家事はシャドウ・ワークなれどもやはらかな春キャベツ切る
この感触は 豊島ゆきこ
誰からも評価されないシャドウ・ワークだけれど、やわらかな春のキャベツをさくさく切る、この快感って、わたし好きだなあ……。春キャベツのように瑞々しい、素直な歌である。
ほんのちょっぴり、「シャドウ・ワーク」をする自分を卑下しているような気持ちが「なれども」に感じられるが、全体としてはキャベツを刻む幸福感が前面に出ている。
手仕事の快というものを思う。ことことと煮物を火にかけている時間の豊かさ、毛糸をひと目ひと目編んでゆく単調な気持ちよさ、きびきびと雑巾がけをする爽快さ−−。
「シャドウ・ワーク」というのは、古い経済学の考えで影に追いやられていた仕事、というくらいの捉え方でよいのかもしれない。報酬が支払われないからといって、それが何だろう。日々の大切な時間をお金に換算する方が、貧しいことである。子育ても家事も本当のところ、人まかせにはできない楽しく心豊かなことだと思う。
ところで、キャベツを刻むシーンが印象的な小説といえば、乃南アサの『幸福な食卓』である(瀬尾まいこじゃありませんよ!)。これは彼女のデビュー作で、とても怖い心理サスペンスだ。キャベツが出てくるのは最後のクライマックスなのだが、キャベツを刻む快感と相まって怖さが倍増、という効果を狙ったのかもしれない。
この歌の作者は、キャベツを刻む快感を本当に愛していて、歌集にはこんな歌もある。
丸ごとのキャベツざくつと切るときにしぶき立つ霧明快に生きむ
☆豊島ゆきこ歌集『りんご療法』(砂子屋書房、2009年2月)