2008年10月24日

ジュンパ・ラヒリ

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 価値観が揺らぎ始める蒼い夏ジュンパ・ラヒリを厳かに読む
                     柴田 瞳


 ジュンパ・ラヒリの最初の短篇集『停電の夜に』が翻訳出版されたのは2000年8月だ。その静謐な世界、自分の立つ位置がわからなくなるような不安感に魅了された。たぶん、この歌の作者も同じように感じたのだろう。価値観の「揺らぎ」は、恋やさまざまな「夏」の出来事によるものではないかと思うが、ラヒリの作品を読むときのそっと揺さぶられるような感じとうまく響きあっている。
 今年8月に出版されたラヒリの新刊『見知らぬ場所』は、『停電の夜に』以上に読み応えのある短篇集である。冒頭に置かれた「見知らぬ場所」は、インド出身の両親に米国で育てられ、米国人男性アダムと結婚したルーマという女性の話だ。38歳のルーマはベンガル語が読めない。話すのは何とかできるものの、年々おぼつかなくなっている。
 ジュンパ・ラヒリの作品にはいろいろな人物が登場する。中でも、インド系米国人の家族の話は、カルカッタ出身の両親を持つラヒリ本人の経験を色濃く反映したものだが、私はいつも、ニュージャージーに住む幼なじみの「ミータ」を思い出す。
 ミータは、私より5歳年上で、両親はインド出身である。彼女自身もインドで生まれ、5、6歳のころ一家で 米国へ移り住んだという。私が彼女とよく会っていたのは3、4歳のころだったから、8歳から9歳のミータにとっては遊び友達として物足りなかったに違いないが、2年前、実に40年以上の月日を経て再会したときは、なぜか信じられないくらい話が弾んだ。米国人男性と結婚した彼女には2人の息子がおり、製薬会社の幹部として働く日々は充実しているという。
 ふと思いついて訊ねてみた。「ねえ、ジュンパ・ラヒリの小説、読んだことある?」
 彼女は愉快そうな顔をして「ううん」と首を振った。「友達はみんな私に、ラヒリを読むべきよ、あれはあなたの物語そのものよ、って言うんだけどね」
 仕事と家庭の両立で忙しいから本を読む時間がないのかもしれないし、ラヒリの描く世界はなじみがあり過ぎて興味が持てないのかもしれない。そのあたりまで突っ込んだことが訊けない自分の英語力がもどかしかった。
 先月、旅の途中で再びミータに会う機会があった。今回の収穫は、彼女がヒンディー語とベンガル語を自由に読み書きし、話すこともできると知ったことだった。
 ジュンパ・ラヒリは1967年生まれである。わが友ミータとは、ちょうどひと回り違う。「見知らぬ場所」のルーマは、作品を書いたときのラヒリと年齢的にほぼ同じと思われる。ラヒリ自身がどの程度ベンガル語に親しんでいるかは不明だが、ミータとルーマ(=ラヒリ)の世代、あるいは移民第一世代である親たちの世代の違いが想像できて興味深い。
 そう言えば、ミータの息子たちは2人とも典型的な米国人の男の子の名前である。しかし、ベンガル語と疎遠になってしまったルーマは、1人息子に「アカーシュ」というインド系の名前をつけている。ラヒリ自身は、2001年に結婚して今は2児の母となった。子供の1人は Octavio というスペイン語由来、もう1人は Noor というウルドゥー語由来の名前だそうだ。
 ラヒリの小説を読むと、世界がぐんにゃりとねじ曲がり、時代や距離に対する感覚が変わってしまう。そして、一人ひとりの抱える悲しみというものをしみじみと思うのである。

☆柴田瞳歌集『月は燃え出しそうなオレンジ』(ながらみ書房、2004年5月)



posted by まつむらゆりこ at 10:52| Comment(4) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
実り多い旅だったのね!
時を経て再会する友もまた良いものね。
また詳しくお話聞かせてね☆
Posted by Lucy at 2008年10月25日 00:17
Lucyさん、
「収穫」というのは、ちょっと大げさでした。
でも、いろいろ小さな発見があって(私のピーナツバター好きは、やっぱり幼稚園時代に始まったのね、とか)面白かったです。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年10月25日 09:27
<価値観が揺らぎ始める蒼い夏ジュンパ・ラヒリを厳かに読む>

いい歌ですね。
<厳かに読む>。
たしかにラヒリの作品は、ぼくのような男の老人でも寝転がっては読めないような気がします。
インド系の作家では、アルンダティ・ロイととともに、ぼくなどにとっても瞠目すべき存在です。

<幼なじみの「ミータ」>との40年ぶりの再会のお話も、いいですね。
ぼくも、半世紀以上前に隣家に住んでいた朝鮮人の<ミッちゃん・ジュンちゃん>という幼なじみの兄弟のことを思い出しました。
彼らと再会できたら、どんな話をするでしょうか。いや、できるでしょうか。
そんな想像が生まれました。



Posted by 髭彦 at 2008年10月30日 08:47
髭彦さん、
ラヒリが「瞠目すべき存在」とのご意見、同感です!
アルンダティ・ロイはまだ読んだことがありません。これを機に読んでみたくなりました。
幼なじみとの再会について想像してくださったこと、しみじみと嬉しく思いました。
Posted by まつむらゆりこ at 2008年10月30日 09:27
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