子供はつくづくとみる 己が手のふかしぎにみ入るときながきかも
葛原 妙子
手の働きというのは、不思議なものである。編み物みたいな単純な作業を繰り返していると、自分の意思とは全く別のところで手が動いているように感じることがある。脳と手の関係はどうなっているのだろう。
先日読んだ『単純な脳、複雑な「私」』(池谷裕二著、朝日出版社)が面白かった。そのなかで特に興味をひかれたのは、「知覚」と「運動」は、独立した脳機能だということである。例えば、手を動かそうとするとき、その「欲求」よりも0・5秒くらい前には、行動の「準備」が始まっているのだが、準備から行動までは、1・0〜1・5秒くらいかかってしまう。しかし、人は実際に手を「動かす」前に、もう「動かした」と感じているというのだ。現状の把握が遅れると、いろいろな不都合が起こるので、「脳は感覚的な時間を少し前にズラして、補正している」のだと池谷さんはいう。そのことを彼は、脳が補正によって未来を知覚している、と表現している。
この箇所を読んで、高校時代に熱中した競技かるたを思い出した。小倉百人一首の下の句の札をとりあう競技なのだが、私はこのスポーツをしているときの脳の状態がものすごく好きだった。
前に出た歌の下の句が繰り返された後、ひと呼吸して、次の歌の上の句が吟じられる。それを待つとき、自分の脳内が「明鏡止水」という感じに静かに澄みわたる。その何ともいえない快感は忘れることができない。かるた部員たちは、よく「手が頭よりよくなる」という表現をしていた。考えるよりも先に、手の方が動いて札を取ってしまう、ということである。私もそれを何度か経験した。
競技の間に、取り札は何度も並べ替えられる。競技者はその都度、配列を覚え直して、次に吟じられる歌に集中するのだが、あるとき私は、自分がぱーんと札をはねた途端に、「しまった、間違えた!」と思った。何で、そこへ手が行ったのか、わからなかったのだ。ところが、はねた札は正しい札だった。相手が札を並べ替えていたのを、私の「手」は把握していて、そこへ取りに行ったのである。私の「意識」は、前の配列を覚えていて「しまった!」なんて思っていたのに、「手」はちゃんとわかっていた。
小さな子が自分の手を「つくづくとみる」。この歌の作者は、脳科学のことなどあまり考えなかっただろう。けれども、彼女は日常に潜むさまざまな「ふかしぎ」を思い、それを歌にした人である。子供に倣って、自分の手をも凝視したのではないだろうか。私もありふれた光景から「ふかしぎ」を取り出せるよう、いろいろなものを「つくづくと」見たい。
☆葛原妙子歌集『朱霊』(1970年10月、白玉書房)
その娘、と言ってももう60歳にならんとしていますが、と親しかった事もありつい3月ほど前にもお邪魔して麻雀をしました。他のメンバーは近所のお年寄りで、私が最年少ではありましたが大負けをしました。
皆さん達者で、牌をかき混ぜる時も、並べる時も扱う手の動きに狂いがありません。もちろん頭の働きもです。その時に、麻雀がちゃんとできる内はまだ大丈夫だよなどと、その娘と話したばかりでした。私の「手」の思い出です。
葬儀の時に聞いたところでは死の2週間前までやっていたそうです。私はこれからも全自動麻雀だけは決してやるまいと強く決心した次第です。
手を使っていると脳が衰えないというのは本当だと思います。
麻雀するもよし、ピアノを弾くもよし!
料理しないで出来合いのものばかり買うのは「全自動麻雀」みたいなものかもしれませんね(反省)。
それがすべてのような気がする。
つくづくと思う。なんと多くのものを、見過ごしてきたものか、と。
共感してくださって嬉しいです。
じーっと、風景や身の回りのものを見つめたいです。
『31文字のなかの科学』とても興味深く拝読しました。友人も、立ち読みして結局買ってしまったそうですよ。
松村さんは、競技かるたもなさっていたのですね。さいきん話題の「ちはやふる」というコミックは、もうお読みになりましたか。ストーリーとデータの塩梅がよく、楽しめます。でも、素人向けかもしれません。
拙著を読んでくださって、どうもありがとうございます!
「ちはやふる」は知りませんでした。ネットで検索してみましたら面白そう! さっそく読んでみますね。
モーションスタディというのも同じようなことでしょうか。
こういうときの反応速度は高性能コンピューターより早いそうです。人の神秘を感じます。
『31文字のなかの科学』入手して読み始めました、とても興味深い内容が多いです。
優れたスポーツ選手は、先を読んで体を動かしますよね! 脳って本当に素晴らしいと思います。
拙著を読んでくださっている由、とても嬉しいです。
かつて「となりのトロコ」の異名をとった私は、一度でいいから頭より手を先に動かしてみたいです。
両方よく動かないんですけど。
私だって、かるた以外は全然ダメです!
数年前からフラメンコを習っていますが、手と足と指先、それだけでいっぱいいっぱい……。それに腰の動きや顔の向きが加わるとパニックに陥ります。
百人一首は私大好きで、昔は姉とよくいたしました。一昨年のお正月、40年ぶりに姪の家で遊び、とても楽しかったので、またの機会にそなえて時々百首を暗誦してみます。私はよく眠るたちですが、たまに眠れないとき、「秋の田の」から始め、「あ」は17首「い」は3首と数えます。「わ」までゆかぬうちに眠ることも多いのですけれど…。
かるたに親しんでいらっしゃること、とても楽しく読みました。
競技かるたでは、発音どおりに札を覚えるので「あふことの」は「お」に分類し、「あ」は16首としています。「あ」の札が多いことについて書かれた馬場あき子のエッセイもあります!