「<大田美和>が好きなんです」とやわらかく言わねばならぬ夫
婦別姓 大田 美和
人間はかなり幼いころから、メディアや周囲の人々の言動に大きく影響される。久しぶりに若桑みどり著『お姫様とジェンダー』(ちくま新書)を再読していて、そのことをつくづく思った。若桑さんの熱い思いがあふれたこの本は、女性たちがいかに白雪姫やシンデレラといったプリンセス・ストーリーに影響され、いわゆる「女らしさ」に呪縛されているかを検証し、その思い込みからの自由を説いたものである。
私はお姫さまにはそれほど魅了されなかったが、かと言って小さいころからラディカルだったわけではない。それは、母の証言で明らかである。幼稚園児だった私はある日突然、「わたしは、しょうらいアタサキ・ユリコになる!」と宣言したそうだ。本人は全く覚えていないのだが、5歳にして私は、女は結婚するものであり、結婚したら相手の男の姓に変わるものだ、ということを自明と理解していたらしい。当時の幼稚園に「赤崎」「畑崎」といった「アタサキ」に似た姓の子どもはいなかったため、母はそういう名の男が現れはしないかとずっと楽しみにしていたようだが(「アタサキ」宣言を日記に書いておいたくらい)、そういうことにはならずに今に至っている。
それはともかく、その幼稚園児は、小学校高学年になって友達と好きな男の子の姓に自分の名をくっつけてきゃあきゃあ言ったりしていたのに、就職して法律的な結婚をして相手の姓に変わった途端、なぜか急に「やっぱり、これではいかん!」と旧姓で仕事を続けることにしたのであった。そして、上司から「何でおまえは夫の姓に変えないんだ」と詰問されたり、人事部から改姓届を出せと矢のように催促されたりした。
この歌の作者も、きっと職場でそんな局面に立たされたのだろう。「えー、夫婦同姓を基本とする現行民法は時代に合っていない部分があると考えるのでありまして……」なんて言うわけには行かない。複雑な内心を隠し、にっこりと「この名前が好きなものですから」と答えてやり過ごすしかないのだ。
かつて「アタサキ」宣言をした幼稚園児は、その後、離婚したので公私ともに元の名前になり、これからもずっとそれで行こうと思っている。そして、結婚したら男女どっちの姓を名乗ってもいいし、別々の姓で共に暮らしてもいっこうに構わないのだということを、たくさんの子どもたちに伝えられたらいいなあと願っている。
☆大田美和歌集『水の乳房』(北冬舎、1996年刊行)
でも、今は娘ばかりで、ほかに親戚もなくて、「愛着のあるこの姓が絶えるのが残念だから、一人くらい結婚しても養子をもらうか夫婦別姓にして、今のままの苗字でいてくれないかな」って思ってる私。
母は私の苗字が変わるのを少しは寂しいと思っていたのでしょうか。息子がいたから平気だったのかな。
まあ、天国に行ったら姓も名もいらないんでしょうけど(笑)。
とりとめがなくてごめんなさいmm。
記号とはいえ、愛着というのは大事な要素ですよね。
morijiriさん、
おお、市町村合併!
共感を得るには、こういうたとえが有効かもしれませんね。
苗字が縫いこまれた父のコートの裏を見るたび、自分の存在の薄さを思っていました。
「女性は氏でなく名を」というのは、何ともいえないですねえ。
私は離婚したとき、「一生この名前で行く!」と意気込んでフルネームの実印を作りました。今も時々そのときのことを思い出しながら使っています。
『レット・イット・ビー』は私も大好きな一冊です。
なんと言っても、冒頭の一篇「私の中の異文化」には泣かされます。これは『クアトロ・ラガッツィ』の「プロローグ」にも挿入された話ですが、オリジナルのエッセイに比べるとあっさりしています。
「私の中の異文化」にこめられた悲しみの深さ、純粋な美しさを思うとき、これをエッセイ集の冒頭にもってきた編集者の優れた感覚もまた、私を感動させるのです。
父は若い頃に養子に出たので姓にこだわりはなかったようです。所詮人が付けたものだから…
名前も"文夫"ちゅうのは親が名前を考えるのが面倒なときに付けるなまえじゃ…と言ってました。(ちなみに母は文子です)
代わりに自分がつけた羊歯三郎は大事にしてましたね
遺言にいわく、坊主の付ける名前なんかいらん、わしは羊歯三郎じゃ!
ただ自分がつけた息子や孫の名前は気に入ってたみたいです。
私は自分の姓名に慣れるのに20年以上かかりました。
結局だれにでもあてはまる理屈ではなくその名を名乗るようななったいきさつへの愛着の差かもしれませんね
そうですねえ、名前って本当はもっと自由なものなんだと思います。
私も自分の名前、好きかと言われるとちょっと迷います。「ジュン」とか「ケイコ」とか、音のはっきりしたカッコいい名前がよかったなあと思ったりも。「由利子」ってなよなよしてるじゃないですか!
「由利子」って名前、なよなよなんかしていません!
利発で自由で、響きは優しい、いい名前です!
ゆ、り、こ。
ほら、ね。柔らかで、しなやかで、芯の強さも秘めていま~す。
つい、馴れぬコメントしてしまいました。
”ご抗議”嬉しく読みました。
名前とは一生の付き合いですものね!
本当にありがとうございます。
私はBen Jonsonの「It's not growing like a tree」の一節をこよなく愛します。
A lily of a day
Is fairer far in May,
Although it fall and die that night;
It was the plant and flower of Light.
In small proportions we just beauties see;
And in short measures life may perfect be.
一日の百合の花、
五月には更にうるわし、その夜散りて朽ちはつるとも。
そは光受けたる花なりき。
なりふりの小さきものにもまことの美あり、
命は短かけれど全き人もあるなり。
この名訳を書いたのは英文学者の斎藤勇氏です。
「ゆりこ」という名まえを口にするたびこの詩を思い出し、心を強くしています。
「ろこ」こと「百合子」より。
コメントしみじみと読みました。自分の名前は本当は好きなのですが、自分には不似合いかしら、と思ってしまうことがあるのです。もっと優美な、やさしく気高い人でないとこの名前には相応しくないんじゃないかしらん、って。
でも、名づけてくれた親の思いは、Ben Johnson の詩みたいに、はかない存在であってもよりよく生きよ、ということに近かったかもしれません。美しい詩を教えてくださって、ありがとうございました!