2009年05月29日

津田梅子

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  津田梅子小さくまるき手の人と評伝読めば胸の痛かり
                     松村由利子


 明治の女性は偉かったなあ、と折々に思う。男女雇用機会均等法なんてなかった遥か昔に、高い志と情熱をもって先駆的な仕事に挑んだ。津田梅子も、その一人である。
 『与謝野晶子』を書き終えてほっとした2月、たまたま読んだ『津田梅子』(古木宜志子著、清水書院)がとても面白かったので、次々に別の評伝も読んだ。いずれもタイトルは『津田梅子』で、著者は山崎孝子(吉川弘文館)、大庭みな子(朝日文庫)である。
 1871(明治4)年、まだ6歳の梅子が、他の4人の少女と共に、日本政府による最初の女子留学生として船に乗り込んだことを思うと、それだけで胸がいっぱいになる。帰国したのは1882年、18歳になってからであった。いまの時代でさえ帰国子女は、カルチャーショックや言葉の問題に悩むのだから、自由な教育を受けた梅子が故国で大きな戸惑いを感じたのは当然だろう。
 5人の少女たちのうち、年長だった14歳の2人は1年足らずで帰国してしまった。梅子の生涯の友となる山川捨松、永井繁子は、帰国して間もなく結婚する。「日本の女性の地位を高めるために、一緒に学校をつくりましょう」と言い合っていた親友たちの結婚は、梅子に孤独感を味わわせたに違いない。そして、政府は帰国した女子留学生たちに対して特に仕事や役職を与えず、梅子たちは居場所がないように感じたという。
 華族女学校での勤務や二度目の留学を経て、梅子が女子英学塾を開いたのは1900(明治33)年だった(与謝野晶子が『みだれ髪』を出版したのは翌年だ!)。
 さまざまな困難を乗り越えて、日本女性の地位向上に尽力した梅子を思うと、現代に生きる自分たちはまだまだ努力が足りないと恥ずかしくなる。そして、波乱に満ちた生涯を生きた梅子が、小柄で手も小さかったことを読むと、何とも言えずいとおしくてたまらなくなるのである。

☆「かりん」2009年4月号

posted by まつむらゆりこ at 13:20| Comment(13) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
たしかになぁ。むかしの人は偉かった。その後よれたのは何故か。津田で講演され、その創設者がこうしてお歌に取り上げられる。よきつながりと思います。松村さんの講演内容がロコさんのブログにあるのですが、力演と思いました。
Posted by 冷奴 at 2009年05月29日 15:10
冷奴さん、
いやー、ちょっと照れます。
津田梅子や与謝野晶子のことを調べると、同時代の女性たちを思う彼女たちの心に打たれます。
自分もまた、いろいろな人たちから得たものを還元できたらなぁ、と思うのでした。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年05月29日 16:25
津田梅子の父、津田仙は、元佐倉藩士で自身もアメリカ渡航体験があり、女子留学生の話が出た時に、すすんで娘をいかせたそうです。当時としてはとても開明的な家だったのですね。
生涯独身で女子教育に尽くした梅子は、郷土史の副読本などで、「郷土の偉人」のなかで、唯一といってもいい女性として登場します。小柄で手も小さかった、というのは意外でした。
梅子が亡くなる前日の彼女の日記には

Storm last night  

と、謎めいた文言がのこされていました、
女性が置かれたまだまだ厳しい立場をそんなふうにたとえたのでしょうか。
Posted by SEMIMARU at 2009年05月29日 21:07
SEMIMARUさん、
さすが! その "Storm last night" は、どの伝記作家も重要なモチーフとして、伝記の冒頭、あるいはラストに使ったりしています。
亡くなるまで、日本語より英語の方が達者だった梅子は日記もずっと英語で書いており、この日の天気は本当にひどい嵐だったようです!
Posted by まつむらゆりこ at 2009年05月29日 22:29
山川捨松のちの大山捨松の評伝も面白かったです。彼女は会津藩士の娘で、会津藩を背負わされてアメリカへ行きましたからね。それが帰国して薩摩藩出身の高官の後妻に入るわけですから。やはり、平成の今でも会津若松市と萩市の姉妹都市の締結が見送られていることを考えると、大変だったろうな、と思いました。その反動もあってか、ずいぶん津田塾に援助をしたみたいでした。
Posted by morijiri at 2009年05月30日 00:25
きっと現代の女性にも力はあるのでしょう。
でも、きっとそこまで高い志と情熱が必要とされる場が今はないのかもしれません。

