2008年09月19日

友を悼む

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 「かりん」の仲間だった久保剛さんが16日亡くなった。54歳の誕生日を迎えたばかりだった。
 1990年に「かりん」に入り、2001年には歌集『冬のすごろく』を出版した。私は彼の労働現場の歌がとても好きだ。父親が創業した鉄工所を継いだものの、取引先に従業員ともども譲渡せざるを得ない状況になった彼は、しばらくそこに勤めた後、契約社員として別の企業に勤めることにした。歌集にはその厳しかった時期の歌が並ぶ。

  戦力外通知を示す紙きれに押しピン四本深くささりて
  不況風時代を越えて吹くときは関東軍的商社のにおい
  久方の光のどけき警報のちくしょう五時でもチェーンは切れる


 現代短歌のなかで、働く現場の歌は案外少ない。個々の職場の事情を第三者にわかるように作るのが難しいこともあるし、素材自体が古びてしまうことも少なくないからだ。けれども、久保さんの歌を読み返してみて、今の時代状況とあまりにも重なっていることに驚いた。

  郵便だNTTにVISAカード請求します請求します
  いい人に見えるでしょうか何本も赤い羽根挿す鳥となるまで
  お月さま僕らはまっすぐ生きてますだから他人と衝突します


 口語表現がうまかった。やわらかい中に鋭い批判があった。そして、人の痛みを知っている人だった。社会を批判しつつ自らを嗤う懐の深さというか、強靭なユーモア精神が彼の特徴である。
 そして、それを支えていたのは家庭のあたたかさであったに違いない。三人の子どもと妻を詠った歌はどれも微笑ましく、読む人の胸を打つ。

 「寒かった?お帰りなさい」という人が四人いるからまだ帰らない
 一人ずつおまえが生まれて良かったとそっと布団を掛けなおす夜
 太陽のかおりがするね日向から帰って抱きつくおまえの髪は
 信号がもしもそのまま赤ならば迷わずお家へ帰っておいで


 六年前に難病であることがわかってから、病気の進行は早かった。妻にぽつりと「ぼくは難しい病気なんだね」と言ったのが、たった一度の、嘆きともいえない嘆きの言葉だったそうだ。主治医に具合を尋ねられ、「いやあ、病気は着々と進行しています」と笑って答えたというのが、いかにも彼らしい。

  春の日の病を得てからデコポンの皮が思うように剥けない
  僕の為トヨタが作った介護車のスライド・シートはすいすい動く
  立ち上がる力も無くてこの頃は「進行性」とかいう言葉と戦う


 この三首は、歌集の出版以降、発病してからの歌である。十分に頑張ったと思う。今夏は連日、夜遅くまで病室のテレビでオリンピック観戦をしていたという。動けなくなった彼は、いったい何を思いながら観ていたのだろう。前回のオリンピックのときはまだ職場で働いていたのだ。

  スイッチを切っても切れないものがあるたとえば螢人差し指に

 歌集の感想を書いて送ったとき、久保さんは礼状にこの歌を書き添えてくれた。きっと、彼のお気に入りの一首だったのだと思う。わかりやすい歌の多かった彼の作品の中では、ちょっと不思議な、意味の取りにくい歌である。私にとっては、「大切な人は、亡くなったとしても、心の中のスイッチが切れないものだよ」と、久保さんが人差し指を立ててにこっと笑っている――そういう意味にしか解釈できなくなってしまった。

☆久保剛歌集『冬のすごろく』(2001年6月、角川書店)


posted by まつむらゆりこ at 10:04| Comment(24) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
この夏、夏から秋に、身近なところで、訃報が二度ばかりありました。自殺、難病。それぞれの死。
「たとえば蛍人差し指に」。
わが身の上に起きる事は、引き受ける他、ないのですよね。           点滅するあやうい、いのち。
歌は身近に感じました。
Posted by junji at 2008年09月19日 11:03
junjiさん、
身近な人の死は、残された者にいろいろなことを考えさせますね。
それはその人からの贈り物なのかもしれません。大事にしなければ……。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月19日 11:41
押しピンは4本でなければ困りますよね。会社内の掲示板に訃報が張り出されているのですが、ピンが足りないのか3カ所で止めてあるケースが目立ちます。亡くなった者への冒涜のような感じがして………。張り出しをする担当者にとっては、単なる掲示なのでしょうが死者にとってはこれが最後のしゃばとのつながりではないですか。本日むかし世話になった方の訃報を社会面下に発見。気持ちがダークです。
Posted by 冷奴 at 2008年09月19日 16:36
冷奴さん、
うーむ、押しピン3本……。
亡くなった方へは、誠意をもって追悼の意を表したいものです。
年をとるということは、それだけ多くの別れを経験しなければならないということですね。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月19日 16:46
家族が亡くなるなんて、一番考えたくないこと…。でも、必ずやってくること…。

家族の死は、自分の死よりつらいことのような気がします。でも、もし家族にそういう思いをさせることになってしまったら…やっぱり自分の死と向かい合うことしか、家族のためにできることって残されていないのかもしれませんね。自分がそうなったときにできる自信はないけれど…。

