2008年08月22日

小黒世茂さんの歌集

『雨たたす村落』

KICX1980.JPG

 読んでいると、鬱蒼と茂った山の中を歩いているような気分になる。それもそのはず、作者は熊野の山や川に「いつも呼ばれる」という人なのだ。ちょっと怖かったり、わくわくしたり、ともかく楽しい歌集である。

  地図になき瀧を求めて源流へなんの瘴気か背骨が冷える
  綿飴かい うんにや、ひとだま 石垣をふはり越ゆるはほんに
美味さう
  榁(むろ)の木の根方の洞にするすると皮膚脱ぐ娘 のぞくな
のぞくな


 地図にも載っていないような滝を探す一首目は、下の句まで読んだ途端にぞくぞくさせられる。滝は聖なるものだから、心得のない者が軽々に山へ踏み入ってはいけないのだ。でもこの作者は大丈夫、二首目の「ひとだま」を「ほんに美味さう」と言っている存在の声が聞こえるほどの人だから。安珍・清姫伝説の熊野で、「するすると皮膚脱ぐ娘」をリアルに見せる三首目も見事である。「のぞくなのぞくな」が効いている。

  気弱なる鬼いつぴきに酒呑ませ弓張り月を待つ長夜かな
  夜気ふかきももひろちひろの岩かげに蟹どもそろそろ手脚動
かす


 作者は闇を知っている人だと思う。自然の濃い闇を知るということは、たぶん人の抱える孤独の闇も知ることにつながるのではないだろうか。「弓張り月を待つ長夜」も「ももひろちひろの岩かげ」も、触れればねっとりとしているような闇であろう。この二首のように、作者の詠いぶりはまことにのびのびとしていて韻律がよい。

  とりかへしのつかぬ晴天 籤引きでおまへミミズに生れて来しか
  糸とんぼ返し縫ひして沼しづかこの遊星にふはりと立てば
  今日われはヒト科ほどかれ三輪山へ香(かぐ)の木の実の種お
とす鳥


 小動物に向けられる作者のまなざしは、とてもあたたかい。そして、それは高いところからのまなざしではない。たまたま人間に生まれてきた自分と、この小さな生きものたちと何の違いがあろうか、という思いが感じられる。乾いた土の上で苦しむミミズは、ひょっとしたら自分だったかもしれないし、ヒト科であることをほどかれたら、空を飛びながらぷりっと糞を落とす鳥になれるのだ。二首目の「返し縫ひ」という比喩は、糸とんぼの「糸」から導き出されたものだが、本当に美しい。
 澄んだ空気に満ちた熊野を、たっぷりと味わえる一冊。大きな自然に抱かれるような幸福感と共に読み終えた。

 ☆小黒世茂歌集『雨たたす村落』(ながらみ書房・2008年8月、2730円)


 ☆お知らせ  「短歌研究」9月号に、「クアトロ・ラガッツィ」30首が掲載されています。
敬愛する若桑みどりさんへ捧げるつもりでつくった連作です。

posted by まつむらゆりこ at 09:18| Comment(17) | TrackBack(0) | 歌集・句集の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
わあ☆なんか、歌を詠む男性ってどんな感じなんだろう、って思っていたけど…すごくおもしろそう(笑)。女性には詠めない歌ね。圧巻☆
Posted by Lucy at 2008年08月22日 17:55
Lucyさん、
もしもーし、小黒さんは女性ですよ。
しかし、歌は性なんて軽く超えていて、種さえ超えているのびやかさがあります。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年08月22日 18:26
とても神聖な感じがする作品ですねぇ。
ゆりこさんのご案内にあるように、
「澄んだ空気に満ちた熊野を、たっぷりと味わえる」のと一緒に、
スピリチュアルの世界にも触れられそうですね。
Posted by KobaChan at 2008年08月23日 16:34
素敵な歌!!
精霊の見える方かしら??
この夏も子等と山や海へと、自然を満喫しました。
子等のためにと出かけるのですが、大人が癒され自然への畏敬の念に触れて帰ってくるのですが・・・!!
満天の星空の下、灯りを点けずに森を行けば都会と違い、空が明るく樹木のシルエットを浮かび上がらせてくれます。
そんな中、人間ではない何かのおしゃべりが聞こえてきそうでしたよ。
小黒さんてどんな方なのかしら、と興味をそそられます。
Posted by あつこ at 2008年08月23日 20:29
こんばんは、熊野の自然や小動物と一体になってるような小黒さんの一連ですね。
現代人が忘れてしまった感覚です。
でも、安珍・清姫・道成寺は怖いな^_^;

短歌研究の作品拝読しました。
遣欧使節が背負ったものについて考えさせられました。10代で世界を知った彼らと、若くして世界的スターとなったビートルズ、
その後の長い人生をどう生きた(生きる)のか。

幼くして賢いと長生きはできぬ。
「リチャード三世」より
Posted by SEMIMARU at 2008年08月23日 21:33
いいですね。わたしは自然が好きなので、心惹かれます。アニミズムと言ってしまえばそれまでですが、頭の中で考えて作った歌と違って、リアルです。蟹の歌もミミズのも、鳥のも好きです。作者は女性なんですね。わたしもてっきり男性かと。。こういう歌を作る女性、どんな方でしょう。興味をひかれます。この歌集、思い切って奮発しようかな。。
Posted by いぶ at 2008年08月23日 22:12
はいはーい♪

…じゃなくて!!

