2009年09月04日

エレベーター

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  エレベーターに運ばれながら近すぎる距離があるいは悲し
  みのもと               細溝 洋子


 人との距離は、本当に複雑である。近しい人にやさしく、遠い他人にはそれほどでもなく……というのが自然な人情のように思うが、実際には、電車で乗り合わせた他人とは笑顔を交わすのに、一番近い家族に仏頂面を見せたりしてしまうのである。
 これは一体どういうことか。思うに、近しい人であればあるほど、期待値が大きいのだろう。大好きな人にこそ褒められたい、やさしい言葉をかけられたい。なのに、ずけずけとものを言われてへこみ、「何でそこまで言うかなー」と腹立たしくなってしまう。「ならば、私だって!」と妙に意地悪な気分になって、つんけんしたりする。全く愚かしいのだが、こういう感情をコントロールするのは難儀だ。
 この歌の作者は、込んでいるエレベーターの中で、他人と体を寄せ合う状況にふと違和感を覚えたのだろうか。「近すぎる……」と感じた瞬間、本当の意味で近い、大切な人との関係を思ったのではないだろうか。私の経験したような「つんけん」を、ほろ苦く「悲しみ」として思い返したのかな、と想像した。家族だからこそ、恋人だからこそ、保たなければならない距離があるのかもしれない。

  中心に死者立つごとく人らみなエレベーターの隅に寄りたり
                       黒瀬 珂瀾


 エレベーターに乗り込む人数があまり多くない場合、人は自ずと距離を保とうとして隅っこに体を寄せる。この作者は、四隅に寄った人たちを見て、まるでエレベーターの中心に死者が立っているかのようだ、と思ったのだ。ちょっと、ぞくぞくする想像である。そして、人間の心理をよく観察した一首だなあ、と感心した。
 エレベーターに乗ると、ふっと悲しくなったり怖くなったりする。秋口は何だか感傷的になってしまう。

☆細溝洋子歌集『コントラバス』(2008年10月、本阿弥書店)
 黒瀬珂瀾歌集『空庭』(2009年6月、本阿弥書店)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(14) | TrackBack(0) | せつなくも美しい恋の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
こんにちは、お取り上げいただき、ありがとうございます。ご丁寧なお礼状もありがとうございました。

えっと、僕の名前、ややこしくってすみません。「お燗」の「燗」ではなくて、「瀾」なんですー。

ちなみに、人に説明するときは「那珂川」の「珂」、「波瀾」の「瀾」と言ってます。
Posted by からん at 2009年09月04日 10:27
からんさん、
お名前を間違えるなんて、本当に失礼しました!
水と火だったら、絶対水のイメージの方なのに、どうかしていました。どうぞお許しください。那珂川は私の郷里・福岡市を流れる川です。「珂」の字は難なく出したのですが!
Posted by まつむらゆりこ at 2009年09月04日 19:14
1.ボクもエレベーターに乗る時はかなり緊張します。何故か各階を示すインディケーターを見詰めます。
2.子供の頃「エベレーター」としか言えなくて笑われていました。
3.「死刑台のエレベーター」を思い出させていただきました。ルイ・マル監督のデビュー作で多分最高傑作です。ジャンヌ・モローが冷たく綺麗でした。マイルス・デイビスのレコードを何枚も買ってしまいました。
Posted by マコトニイチャン at 2009年09月04日 22:57
社内のエレベータは、片想いの人と自然に寄り添うことができる乗り物
でも、リズムと音程のずれた心臓音を聞かれぬよう全身に力をいれていた日々を思い出しました
Posted by ひろし at 2009年09月05日 03:51
おはようございます。
エレベータの中で感じる人との距離感、なるほどなぁと感じました。言われてみれば、エレベータに乗った時、何気ない「悲しみ」を感じているのかもしれません。身近な人との関係もまったくその通りで、ごく最近、娘や自分の妹からグサっとくるようなことを言われた私は、由利子さんのお話に思わず大きく頷いてしまいました。グサットくることを言った本人たちは、笑っていますので、それに対して愛想笑いを浮かべている自分が、また悲しい><

