ずっとニュースを読んできて、おおよそのことは理解しているつもりだったが、実際に見るとやはり大きな衝撃を受けた。
宜野湾市の高台から市内を見渡すと、市の真ん中に基地が居すわっていることが実によくわかる。基地は市の4分の1もの面積を占めているのだ。オスプレイがたくさん並んでいるのも見える。

今月届いたばかりの、小高賢さんの遺歌集『秋の茱萸坂』に収められている歌を思い出した。
冬の牡蠣にケチャップを振るアメリカの手の上にいる普天間・
辺野古 小高 賢
「茱萸坂」は国会議事堂の南側を下る坂である。官邸前の反原発デモの際に通ることの多い道だ。最後の歌集となった一冊をまとめたのは夫人の鷲尾三枝子さんだが、小高さんのパソコンには既に歌集の草稿とタイトルが入っていたのだという。「あとがき」さえ書けば、もう完全稿だったその原稿が最後に手を入れられたのは、亡くなる三日前だった。
三枝子さんの「あとがきに代えて」によると、小高さんは毎週金曜日、ほとんど欠かさず官邸前のデモに参加していた。言葉の力を誰よりも信じていた彼が、行動することの大切さを自ら示していたのだと思うと胸が詰まる。
歴史の痛みをよく知る小高さんは、ついに沖縄の地を踏むことがなかった。戦後日本の豊かさを享受した世代として、「責任」や「後ろめたさ」をひしひしと感じていたからではないだろうか。それが反原発デモへの参加であり、沖縄への思いの深さだったのだと思う。

辺野古の海は、生物多様性が高く、さまざまなサンゴ、ジュゴンやウミガメなどが棲息している。なぜ辺野古なのか、という思いもあるが、そもそもなぜ「移設ありき」なのか。
小高さん、普天間と辺野古を見てきましたよ、と報告したら、「で、君はどうするの。何も行動しないの?」と言われてしまうだろう。できることは小さくても、何か行動しなければ、と思う。
*小高賢遺歌集『秋の茱萸坂』(2014年11月、砂子屋書房刊)