えーっ!!!仰天!!
すっかり山男の歌だと思いこみました!!
そう言われて読み返してみても、やっぱりそのへんの優男よりよっぽどたくましくて、土くさくて、男性っぽいユーモアがあって、男っぽい感じがする(笑)☆
Posted by Lucy at 2008年08月24日 13:13

「弓張り月」≒邪気を払う真夜中にのぼる下弦の月
「ももひろちひろ」≒百尋千尋(測りにくいほど深いこと)
 でしょうか?! 知りませんでした。

月に望月の他に弓張り月・立待月・居待月・寝待月などの美しい名前があり、また、大人が両手を一杯に広げた長さが「ひろ(尋)」、360歩は1反、1反からは米1石(1年間に自分が食べる量)などと「身体尺」を知りました。

そして、「安珍・清姫伝説」が諸説あること、熊野のこと、少し知りました。
その過程でさらに様々なことを知りました。知る楽しさの味の素をたくさんいただきました。
Posted by ひろし at 2008年08月24日 23:27
皆様、
23日から「かりん」の全国大会で、仙台の秋保温泉へ行っておりましたので、お返事が遅くなってすみません。

KobaChanさん、
「スピリチュアル」という語、まさにそうですね。

あつこさん、
自然の教えてくれるものの大きさは本当に計り知れないです。

いぶさん、
この歌集はお薦めです(このブログでは、私が「買って損はしない」と思ったものを厳選してご紹介しています!)。

ひろしさん、
古いことばの美しいたゆたいを、たっぷり楽しめる歌ですよね!

Lucyさん、
あ、「山男」の歌という読み方も楽しいですね。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年08月25日 14:43
短歌研究9月号拝見しました。『クアトロ・ラガッツィ―天正少年使節と世界帝国(若桑みどり著)』をふまえている歌なのですね。
不勉強で若桑みどりさんを存じ上げませんでした。ネットで調べて納得。一連の枠組みがわかったら由利子さんの世界に入っていけました。すみません。
Posted by morijiri at 2008年08月25日 17:54
morijiriさん、
「不勉強」なんて、とんでもない!
私は小学生のときから、天正の少年使節にハマっていて、若桑さんの著書にはいたく感銘を受けたのです。会社を辞めてやっと本を読む時間が出来て、いの一番に読んだのが『クアトロ・ラガッツィ』でした。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年08月25日 18:09
「たゆたい」≒(心、物、言葉などが)漂う様子 ・・・でしょうか?!
知りませんでした。なんとも心地よい響きのする言葉です。
そして、欲しかった言葉と、感じました。
「心の深呼吸」の仕方が少し解ってきたような気がします。

Posted by ひろし at 2008年08月25日 23:05
ひろしさん、
新しい言葉の発見は、新しい世界の発見です! その喜びを分かち合ってくださること、嬉しくてなりません。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年08月25日 23:15
こんにちは。
『短歌研究』九月号拝読しました。
拙い感想を「ファン掲示板」http://www.style-21.jp/bbs/torionna/
に載せました。また今日『週刊朝日』9月5日増大号52ページ「お代は見てのお帰りに」小倉千加子さん連載に松村さんの『語りだすオブジェ』が載っていました。
皆様にちょっとお知らせ!
Posted by ろこ at 2008年08月26日 14:28
ろこさん、
「短歌研究」を読んでくださり、ありがとうございます。「拙い感想」なんてとんでもない! 深く読み込んでくださることに、いつも感激するばかりです。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年08月26日 15:00
松村由利子様

週刊朝日今週号小倉千加子さんのエッセーで松村さんお名前見てメールしました。語りだすオブジェ読みたくなりました。松村氏のイメージからこんなのが出てきました。ハイヒール天に放りし人はどこ 永久(とわ)に待つと誓いしものを 一光より
Posted by 中島光一郎からです at 2008年08月26日 17:28
中島光一郎さん、
すてきな歌をありがとうございます。
「ほっかりと月上り来ん機知に富む歌贈られし嬉しさのごと」を返歌といたしましょう。
『語りだすオブジェ』、お読みいただければとても嬉しいです。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年08月26日 22:26
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。
※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。

この記事へのトラックバック
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。