私は今度「ねりま文庫連40周年」という行事に参加するのですが、主催者の挨拶の中にあった「40年前に掘られた井戸のおいしい水を今の私たちが飲んでいる」という言葉に感銘を受けました。

津田梅子や与謝野晶子が掘ってくれた井戸の水を、私たちは安易に汚したり浪費したり忘れたりすることがないようにしなければ、と思います。

そして新しい井戸を掘る場所がないとしても、綿々と継承された井戸を大切に守り、次世代に伝えていくという地味で根気のいる仕事もまた偉業だと思います。そのようなお仕事をなさっているゆりこさんを、私は心から尊敬しています。
Posted by もなママ at 2009年05月30日 08:17
morijiriさん、
わぁ、山川捨松の評伝はまだ読んだことがありません。
現代でも姉妹都市の締結が見送られていることも興味深いですね。貴重なコメントをありがとうございました!

もなママさん、
多くの先輩たちによって掘られた「井戸」を私たちも大切に活用しなければ、という話、本当にそうだと思います。
一人ひとりのできることは小さくても、それを集めれば、きっと次の世代の人たちに何かを伝えることができますよね!
もなママさんの家庭文庫のお仕事や他のお仕事、とても豊かな営みだと思います。お互い頑張りましょう。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年05月31日 20:10
記事の中でご案内いただいている評伝は、松村さんの『与謝野晶子』と同じように、たくさんのことを学べるようですね。
私もぜひ拝見したいと思います^^
Posted by KobaChan at 2009年05月31日 21:52
KobaChanさん、
津田梅子のお父さんは、とてもユニークな人だったんです!(でなければ、6歳の娘をアメリカに行かせたりしませんよね)
だから、娘をもつお父さんたちにもお薦めしたい評伝です。ご興味があれば、ぜひ!
Posted by まつむらゆりこ at 2009年05月31日 22:31
 ご無沙汰しております。明治の女性で私が感銘を受けた本は福田英子「妾の半生涯」ですね。自由民権運動を担った?男どもの自堕落なありさまがよく分かります。
 遅ればせながら毎日新聞夕刊に載った松村さんと与謝野財務相の対談もどきを拝読。うーん。ちょっと政治分野に傾きすぎた記事でしたね。
Posted by おやさゆみん at 2009年06月03日 17:26
おやさゆみんさん、
福田英子の本、知りませんでした。明治の女性を知るために、ぜひぜひ読んでみます!
毎日新聞の夕刊は、うーむ、本当はもっと晶子のことが語り合いたかったんですよ。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年06月04日 08:54
はじめまして。。。
津田梅子先生についてなのですが・・良ければ皆さんの意見を聞かせてください。
 皆さんは梅子がしてきたこと、当時の明治維新間もない日本社会にどんな変化を与えたと思います?女性の道を開いたのはもちろん、きっと社会全体を変えられたと思うんですよ・・・。
Posted by kaz0213 at 2009年12月03日 19:41
kaz0213さん、
はじめまして!
古いページを皆さんが見てくださるかどうか、私も少々不安ですが……明治維新間もないころの女性たちの志の高さには胸を打たれます。帰国直後の梅子や捨松が、政府によって要職を得られなかったことは大変残念と思いますが、教鞭をとるようになってからは、有形無形の影響をたくさんの人に与えたと信じます。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年12月04日 09:30
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