2008年09月12日

澤村斉美さんの歌集

『夏鴉』

KICX2022.JPG

 若い人の歌集はいい。どんな歌でも、その時のその人にしか作れないものなのだが、中でも青春歌はまぶしい輝きを放つ。
 この歌集の作者は二十九歳である。若さならではの倦怠や孤独が繊細な感覚で詠われていて、胸がきゅんとなる。

  ミントガム切符のやうに渡されて手の暗がりに握るぎんいろ
  あの夏のわれの自画像きんいろをひとすぢ捌(は)きし鼻梁が
   光る
  深い深い倦怠感のプールへと投げる花束浮いたではないか


 一首目の「ミントガム」の何とさわやかで悲しいことだろう。どこかへ行きたいと願いながら行けないでいる若い恋人たちのもどかしさが、「切符のやうに渡されて」という巧みな喩によって表現されている。「手の暗がり」「ぎんいろ」という言葉選びもうまい。
 二首目は、「自画像」が抽象的でなくて、本当に絵筆の動きや絵の色調を思わせるところが魅力的だ。「きんいろ」も効果的だが、「ひとすぢ」によって自画像がくっきりと浮かんでくる。
 三首目は、若い作者がすでに独自の文体をもっていることを見せる一首である。花束をプールへ投げるという、若々しくも自虐的な行為を見せるにとどまらず、「浮いたではないか」と思いがけない結句で締めくくる諧謔味がいい。
 こうした、いかにも「青春」という歌もいいが、この作者は未来を先取りするまなざしを持っていて、それが奇妙な味わいを出している。

  何年かさきの私に借りてゐるお金で土佐派の図版を購(か)ひぬ
  喪主として立つ日のあらむ弟と一つの皿にいちごを分ける


 一首目は「何年かさきの私に借りて」という捉え方が面白い。また「お金」という言葉に注目した。あまり歌には出てこない言葉だと思うのだ。歌集の中には「減りやすき体力とお金まづお金身体検査のごとく記録す」「人のために使ふことなしひと月を流れていきしお金を思ふ」という歌もある。この作者が「お金」というものを大切に考え、自分の分に合った生活をしようとしていることが伝わってきて、私はたいそう感激した。自立だ、男女平等だ、などと言う前に、こういう感覚をもつことが大切なのだ、たぶん。
 二首目では、姉弟でおやつを食べているとき、ふと親の死のことなど思った作者が詠われている。近しい者との距離感が奇妙な生々しさで表現されている。

  くづれては隆起する水の微かなるむらさき色を感情と云ふ
  まばたきは人を隔てると知りながら霧雨払うやうにまばたく
  打ち鳴らすこれはさびしさ朝顔の葉を打つ雨の音に似てゐる


 若さは傷つきやすいものであり、作者もたいへん繊細な感覚をもっている人だ。「水」「まばたき」「雨の音」という微細なものを捉えたこの三首は、どれも巧緻に作られているが、言葉だけではなく作者の深いところから出てきた表現だと感じる。
 しかし、繊細なだけでないのが、この作者の魅力である。

  日の当たる場所には鍋が伏せられて私がうづくまつてゐるやうだ
  ああしぶとい暑さはわれの中にあり朝顔開ききるまでの朝


 一首目の「鍋」、二首目の「しぶとい暑さ」に自分を重ねるところに、作者の芯の太さのようなものを感じた。若さゆえの迷いや倦怠感、悩みは尽きないが、きっと乗り越えてゆくであろう作者を思い、読んでいて何か励まされるような気持ちになった。
 就職、結婚の歌は、この歌集には収められていない。次の歌集で、彼女はどんなふうに新しい変化を見せてくれるのだろう。今から楽しみでならない。

 ☆澤村斉美歌集『夏鴉』(砂子屋書房・2008年8月、3150円)


posted by まつむらゆりこ at 00:05| Comment(6) | TrackBack(0) | 歌集・句集の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
読んだだけで「若さ」を感じる歌、そして由利子さんの丁寧な解説を読んで「ああ、若い方の歌なんだ」と納得させられる歌。どちらも素敵です☆
そして何より、作者の繊細さを理解する由利子さんの細やかさに心打たれてしまいました。
由利子さんと同世代の者として…「若さ」は懐かしむもの、取り戻したいもの、でもあると同時に、今なお心のどこかに持ち続け、感じ取れるものでもあるのですね。そんなことに気づかされた思いです。
Posted by もなママ at 2008年09月12日 18:07
お久しぶりです。滋賀の中村です。毎週楽しく拝見しています。
さて、澤村さんといえば私と同じ「塔」の方ですけどまだ一度も話したことありません。
こっちは初心者で向こうがスゴイ歌人なので話しかける勇気がまだありません。もう少し短歌が上手になったら話をしてみたいと思います。では、また・・
Posted by 中村健治 at 2008年09月12日 21:11
このところ、欠けているモノ、それは「キュン」。
「キュン」は、若返りの良薬であるからにして
ムササビ属理論派B型夜行性♂としては
キューイング理論により感性の行列の先頭にたち
明日への「キュン」をゲットせんとす。
まんず、リエ(フルートの名前)と太郎(ギターの名前)の力を借り
吹き、弾きまくり、感性の筋肉を鍛えるのだ。
さぁー、息を整えて、右足前へ・・・・・(本文、励まされました。)
Posted by ひろし at 2008年09月14日 14:31
もなママさん、
若いときの歌もよいものですが、精神の「若さ」を保ちつつ作る中年、老年の歌もまたよきかな!

中村健治さん、
毎週読んでくださっている由、とても励みになります。ありがとうございます!

ひろしさん、
短歌や小説、音楽も「キュン」のためにあるのかもしれません。いや、人生そのものが? リエさん、太郎さんとの合奏、すてきです。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月14日 23:57
人生=「キュン」。すっきりしました。
これからは、この美しい式を証明する事が楽しみです。
ありがとうございました。
Posted by ひろし at 2008年09月15日 22:54
ひろしさん、
おお! これは美しい式です。
そして人生がこの等式を証明するためにあるということも。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月15日 23:17
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