叱責をハラスメントと言ひつのる心得ちがひ もう言はないよ
真中 朋久
管理職になって一番むずかしいのは、部下を叱ることかもしれない。
本当のところ、誰も「叱責」なんてしたくない。いつもにこにこして、皆に好かれる上司でありたい。けれども、親が子どもをかわいいと思うからこそ叱るように、上に立つ者も本人の今後、部署の全体状況を考えて叱るのである。
それなのに、この作者の部下は「やだ! それってパワハラですよ、もうっっ」なんて軽く受け流したようだ。「言ひつのる」には、やや執拗な繰り返しを感じさせるニュアンスがある。本人のためを思って叱ったことを、そんなふうに言われては立つ瀬がない。作者は深く嘆息する思いで「もう言はないよ」とひそかに決心する。
この歌では部下の性別はわからないが、何となく女性のような気がして私は落ち着かない。決めつけてはよくないが、作者が男性であることを考えると、同性の部下が「ハラスメント」なんてことを言う場面は想像しにくい。ここでは、若い女性ならではの甘え、媚びがやんわりと責められているように思う。叱られた本人からすれば、照れ隠しという面もあったかもしれないが、職場は常に真剣勝負である。
私が管理職に就いていたのはとても短い間だったが、今にして思えば多くを学んだ貴重な時期だった。あれもこれも注意したいけれど、やっとの思いでひと言だけ伝える、ということも多かった。だから、この歌の作者が勇を鼓して叱責したのに「ハラスメント」と言われてしまった悲しみを、ひしひしと感じるのである。
フリーランスになった今は、誰も叱責してくれない。叱られているうちが「華」なのだ。上司に「もう言はないよ」なんて思わせてはいけない。
☆真中朋久歌集『重力』(青磁社、2009年2月)
厳しいご意見をありがとうございました。
確かにさまざまな職場があり、「人格否定や怒号」は見過ごしてはいけない問題だと思います。
しかし、今回の歌はあくまでも、本来的な「叱責」と解釈しました。
双方の行き違いはままあるものです。
私は若い人たちに「叱られ上手」になってどんどん伸びてほしい、と思いました。
そして、本当に深刻なハラスメントは、こんなふうに面と向かっては相手に言えないのではないか、とも考えます。私自身がそうでしたから。
言いにくいことを書いてくださって感謝します。これからも「ヘンだぞ!」と思うことがあったら、びしびしご指摘くださいね。
この作者も、部下を腹立たしく思っているのかもしれないけど、やっぱりちょっと余裕を感じるなあ。寛容さというか。ちゃんと冷静にものを見ている感じ。「もう言わない!」とキレてるというより、「やれやれ」って思ってるんじゃないかしら(どうちがうんだ!?と言われたらそれまでだけど。)
私は由利さんに一票。ちゃんと筋道立ててたしなめているのに、この部下は何か勘違いしてるんだと思います。そして上司は嘆息…という風景が目に浮かびます。
ほんとはこんな上司に叱られるのは幸せなことなのにね(笑)。
いやいや、私は会社の歌はあまりうまくありませんでした。すごくストレートにしか詠えなくて。でも、それが共感をもたれることもあるので、面白いものです。
もなママさん、
そうですね! この歌の作者はきっと日頃から優しい人と思われているので、部下もつい甘えてしまったのかも。
「やれやれ」というのは、一番よい解釈ではないでしょうか。あんまり深刻な歌でなくて、職場の小さな行き違いをさらりと詠ったものなのに、私の付けた文章がちょいと直球すぎたようです。ありがとうございました!
叱ることは叱るほうも叱られるほうも、気まずいものです。
叱るには叱責するだけの根拠があるはず。ほんの少しのミスを見逃すと命にかかわる職場や、会社に多大な損害を与えたり、機能上滞ってしまうなど様々です。逆に、叱られないままでいたら、ミスした本人もいたたまれないものです。叱責の理由をきちんと正面きって受け止めて二度としないことが「叱られ上手」というもの。真剣勝負の職場だからこそ、からっと叱り、からっと受け止めたいものです。
提出歌の「言いつのる」は叱られた人の甘えや、言い訳がましさがにじんでみえます。子供を叱ったとき「ちがうもん、僕は悪くないもん。お母さんは僕が嫌いだから怒るんだ!」と言った時の姿とダブります。
「じゃあ、お母さんはもう、あなたに何も言いません!」言ったものです。
職場と家庭での一件と同じなわけはありませんが、ひょいと思い出してしまいました。
そう言えば、子どものころの私は、叱られ下手でした。
早く謝っちまえばいいのに、ぐずぐずとすねて……からっと謝れる弟が羨ましかったのを覚えています。
だから、この歌を読んだとき、叱られている人に対して「あなた、ダメよ。そんな冗談めかして上司にハラスメントだなんて言っては!」と自分のことのようにびくびくしてしまった気持ちもあります。
赤目さん、
さっそくのお返事、嬉しく拝見しました。
私は「デキル人」ではありませんから!
