推定)。何を考えているのか分からないのが少々不気味なような気もするが、何を考えているのか分からないのは身近な人間であっても変わらない。だから、猫の方が安心できる、という心情もあるのだろう(推定)。
 人間というのは、ややこしい生きものであり、近くの人より遠くの人に対する方がやさしくなれたりする。電車の中で会った見知らぬ人に、にっこり席を譲ったその日に、家人にはぶりぶり当たり散らしたり……という妙な行動がそれだ。
 この歌には、「母」へのすまない気持ちが滲んでいる。気持ちのありようは、本人にもどうしようもない部分がある。本当はそこを見たくないのが人情だが、この作者は自分のイヤな面をきちんと見ようとする知性をもっている。そして、「母」の悲しい気持ちを思いやり、自分もまた悲しい気持ちになっているところに、読む者はじーんとしてしまうのだ。

   ☆小島ゆかり歌集『泥と青葉』(青磁社、2014年3月刊行)
posted by まつむらゆりこ at 10:00| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年10月09日

お知らせあれこれ

またまた、更新が滞ってしまいました。
言いわけはいろいろあるけれど、まあ、こまごまとした仕事が多く、いつも締め切りに追われているからでしょう。
まずは、近況報告から……。

新しいエッセイ集が出ました。
子育てをテーマにした歌ばかり集めた、とても愛着のあるものです。

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福音館書店の「こどものとも 年少版」の折り込み冊子に3年間連載していたものに、加筆修正しました。
当初は『お嬢さん、空を飛ぶ』を出して疲弊しきっていたこともあって、「できるだけ省力を図りたい!」「あまり加筆とかしたくない!」という、まことに情けない考えでした。
しかし、たいへんに優秀かつ誠実な編集者から、「ん〜、単行本にするときは、連載時の敬体でなくって、常体できびきびと書いていただいた方がよいのでは」と言われ、心を改めてほとんど一から書き直したのでありました。

私にとって、本と子どもに関係する仕事ができることは最大の喜びです。その意味で、今度のエッセイ集はとても満足感のあるものになりました。
また、別のウェブサイトで、「子ども部屋の本棚」と題する連載もスタートしました。
http://jiyugaoka-clweb.com/
短歌とは関係のない児童文学についてのあれこれを書いてゆく予定です。
ご興味のある方はどうぞご覧くださいね。
感想を聞かせていただければ幸いです。

☆『子育てをうたう』(福音館書店、2014年9月刊行)

posted by まつむらゆりこ at 14:50| Comment(2) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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