机にも膝にも木にも傷がありどこかで海とつながっている
江戸 雪
知らないうちに擦り傷や打ち身をつくり、「あれっ、何でこんなところに擦り傷が……」と不思議に思うことがよくある。同性の友達にもそういう人はいて、「そうそう!」なんて相づちを打ってくれるのだが、男に言わせるとかなり「信じられない」ことらしい。空間認識というか、自分の体についての車幅感覚のようなものが足りず、なおかつ痛みに鈍感だというのは、生物として危ういかもしれない。
ともあれ、傷というものはとても身近なものである。この歌の作者は、ふと机にも自分の膝にも、そして身近な木にも傷があることに目を留め、胸がつんと痛むような気持ちを味わった。「みんな、傷ついているのだ」という哀しみは、生きること自体の哀しみであろう。
しかし、この歌はその発見にとどまらず、どんなものにも傷があり「どこかで海とつながっている」というところにまで思いを深めたところが魅力的だ。太古の海は生命を産み出した。命あるものは、みな傷つきながら、その生を懸命に燃焼させる。いや、そこまで考えず、一本の航跡が海を裂いていく光景と自分の痛みを重ねてみるだけでもいいのかもしれない。
傷といえば、今年6月に刊行された『傷はぜったい消毒するな』(夏井睦著、光文社新書)はとても面白い本である。著者である医師の夏井さんは、傷を清潔な湿潤な状態に保つと治りが早いことを発見して以来、消毒やガーゼで傷口を覆うことをやめ、湿潤治療に取り組んでいるパイオニアである。
けがしたら「消毒&ガーゼ」で乾燥させるというのが、かつての常識だった。小学校のとき、保健委員というのはけっこう花形で、休み時間にけがした人のケアをする姿はなかなかカッコよかった。オキシフルなどで傷口を消毒し、マーキュロクロムを塗り、ガーゼのばんそうこうを貼る。かんぺきだ!……だから、夏井さんを取材する前、私はまだ半信半疑だったのだが、話は非常に納得できるものだった。。傷のじゅくじゅくは化膿ではなく、細胞成長因子を含むさまざまな物質であること、いくら消毒しても傷周辺の菌をゼロにすることは不可能なこと、そして、消毒薬はヒトの細胞膜も損なうこと……。何よりも、病院に運ばれるほどひどい種々の傷が、驚くほど短期間で治っていく様子が記録された写真を見れば、湿潤療法の治療効果は明らかだった。
夏井さんの本の面白さは、傷の治療にとどまらず、医学の常識もどんどん変わること、生物とは、生物進化とは何か、ということである。読み終わると、ちょっと世界が違って見える。この歌の「どこかで海とつながっている」という下の句に、私は夏井さんの本を思い出した。
☆江戸雪歌集『駒鳥(ロビン)』(2009年7月、砂子屋書房)
安心しました。前世はマンガのキャラクターだったかも…と思うほど三次元感覚がないので。
でも痛みには敏感です。傷に気づいたとたん死にそうになるの。あ、でも気づくまで痛くないんだから鈍感なのかな…?
ただ、この歌と解説を読んでまざまざと思い出したのは、子どものころ、机の傷を見てかわいそうでたまらなくなり、軟膏のかわりに糊を塗ったことです。
机の傷を手当てしようと思ったなんて、やさしい子どもだったんですね!
空間認識の得意な女性も、苦手な男性もいるとは思いますが、私は……車庫入れが下手です。
どんなものにも傷がある・・・
お話を「心の傷」に置き換えて読ませていただきました。
「清潔で湿潤な状態に保つ」=「綺麗にして潤いを」
心も全く同じかもしれませんね。
心にも潤いを、という共通点を見つけてくださって感激です。
本当にねえ。それには気づきませんでした!
人の体は奥が深いですね。
毎日新聞の連載はネットで読みました。
ストーリー、キャラクターの設定もしっかりしていて、大人が読んでもとても楽しかったです。ところで、作中の「リック」というキャラ名ですが、映画「カサブランカ」でハンフリー・ボガードが演じた役名からとられたのでしょうか(結末は逆ですが)?
そうですね、「自然治癒力」とも言えるかもしれません。消毒や乾燥は、それを妨げる、ということです。
毎日新聞の連載童話(あの、ルビの読みにくいネット版!)を読んでくださったとは、大感激です。リックは響きで選んだのですが、そういえば「カサブランカ」のボガートの役名でしたね。いや全く嬉しい偶然です。思い出させてくださった、ありがとうございます!