第二歌集に収めた「自らを閉じて明るきしゃぼん玉触れてはならぬ悲しみはあり」の歌を覚えていてくださっていること、とても感激しました。
今日、最初にいただいたコメントを忘れず、一方的なものの見方をしないよう、やわらかい心を保つよう、心がけたいと思います。
こういうのは加減が難しいですね。お互いの考え方、言い方、受け止め方が関係するので、ホドホドのところを見つけるのが本当に難しい^^;
私はこの手の話しで良く失敗します。
常に反省と後悔をしています。
叱責したという場面の後で良く良く考えると、「あなたのためを思う」という気持ちよりも、ただ単に「頭に来た」という場面の方が多いです。そして、それをそのまま強い言葉で表現してしまいます。何のことはない、ただただ私の心が狭いのです。
「KobaChan言い方を考えて」と常に上司から教育されています^^
いやいや、言い方を考えてみたところで、ホドホドはやはり難しいです^^
本当に、心の底から理解し合える方法を見つけて行きたいものです。たぶんそれは、「叱責」ではない別の方法だとは思いますが^^
本当にそうですね。一人ひとり、みんな感じ方や性格が違うのですから、ある人には有効な接し方が、別の人にはすごくイヤがられたりして!
解決策というものはなくて、結局はお互いに心の余裕をもつこと、でしょうか。
なんか盛り上がってますね。
どんな場面かは読者の想像にお任せします。一連の並べ方からすると、なるほど、松村さんの解釈のように並んでいますね。
技術批評からすると「心得違ひ」以下は言いすぎだと言われて、そうだよなあと思ったことでした。
思いがけず「盛り上がって」しまいました。
私も第一印象にとどまらず、いろいろなことを考えさせられて嬉しかったです。
熱くなるのはダサイのかしら、それとも相手への情熱の枯渇なのかしら?
職場には、感情に任せ、自分の優位性を示すために叱責をし物事が解決すると思い込んでいる人は意外と多い。
しかし、作者は、叱責を「解決策」の一つの選択肢であり、「目的」ではない事を認識しており、そして、なんの「目的」を達成するためにするのかをキチンと部下に説明できる「問題解決型」の人であると思う。
そのような人が、叱責したところ、「自己責任」の考え方が希薄と思われる部下から出た言葉は「ハラスメント」
これでは、無重力状態になってしまうだろうなぁ〜 ほんとうに悲しいなぁ〜 (実感)
おっと、これまた厳しいご意見ですね!
そう、上に立つ人は少々嫌われても、誠意と温かみをもって叱責し続けなければいけないんでしょう。うーん、難しい。
ひろしさん、
「わかるわかる」と言っていただけて、何だか私も嬉しいです。
確かに「自分の優位性を示す」ことに必死になってしまう人っています。もしかすると、親という立場でもそういうことはあるかもしれません。
力関係を叱責に持ち込まないようにするって、すごく大変なことです。
たびたび失礼します。
「叱責」というテーマから、かつてお世話になった上司のことを思い出しました。私にとっては、本当に厳しい上司でした。その当時、もしも「ハラスメント」という言葉があったなら、間違いなくそれに該当するだろうと思われる叱責も、何度も受けました;
しかし、ある時、私が一番苦しかった時のやりとりを境に、私はこの方の厳しさは、そのまま優しさであるということに気付きました。
以前、自分のブログにそれを記事にしていますので、恐縮ですがトラックバックさせていただきたいと思います。
厳しい言葉の中にも、相手への思いやりが含まれる時、受け手にとって、それはとても大きな心の財産になる。
私は自分のささやかな経験を通して、それを知りました。
私は、「夫としての優位性」を確保するために妻を叱責していたのでしょう。妻は、多分、そんな私の叱責を「精神的暴力」と感じ、私は妻を「理解していないじゃないか」とあきらめ、そして最後に「もう言わないよ」となり破局にいたりました。
本稿を読み解き、ようやく心の整理ができ、何が大事であるか少し分かりかけ、今後、もし夫になる機会があるならば、少しは魅力ある夫になれそうな気がしてきました。(本稿を読まなければ、また傲慢な夫になっていたことでしょう。)
気づきをいただき、感謝です。
職場の上下関係、親子関係、そして男女の関係にも、力というものは作用するのですね。
人と人の関係の難しさを改めて思いました。
たとえ、力を行使しなくても、弱い立場の方が弱さを誇示して、強い立場の人を苛立たせ、力を引き出してしまうようなこともあるかなあ、と想像したりもしました(ちょっとうまく表現できませんが……)。
立ち止まって深く考えてくださり、私もまたいろいろ考えさせられました。
管理職のポジショニングは、ほんまにむずかしいですわ。
東京的アプローチだと、どうしてもギスギスして、すぐに(自分の実力が内のを棚において)法的手段の圧迫、換言パワハラに移行させますね。
大阪だと、船場商人系は特に、カネの重みがわかっているので、Excuseで云うにせよ、本気でパワハラなんて思っていないと思います。
由利ちゃんの解説から想像するに、ほんまに断定は難しいですよ。何故ならば、女性の性格を持っているのは、いまの20−30代で多いですから…。私は、居酒屋で知り合ったときは、まず、「この人は女形か男形か?」っという観察をして、同調できたら、その場の「から騒ぎ」をしますけどね…。
では、九州は…。
体育会系ですなぁ!そうせんと仕事が無くなるもの…。でも無くなっても、近くに山もあり、田畑もあり、そして温泉がじゃんじゃん湧いているから良いですけどね(笑)。特に、宮崎のシーガイアは、そのまんま東が観光事業並びに農業を全国区で宣伝しまくっているので、元気ですよ!シェラトンホテルの"銭湯"は、幽玄の世界ですよ。丁度、映画「ラスト・サムライ」の最初の30分辺りの森林での戦いのようなシーンをイメージできるところですね。
温泉に行こう!(スーパー銭湯もいいところありますよ)
熱いコメントをありがとうございました。
土地の文化や世代のことも考えると、本当にこの問題は複雑ですね!
書き込んでいただいた、いろいろな情報を楽しく拝見しました。