『ふたり』
愛の歌ばかりなのに、さみしい気持ちがあふれてくる。愛って何だろう、と切なくなってしまう。作者は夫婦という形についてとことん見つめ、こまやかな表現で「ふたり」の日常を詠っている。それは、人がどうしようもなく「ひとり」であるというところから始まっているのだ。
あひ寄りて暮らすは井戸を掘るごとし言葉届かぬふかき水脈
まつさらなわれに還りてきみと心かよはせたきよ婚七年目
きみのやさしさは知のやさしさと思ふとき樹を抱くごとくかそか
淋しも
「あひ寄りて暮らす」とは、結婚生活のことである。最も近しい存在として寝食を共にするのに、なお言葉が届かないことが多々ある。その深いかなしみは、恐らくたいていの人がひそかに抱いているものではないか。けれども作者は、そのことに絶望しているのではない。水脈を探り当てようと、何年も何十年もかけ、誠意をこめて掘ってゆけばいいのだ。それくらいの忍耐と努力がなくて、どうして人ひとり愛することができよう。
「まつさらなわれに還りて」も、多くの人の共感を得るに違いない。恋に夢中だった頃、自分はあんなにも小さなことで喜び、あんなにもあたたかな心持ちで毎日を過ごしていたのに! いつの間に、こんなふうに図々しくなってしまったんだろう……。
「きみのやさしさ」は、もっと個別な愛が詠われている。作者の夫は、理知的な人なのだろう。妻である作者の欠点や弱さも冷静に見て、夫たる自分というものの責任や役割をわきまえ、「知のやさしさ」から逸脱することがない。作者はそれに対して心から感謝しつつ、少し淋しい。「知」ではなく、もっとわけの分からない、ぼおっとした、ぬくとさが欲しいのではないだろうか。
ときにわれふかく畏れつ声あげて怒ることなき夫の冷静
畏怖とふ言葉口ついて出づ主治医より夫のイメージを尋ねら
れて
わが痛み夫も共有してゐると主治医が言へばふいにさしぐむ
作者はとても繊細な人で、摂食障害に苦しんだ後、精神的な原因で身体のあちこちが鋭く痛む疼痛性障害を患っている。難治性の痛みに苦しんで何回となく入院し、治療やカウンセリングを受ける日々が詠われているが、私は異性を恐れるという感情に、何ともいえない共感を覚えた。男の突然の不機嫌だとか怒りの感情には実に理解不能なものが潜んでいて、思いがけなく遭遇するとわれ知らず萎縮してしまう。それは、親しい人ばかりでなく、駅のホームで酔漢同士のけんかなどを見かけた場合でも同じで、ものすごく怯えてしまう。怒声を聞くだけでもイヤなのだ。
深く愛する夫であっても、自分のどこかに彼を恐れる感情が潜んでいること、それを直視するのは作者にとってつらい事実だったに違いない。三首目で、主治医から「ご主人もあなたの痛みを共有しているんですよ」と言われ、不意に涙ぐんでしまった作者だが、そこには安堵や悔恨などが複雑に絡み合った感情があったと思う。
植物系と動物系とがひとにあり植物系のひとが好きなり
たましひはどこか遠くを旅してるここにゐるのはただの留守番
手仕事はなにか祈りに似てゐたりこころの井戸をしんしんと
降(お)る
淡彩画のような歌がたくさん並んでいて、読むほどに心が穏やかになる。「自分は植物系かなあ、動物系かなあ」なんて考えたり、手を動かしながら遠く心を遊ばせる幸いを思ったりして楽しんだ。作者十年ぶりの第二歌集は、着実な歩みと滋味を感じさせる一冊となっている。
☆関口ひろみ歌集『ふたり』(青磁社・2008年8月、税別2700円)
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どの歌にも惹かれました。本当に繊細な感性をお持ちなんですね。
「知のやさしさ」、「情」ではないんですね。男の人には結構多いかも。。わたしは動物系かもしれないから、作者には嫌われるかな。。「ここにいるのはただの留守番」うーん、とうなってしまいました。「こころの井戸をしんしんと降る」なるほど。。
こう繊細だと生きるのがたいへんだろうな、と思ってしまいました。わたしもかなり繊細だけど。。
多分、センサーと空調機の性能が悪いのでしょう。
ですから、エアコンはここ十年つかってません。
寒くなったら厚着をし、暑くなったら裸になります。
裸になると恥ずかしいので、人前にはでません。
寒いと、ぬくもりがほしくなるので人にあいません。
でも、心に四季のうつろいが、再現できるようになった時、人にあうことができそうな気がします。
あと少し、エアコンの電源は、抜いたままです。
本文を読みながら、そんな事を思いました。
毎週、自分を取り戻すことができる楽しみの金曜日。
きょうは、五輪開幕。
人のセンサーはそれぞれ。繊細さも、いろいろあると思います。いぶさんの繊細さをどうぞ大切になさってくださいね。
ひろしさん、
「心の温度調節」って本当に大変ですよね。私もすぐ冷えひえになっちゃって……(すぐ熱くなるという声も?)。
毎週、金曜日を楽しみにしてくださっている由、とても嬉しくなりました!
でもやっぱり「ひとり」よりいいな。
まあ、「ふたりの寂しさ」を知らないなんて、あなたは素晴らしく幸運な方だと思いますよ! どうぞいつまでも仲良くしてくださいね。
じっと見ていると
二本の木が
なぜ涙ぐんでいるのか
よくわかる〜〜」
寺山修司さんの一節を思い出しました。
若かったなぁーあの頃・・・
「二本の木」の淋しさ、うーむ、ひたひたと迫ってきますね。『ふたり』はまさに、その淋しさを詠った歌集です。
しばらくお会いしていない関口さんのことを思い、辛くてしかたありませんでした。なんとかならないかと思いますけれど、祈るばかりです。
ブログに少し感想を書きました。松村さんの行き届いた評に救われた気がします。
淋しいという字にはそういう意味があったんですね。
ところで、こちらの「寂しい」にはどういう意味があるのでしょう?
僕はどちらかというと、こちらの方が好きなんですけど、、、。
関口さんは痛みとうまく付き合っていらっしゃるようです。
おおまつさんのブログもしみじみと拝見しました。私のブログをご紹介くださり、ありがとうございます!
けんちゃんさん、
「寂」は深い孤独感、「淋」は感傷を含んださみしさ、というようなイメージを抱いています。漢字の成り立ちについては調べてみなくっちゃ……。
でも、作者と夫の間に、たぶん言葉では交わしてないだろうけど、
細やかな感情が通い合うことが想像できます。「植物系のひとがすき」たとえれば、天然素材で作った草木染の服を何年も着て、体がなじんでいく、きっとそういう優しい関係なんだと思います。
本当にそうですね。言葉でなくて通いあうものがきっとあるでしょうし、どんなに仲のよいカップルであっても寂しさはあるのです。
「天然素材で作った草木染の服」、いいですね!