地に足のついた人生を生きた方だからこそ、ちゃんと死を迎えることもできたのでしょうね。壮絶な中に力強さを感じるのはそのためでしょうか。
Posted by もなママ at 2008年09月19日 18:29
もなママさん、
本当に死はいつ訪れるか分からないのだなあ、と思います。
私の友人が「地に足のついた人生」を生きたかどうかはよく分かりません。短歌という翼をこよなく愛した人でしたから。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月19日 22:55
翼を抜き取って織り上げられたような、作品たちですね。
胸をうちます
Posted by スマイル ママ at 2008年09月20日 11:32
スマイル ママさん、
そうですね、忙しい合間を縫って作られた歌だったでしょう。歌というものはもともとそういうものなのかもしれません。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月20日 12:27
20年間一緒に仕事をしてきた同い年の仲間が先週突然亡くなりました。
いのちは個体の死あってこそ永らく紡いでいかれるもの…と理屈では考えても、心はどよんと重いです。
せめて何かを隣の人に伝えたい…
とりあえず友の遺したものをまずは感じてみようと思います。
Posted by Chibinemu at 2008年09月20日 18:34
Chibinemuさん、
同い年のお友達が!
さぞショックだったことでしょう。
自分のできることは小さいけれど、私も友人の思いを汲んで何かしたいと思います。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月20日 20:33
初めてコメントを書き込みます。

いま、松村さんの『語りだすオブジェ』を読んでいます。当方、短歌に関って40年近くなります。本書に抄出されている短歌は、すでに知っているのが多く、こちらの読みとは大部違っているので楽しく読み進んでいます。
ああ、そんな読み方もあったのかと短歌の奥深さというか、不思議さ、得体の知れなさを実感いたしました。なにかわくわくとして、また心を改めて、短歌に向き合う気持ちになりました。少し惰性的になっていましたので。新鮮な気分にして頂きありがたいことです。
Posted by ななも at 2008年09月21日 19:00
ななもさん、
恐れ入ります!
「こちらの読みとは大部違っている」というコメントに、ちょっぴりドキドキしています。とんちんかんな解釈をしていなければよいのですが……。お楽しみいただけたのなら、何よりの喜びです。今後もどうぞよろしくお願いします。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月21日 21:06
耐えかねて夜の電車にそっと脱ぐパンプスもわれもきちきちである

昨日『語りだすオブジェ』のことでコメントを書き込んだ者です。只今、読了。平明な文章で魅力的な内容でした。文章はまず、読ませるのが基本です。この本を開いて、たちまちその文体の虜になりました。鑑賞の深さもさりながら、文章がいい。
それに冒頭にあげた作品にも「参った」というところです。結句を文語にせず、口語体にしてあるのも、この歌を魅力的にしています。「きちきちである」の重層性が、緊迫感をもって読み手にせまります。短歌に関っていない人にもこの思いはとどくでしょう。読書の秋、松村さんの他の著書にも触れたくなりました。
Posted by ななも at 2008年09月22日 17:15
ななもさん、
身に余るお褒めの言葉、嬉しく面映く読みました。
歌も文章もまだまだです。少しずつ勉強を重ねてゆこうと思っています。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月22日 18:05
今回のお話し、
ただただ涙が出る思いで、
まともな書き込みができません。
ごめんなさい。

尊い命と、
今ここに生かされているという奇跡を、
大切にしたいと、
そんなことを考えさせられるお話でした。
Posted by KobaChan at 2008年09月22日 20:28
KobaChanさん、
「涙が出る思い」と書いてくださって、私も涙ぐみそうです。きっと友人の久保さんもKobaChanさんの思いを喜んでくれると思います。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月22日 21:40
自ら証明しても、検証出来ない式があります。
たとえば、「生」=「死」。
万年筆で書くことが出来ない、とても悲しい式です。
合掌
Posted by ひろし at 2008年09月22日 23:17
ひろしさん、
「生」=「死」という式、深々とうなずく思いです。
日頃のんきに暮らしていますが、時々は死を意識しなければ、と思いました。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月23日 09:23
こんばんは、お彼岸というわけでもないですが、生と死について考えることが多いです。

久保さんの「スイッチを・・・」の歌、当方の解釈は、死はいつ訪れるかわからない、でも生きているうちは精一杯生きよう、生きて欲しい、というメッセージと受け取りました。
Posted by SEMIMARU at 2008年09月23日 18:34
SEMIMARUさん、
「スイッチを…」の歌の解釈、しんみりと読みました。
明滅する螢の光のように、人の一生もはかないものなんだなあ、と思います。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年09月23日 22:52
 9月21日・22日にコメントを書き込んだ者です。図書館に予約しておいた『物語のはじまり』と歌集『薄荷色の朝に』が届き、読了いたしました。散文のほうは『語りだすオブジェ』の前身として、なかなか含蓄のあるものでした。
 直接、人間に関る作品が多く、何回も読み返しつつ、うーむと唸ったり、涙が滲んできたりしました。筆者の生活や意見がうまくミックスされ、心に沁みました。この手の読み物は、あまりに客観的過ぎると退屈だし、主観的過ぎると押し付けがましくなります。それが程よい距離を保って書き進められていて、読み応えがありました。次の著作も愉しみにしています。歌集はこれから筆写します。
 
Posted by ななも at 2008年10月29日 12:51
ななもさん、
拙著をお読みいただき、本当に感激しております。
「程よい距離」という言葉、たいへんありがたく思います。押し付けがましくなってり、退屈になったりしないように書くのは難しいものです。これからも精進あるのみです!
でも「読み応え」というのは、数々の名歌によるところ大です。歌に支えられて私があるのだと思うばかりです。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年10月29日 13:22
父のことを悼んでくださり、ありがとうございます。
もうすぐニ回忌になります。

最後の1首は私の知らないものでした。
蛍は父にとって特別な存在でしたので、仰るとおり特別な短歌なのだと思います。

遅ればせながら、お礼申し上げます。
Posted by 次男 at 2010年08月30日 21:48
次男さん、
つたないブログを読んでいただいたこと、深く感謝申し上げます。
本当に時が経つのは早いものですね。
9月は久保さんのお誕生月だなあ、といつも思い出します。時々、歌集も開かなければ、と思いました。
Posted by まつむらゆりこ at 2010年08月31日 09:40
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