2009年02月27日

受験

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  千人の十二歳の解く算数の鉛筆の音が冬空を圧す
                       森尻 理恵


 受験シーズンも終わりに近づいた。中学受験も大学受験も、それぞれの大変さがある。人生のいくつもの岐路において、常に満足できる結果が得られた人などいない。多かれ少なかれ、たいていの人が悔しさや苦い思いを味わうものだ。
 この歌は「十二歳」が効いている。もちろん名門小学校の受験もあるだろうが、それは親の出番でもある。中学受験は、子どもがひとりで挑戦する最初の関門といってよい。まだ表情にも体つきにも幼さの残る十二歳の子どもたちが「千人」そろって、算数の試験問題に取り組むさまには圧倒される。
 国語だったら問題文を熟読する時間がある程度必要だが、算数の場合はどんどん解いていかなければ時間が足りなくなってしまう。さらさらと途切れることなく続く「鉛筆の音」に着目した作者の感覚が素晴らしい。息詰まるような試験会場の「鉛筆の音」は、冬空と同時に親たちの心をも「圧す」のだろう。
 私自身は、中学受験なんて縁のない小学生だった。そして高校時代はクラブ活動に明け暮れたので、大学受験の結果は全滅に近かった。人はよくおとなになってからも試験の夢を見るというが、私は全く見ない。その代わり、演奏会直前になって楽譜を渡され「ひえ〜、ソロがあるのに全然練習してないじゃん」と焦る夢はよく見る。そんな私にも、この歌の「鉛筆の音」はひしひしと迫ってくる。
 結果がどうであれ、受験を終えた子どもたちが心新たに春を迎えられますように。 

☆森尻理恵歌集『S坂』(本阿弥書店、2008年11月)

posted by まつむらゆりこ at 09:56| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは。
掲出歌はこの時期になるとわがことのように思い出されます。
かつて英語塾のアルバイト教師をしていたころ、受験直前にだした私の予想問題がそっくりでたことがありました。生徒は嬉しいやら怖いやらで鉛筆をもつ手がぶるぶる震えたという報告を聞いて私まで震えたのをおぼえています。松村さんがおっしゃるとおり、受験を終えた子供たちに笑顔の春が来ることを祈りたいです。
Posted by ろこ at 2009年02月27日 13:52
うん、受験というとみんな思い出すことがあるんだね。俺のは12歳に混じって某中学受験用塾で「休日体験記」の原稿を書くため4教科の試験を一緒に受けたときのこと。まさにさらさらという鉛筆の音だけがする教室で、ふと横をみると与えられた時間の半分で全部できちゃった男の子がすごく虚無的な目で俺を見ていたことを思い出す。このとき俺の点数は国語算数はビリ。でも社会理科を加えれば、トップで社長にいつでも仕事を辞めてうちの先生になって下さいと言われた。あれからいくつ春が過ぎて行ったのでしょう。
Posted by 冷奴 at 2009年02月27日 14:51
ろこさん、
うわあ、すごい「先生」だったんですね!
嬉しいだけでなくて「怖いやら」というのが含蓄があります。

冷奴さん、
うーむ、私にはいまどきの12歳に交じって問題を解く勇気なんてありません。
国語と理科だけなら何とかなるかな!
Posted by まつむらゆりこ at 2009年02月27日 15:17
毎年2月1日には、まさに試験会場で監督をする私です。10年にわたる私立女子校教員生活で、数え切れない12歳の受験生と袖すりあってきました。中には本番前に泣き出す子、緊張のあまり真っ青になって倒れそうになる子、試験問題を前にして呆然としてしまう子もいました。(そうかと思うと、ホントに鉛筆ころがす子も(笑))


けれども、何回監督の経験を重ねても、あどけない顔で真剣に試験に臨む小さな戦士たちに感動をおぼえないことはありません。彼女たちがここに至るまでに過ごしてきた勉強の日々を思うと胸が熱くなります。

「千人の12歳の鉛筆の音が冬空を圧す」

まさにそのとおりです!!


私が答案を配ったあの子ども達が、春に制服を着てあの門の前に立ってくれますように。
Posted by 宏子 at 2009年02月27日 17:49
宏子さん、
答案用紙を配る側の思いも、じんわりとしみてきます。
みんな、それぞれのベストが尽くせた、と思えたらいいのですが!
Posted by まつむらゆりこ at 2009年02月27日 17:59
私自身は中学受験も大学受験も縁がありませんでした^^
ところで、今回のお話しに出てくる「鉛筆」ですが、もう随分長い間使っていません。
もしかしたら、唯一縁があった高校受験の時が、鉛筆との付き合いの最後だったかもしれません。
ふと、そんなことを思いました。
Posted by KobaChan at 2009年02月27日 22:51
KobaChanさん、
鉛筆は大好きな筆記用具で、今も愛用しています。シャープペンシルは冷たくて、細いのが苦手なんです。
いろいろなご自身の経験を思い出してくださって、とても嬉しいです。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年03月06日 23:21
12歳で受験。今では普通になりましたね。
私も、由利子さんと似たような感じで、市立の悪そう中学(今は名門らしい?)で、隣の中学へ殴り込みや体育館の裏で番長立ち会いの元「タイマン」張ったり、高校は英語以外は何もして無かったので、これまたボンクラ私立高校、大学は、結果的に<その頃当然の階段と世間中が思っていたサラリーマン専攻を選ぶか、楽しみの学部を選ぶか>で、楽しい方を選択した身です。
ついでに、親が国立の学費しか出せないと、東京の私大進学を軒並み拒否されたので(パトロンには頭が上がらず)、生活費を稼ぎました。

でも、ほんまに中学受験は必要なのでしょうか?

みんなの云うことをイヌのように「聞く」(言い過ぎですか?)あるいは「ステレオ・タイプ」の教育が必要なのでしょうか?

選択肢は、いくつもある。
また、民法上の「認知能力」、平たく云えば、子供が将来を決断できるか、否かは、両親のリードに掛かっている気がします。

社会は「男女同権」と形は進んでいるが、実質的に、ビジネス運営能力、顧客対応力、芸術家等の創造性…。切り口によって、「性差」は、単なる日本語の「平等」にはならないと思う。

話は、拡げすぎてしまいましたが、純粋に「試験」を受ける、子供を見守ったり、将来の仕事の選択=決断を促すのは「親の役目」、中学卒業以降は子供が自主的に決断していくという、太平洋戦後まもなくの頃、またドイツ人のような「腹括り」を、私たち日本人は再認識した方がよいと思うのですが…
Posted by Erwin Rommel at 2009年03月17日 07:15
Rommelさん、
深い考察をいろいろ書き込んでくださって、ありがとうございます!
中学受験させるくらいなら、もっと公立校でのさまざまな試み(おっしゃるような男女同権、例えば女子生徒のための職業教育やリーダーシップをとる訓練など)が可能ではないか、と思いました。
そして、Rommelさんのおっしゃる「両親のリード」こそ、親の学歴、収入が子の学歴に大きく影響している現状に関わっているのではないかと思います。塾に通って得られる受験技術ではなく、モチベーション、将来をはっきり描ける力こそが大切なのだと考えます。いただいたコメントに、とても共感しました!
Posted by まつむらゆりこ at 2009年03月22日 09:25
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