家事はシャドウ・ワークなれどもやはらかな春キャベツ切る
この感触は 豊島ゆきこ
誰からも評価されないシャドウ・ワークだけれど、やわらかな春のキャベツをさくさく切る、この快感って、わたし好きだなあ……。春キャベツのように瑞々しい、素直な歌である。
ほんのちょっぴり、「シャドウ・ワーク」をする自分を卑下しているような気持ちが「なれども」に感じられるが、全体としてはキャベツを刻む幸福感が前面に出ている。
手仕事の快というものを思う。ことことと煮物を火にかけている時間の豊かさ、毛糸をひと目ひと目編んでゆく単調な気持ちよさ、きびきびと雑巾がけをする爽快さ−−。
「シャドウ・ワーク」というのは、古い経済学の考えで影に追いやられていた仕事、というくらいの捉え方でよいのかもしれない。報酬が支払われないからといって、それが何だろう。日々の大切な時間をお金に換算する方が、貧しいことである。子育ても家事も本当のところ、人まかせにはできない楽しく心豊かなことだと思う。
ところで、キャベツを刻むシーンが印象的な小説といえば、乃南アサの『幸福な食卓』である(瀬尾まいこじゃありませんよ!)。これは彼女のデビュー作で、とても怖い心理サスペンスだ。キャベツが出てくるのは最後のクライマックスなのだが、キャベツを刻む快感と相まって怖さが倍増、という効果を狙ったのかもしれない。
この歌の作者は、キャベツを刻む快感を本当に愛していて、歌集にはこんな歌もある。
丸ごとのキャベツざくつと切るときにしぶき立つ霧明快に生きむ
☆豊島ゆきこ歌集『りんご療法』(砂子屋書房、2009年2月)
うん十年前は、一つ一つの料理過程を楽しみ、「男の料理」とやらを、独りの時も、奥方のためにも作ったこともあり、なにやら、親近感湧く歌ですね。
「シャドーワーク」ですって?
世代&時代の違いでしょうか?
家事は家庭を守るひとつだと、同感です。
この言葉は、後の「春キャベツ切る」を際だたせる、「隠し味」かも…?
今の時期は男性も、働きに出ている女性も大変だけど、このような気持ちを感じるゆとりを感じる生活を送りたいですね!
「春キャベツ」だけは、きっと永遠に「春」を感じさせてくれるんでしょうね。
できあがったものだけ食べる人には届かない季節感を、料理する人だけが感じられることってありますよね。新タマネギの水っぽさとか、新ジャガイモの皮の薄さとか(笑)。
春キャベツのサクサク感もそうですね!この歌と解説を読んで、改めて気づかされました。
(ところで、この歌はどこで切って読むんですか???)
私も、買ってくれば簡単で安上がりなサンドイッチやハンバーガーを自分で作ったりしてます、作ること自体が楽しいしね。
刻みキャベツといえばカツですが、この組み合わせは、銀座の老舗洋食店「煉瓦亭」発祥
といわれてます。同店では、看板料理のポークカツレツ(トンカツではない)には、肉料理
の付け合わせの定番、温野菜をつけてましたが、温野菜を作る料理人が日露戦争で徴兵されてしまい、代用に生のキャベツを刻んだものを添えたら好評だったので定着したということです。
日本の食卓になじみ深い刻みキャベツにも意外な裏話があります。
あっ、お料理のページじゃなかった。
生活実感があって、そこから自然や社会が見える。そんな短歌や俳句に惹かれます。
「台所俳句」という言葉があるけれど、決して軽蔑ではなく、実感のこもった俳句という意味だと解釈しています。
女もすなる台所仕事。実感に迫れる俳句を作りたいと思っているのですが・・・
おお、たのもしい!
男も女も「ゆとり」を楽しみつつ働ける社会になればいいですね。
もなママさん、
新玉ネギや新ジャガについての細やかなご指摘、さすがです♪
この歌の句切れですが、たぶん切れてないんだと思います。「家事はシャドウ・ワークなんだけど、やわらかな春キャベツを切るこの感触は(なにものにも替え難い、と私は思うわね)」という歌で、かっこの中は読む人がそれぞれ想像してもいいと解釈しました。「大好き!」とか「主婦の醍醐味よ」とかね。
SEMIMARUさん、
作ること自体が楽しい、というご意見、本当に共感します。
キャベツとカツのコンビネーションに関する楽しいうんちくもありがとうございました!
濱徹さん、この歌に共感してくださって、どうもありがとうございます!
ぜひぜひ、台所仕事を(楽しみながら)句作なさってくださいね。
今朝、朝食を作り居間に運ぼうとした時、作ったばかりのクリームスープを足元にこぼし、それに足を滑らせてしまい(両手にハムエッグ〜良い具合に仕上がった半熟のサニーサイドアップ〜と件のスープカップを持っていたので)居間に顔面から倒れ込んでしまいました。相当痛かったのですが、メガネの金具で眉間にちょっと傷を作っただけで鼻血までには至りませんでした。
ハムエッグの皿は割れるし、それ以上に居間のカーペットにスープと目玉焼きの黄身が飛び散り凄まじい「染み」を作ってしまいました。中性洗剤で一生懸命落としたのですが「染み」は残ってしまいそうです。
自分自身ちょっと情けなくなりました。また叱られそうです。
後で判明した事ですが、もうひとつ、コーヒーメーカーの濾紙部分の支え軸が折れていました。倒れる時に、藁をも掴もうとして触って引っぱったのだと思われます。どうしよう。
なんということでしょう!!
(まるで、Mr.ビーンを見ているような……)
被害甚大の模様ですが、おけががなかったことを喜びたいと思います。
次回、がんばってください♪
遠くから嫁いできての同居生活は、いろいろつらいこともあったのでしょう。
黙々と、大量にきざまれた千切りキャベツの山はいきなり水にさらされ、ザルごと食卓の中央にでんと置かれたのです。
家族は、ただただ黙って食べつづけていました。
何だか切ない話ですね。
小説の一シーンのようです。
それこそ『幸福な食卓』を思い出します!
Mr.ビーン。。。!!!!!(笑いすぎておなかがいたい)
週末の夜中に放映されていたMr.ビーンが唯一の(?!)しあわせ…というワーカホリックな日々がありました。
わがいとしのMr.ビーン♪
「手仕事の快」という言葉を拝見して、由利子さんのエッセイ集「物語のはじまり」の「食べる」の章でご紹介いただいている、「魔女にならん」の歌を思い出しました。
その箇所では、やはり料理の中で火を使うことの快感について触れられていらっしゃいますね^^
料理もそうですが、日常の諸々の作業の中に、「快」を見出す心がけを持つことは大切なことだなぁということを感じました。
自分の仕事の中にも探してみようと思います。
「物語のはじまり」を思い出してくださって、とても嬉しいです。
「料理する」は「食べる」の一部で、すごく楽しいことだと思います。
私も食いしん坊なので、ついおいしそうな歌を紹介したくなります。
鶏の唐揚げとキャベツ、って素晴らしいコンビネーションですよね!!
「たいめいけん」の酢キャベツも渋い〜〜。