それから、黒瀬さんの歌からは、エレベータの中でのポジション取りについてのヒントをいただきました。今度、少し混み合ったエレベータに乗った時は、堂々と中央に立ちたいと思います。生き仏のごとく^^

さて、由利子さん、秋口には由利子さんのバースデーもありますね^^
感傷的な気分は歌作りに役立つ面もあるかとは思いますが、はい、楽しく行きましょう^^
Posted by KobaChan at 2009年09月05日 07:54
KobaChanさん、
エレベーターの歌っていろいろ考えさせられますね。数人が乗り合わせたときに中央に立つというのは、けっこう勇気が要るかも(「生き仏」なんて!)
誕生日のことを覚えていてくださって、とっても嬉しいです。

ひろしさん、
エレベーターの中ってドラマチックですね。二人だけのときの不意のキス、なんていう展開もあったりして!
エレベーターって車の中に次ぐ非日常の密室ではないでしょうか。

マコトニイチャンさん、
そうそう! 私も書きながら「死刑台のエレベーター」を思い出していました。わがシネマ人生の中でベスト10には絶対入る映画です。写真を現像するのが好きなのは、この映画によるところ大かも。ジャンヌ・モローを気取って唇を厚く見せようとしていた愚かしき20代よ……。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年09月05日 09:15
松村さん、こんにちは。細溝です。
私の歌を丁寧に読んでくださって、ありがとうございます。
また、いつぞやは歌集を紹介してくださってありがとうございました。
とても嬉しかったのですが、あの時はお礼を書き込む勇気がなくて…。失礼しました。
松村さんの『31文字のなかの科学』、大変面白く読ませていただきました。
では、今後ともどうぞよろしくお願いいたします。
Posted by 細溝洋子 at 2009年09月05日 10:12
細溝さん、
コメントくださって、ありがとうございます!
『コントラバス』は大好きな歌がたくさんある歌集で、折々に開いています。
こちらこそよろしくお願いします。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年09月05日 11:06
エレベーターは、なぜか異界に旅立つ乗り物のようです。
垂直に移動し、ドアがあくと別世界で・・
最近は防犯のため、一部がガラス張りになったり、建物の外壁に取り付けられて、内外が丸見えというのもあり、その風情も薄れました。
やはり私も、乗ったら壁を背にします。これで「最後に乗り、最初に降りる」とまでなったら、まるで?
Posted by SEMIMARU at 2009年09月05日 20:51
SEMIMARUさん、
「異界に旅立つ乗り物」って、本当ですね。
私は高いところが好きなので、ガラス張りになったものも好きですよ!
Posted by まつむらゆりこ at 2009年09月05日 21:05
なんか身につまされちゃいました…。
老老介護のうちの両親、毎日がエレベーターの箱の中なのかも。
なるべく空気の入れ替えに行ってあげなきゃ、と思っているこのごろです。


ところで、エレベーターに乗るたびに思い出すのは「先のものは後になり、後のものは先になる」という聖句です。
私いつもはりきって一番先に乗って、結局「開」ボタン押したまま最後まで乗ってるの。
まちがえて「閉」押して、人はさんじゃうこともあるんだけどね。
Posted by もなママ at 2009年09月06日 17:18
もなママさん、
老老介護の日々が「エレベーターの箱の中なのかも」という思い、きっと共感なさる方も多いと思います。
聖句の連想も面白うてやがて悲しき…という感じで読みました。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年09月06日 21:12
 青磁社の週刊時評はいつも読ませてもらっていますが、初めてコメントさせてもらいます。黒瀬さんのエレベーターの歌がとてもいいとおもったので、歌集「空庭」を読むことにしました。何回かまえの協会の公開講座で私の隣に座っておられたのが黒瀬さんだたようにおもいます。秋に彼がパネラーとして出られるのを楽しみにしています。
 いい歌を紹介してもらえることは、とてもありがたいです。松村さんの過去のブログも全部読んで勉強させてもらおうとおもいます。
Posted by 山寺修象 at 2009年09月27日 10:35
山寺修象さん、
はじめまして。コメント、とても嬉しく拝見しました。どうぞよろしくお願いします。
黒瀬さんの『空庭』は、読み応えのある美しい歌集です! 言葉の世界の広がり、深みを堪能させてくれます。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年09月27日 11:53
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