手をつなぐためにたがひに半歩ほど離れたりけりけふの夫婦は
大松 達知
ぴったりとくっついていたら、手はつなげない。くっついて歩くのも難しい。「半歩ほど」離れないと、手をつないで歩くことはできないのである。
男女や親子に限らず、人と人の関係は距離が大切だと思う。旅をすれば人との相性がよくわかるというのは、旅というものがかなり密着する関係を強いるからだろう。同じ部屋に泊まる場合、就寝前の儀式めいたあれこれ、早く起きたときの気配りがわかるし、部屋が違っても食事時間や集合時間を守るかどうか、互いの自由行動をどこまで許すか、など気になることはいろいろある。旅は通常の新婚生活以上に、相手の性格や気質がわかってしまうものだ。
この歌の作者は、そういうことをよくよく知るのだと思う。さりげない歌だが、「たがひに」というあたり、夫婦のよき関係を思わせて心が和む。
歌集には、こんな歌も収められている。
真うしろを妻が歩むは疲れてます不機嫌ですの合図なり危険
私にも、相手がすたすたと先へ行き、「ちょっとぉ、こっちはヒールの高い靴を履いてるんだよ」とむくれて「真うしろ」を歩くことがあるので、この歌には笑ってしまった。「危険」を察知してくれる相手であればこそ、「手をつなぐ」ときの距離を測ることができるのだ。
互いの違いを尊重し、ちょっと離れる。そのわずかな距離を保つことが愛情には必要なのだろう。
☆大松達知歌集『アスタリスク』(六花書林、2009年6月)
歌人ってすごいですね。言葉にならない二人の機微をこんなふうに表現しちゃうなんて。
それをまたすっきりと解説しちゃうゆりこさんの明晰とセンスにも拍手!!
このご夫婦、とってもいいでしょ!
私の理想だなぁ……。
あっ、また「自分の恋の歌を詠め」という厳しい要求ですね!
最近ダメなんですよ。ぼちぼちは作ってるんですけど、やっぱり手をつないでもらえないのが……(泣)。
「ほかには相手にされなくなった同士」じゃなくて、「ほかの人なんか目に入らない同士」だもんね♪♪♪
べったりでなく、互いに手と手を伸ばせば触れ合える。そういう感覚でいると、愛情も長続きするのかもしれません。
私は老妻との旅行が苦手です。未だに距離感がつかめません。特に洋式のホテルに泊まる晩などは緊張の連続で気が休まりません。隣のベッドでもう寝たと思った老妻から「ねえ」等と話し掛けられるとドキッとして息苦しくなります。
私が自転車旅行を好むのは、その辺に訳があるのかもしれません。
さっそく、ありがとうございます。
お恥ずかしいばかりです。
そうですよね。双方から手をつなごうとするなんて!
SEMIMARUさん、
あっ、「中間距離」とすると、もっと具体的なイメージが湧きますね。
私は運転するときも結構あけるのが好きなんです。
マコトニイチャンさん、
「就寝前の〜」は、腹筋運動とかストレッチ、数独をする、なんていうもろもろです。私はお気に入りの本を読むのが至福♪
おおまつ。さん、
とても素敵な歌集最後の一首です!
でも、私は、愛する人がいつでも私の影を踏める距離にいたい
本当に! 離れたり、重なったり、というのが、とってもいいです。
距離をとるって、けっこうエネルギーを費やします。
おー、「いつも、いつだって」という熱い思いが純粋で胸を打たれます。
私は結構くっつくのが好きなんですが、相手もそうとは限らないんですよね……。
それは初めてのデートの日から今までずっと変わらない無意識の習慣です。どこへ行くのでも一緒のことが多いのでたまにいないと、やけに左側が寒いのに気がついたりします。古亭主(との距離も)離れてみれば恋しかり・・てなところでしょうか。
いつも同じ側、って何だかいい感じです!
そして「やけに左側が寒い」なんて、うらやましい限り……。「右側の君」と末永くお幸せに!