ぼろぼろになるまで人は働くと職を変はりてのちまたおもふ
永井 陽子
働くということは、本当は喜びであるはずなのに、時に身も心も傾けすぎて疲弊してしまう。
先日読んだ『なぜ女は昇進を拒むのか』(スーザン・ピンカー著、早川書房)が、とても面白かった。男女の脳が違うため思考のプロセスや感情表現が異なるということは知っていたが、この本はその結果それぞれの性がどういう職業選択をし、どんなライフスタイルを求めているかを丁寧に見てゆく。分厚い本であるが、「働く」というテーマを中心に展開されるので、引き込まれて読み進んだ。調査や統計に基づくデータに、著者のインタビューによる個々のケースを交えて考察しており、説得力がある。
私が最も興味深く思ったのは、男女では仕事に求めるものが違うということだ。「他人との競争に打ち勝ち、実績をあげて高収入を得る」という、男性にとっての「成功=喜び」は、女性にとって必ずしも「成功」を意味しない。高学歴で優秀な女性たちが、収入のそれほど多くない教育分野や非営利団体で働く選択をする割合は、男性に比べて非常に高い。それは、女性が収入よりも仕事の意義を重視し、他人のために役立ちたいと考える傾向が強いからだという。また、共感能力の高い女性は家族への思いが深く、家族は二の次という仕事漬けの日々に喜びを感じられない。高収入を得て周囲に成功者とみなされている専門職の女性が、悩んだ末に長時間労働を強いられない職業、あるいは自分の価値観により合致する職業を選びなおすケースの多いことには驚かされる。
私の周囲にも、長時間会社に拘束されて体をこわしたり、心を病んでしまったりした人がいる。「ぼろぼろになるまで」なんて働いてはいけない。
この歌の作者は、職を変わってもやっぱり頑張りすぎてしまう自分を省みたのだろうか。そうも読めるが、私は周囲の人、特に男性を見ていて彼女が抱いた感慨のように思った。作者は「人間はほんにしみじみやさしくてやさしすぎたる者は死にゆく」という歌も作っている。やさしかったこの歌人は「自分も含めて、みんな働きすぎではないかしら」と心を痛めていたように思えてならない。
男も女も楽しく働ける社会。本当に難しい課題だと思う。
☆永井陽子歌集『小さなヴァイオリンが欲しくて』(2000年10月、砂子屋書房)
ごつくて立派だけど、ちょっといっぱいいっぱいかもしれない黒い実が男性で、小ぶりだけど身軽で楽しそうな赤い実が女性…?
男と女って、やっぱり脳の仕組みが違うんですね。でも、どっちにしても、楽しくない仕事をすると疲れるのは同じなような。。。
写真をほめてくださって、ありがとうございます!
「楽しくない仕事に疲れる」のはたぶん両性とも同じでしょう。どっちかにとって楽しいことが、もう片方にとってはそれほど楽しくない、ってこと、日常にもいろいろありそうな……。
男女で仕事に求めるものがちがう、というのは、脳のちがいもさることながら、親の意向というものあるのでは?
有名校→大企業or官公庁などというコースにすすめようと、尻をたたかれるのは男子だと思います。女子でそんな経験をもった人は少ないと思います。
女子のほうが、自分の意志で進学、就職して充実した職業生活を送ってる人が多いような気がします。
国家を揚げて、それを実行している國もある。この年になって、「国民総幸福量(GNH)」ということを知った。
単なる憧れではなく、国を挙げてやっているアジア国家がある。
日本も、「国を挙げて」という文化があるのだから、マネーをまだなんとか、コントロールできるリーダーシップが必要ではないかと感じた。(←オリンピック招致投票決定前の各国のプレゼンを聞いて…)
『なぜ女は昇進を拒むのか』には、親や恩師の期待に応えようと、本当は人文系の方に関心があるのに理数系の道を選び、社会的評価の高い仕事に就いた女性たちのケースが出てきます。「女は家庭、男は仕事」という足かせの代わりに、別のプレッシャーが生じているという話を、とても興味深く思いました。
Rommelさん、
GHNという考え方は、本当にいいですね。仕事もお金も、ほどほどに分配されるといいのに…と素朴に思ってしまいます。
動機は多くの女性と少数の男性の言動について「なぜ?」が多かったからです。
その違いが理解できた今は、「なぜ?」の回数が以前の半分以下、仕事上のストレスも半減、少しは仕事を楽しく出来るようになりました。
そして、男脳と女脳の違いは価値観の設定時に顕著にあらわれ事も知りました。
(ここでの違いとは「体」の違いではなく「脳」の違いです)
同感です! ある性向が個人のものではなく、異性にわりあい共有されるものだと知ると、「なぁんだ」と安心(あきらめ?)が得られて落ち着きます。脳の違いを知ることは、お互いのためになると思います。