わしんとんに他国の基地を設けみよ音速超える爆音聞いてみよ
田村 広志
米軍普天間基地の移設問題を巡り、さまざまな動きが報道されている。県外移設が検討されてきたが、かなり難しいようだ。
沖縄の人たちの表情が伝えられるたびに胸が痛む。「なんでいつも沖縄なんですか」。街頭でコメントを求められ、絞り出すように言葉を放った女性の表情は痛々しかった。その言葉に込められた思いは、戦後ずっと沖縄の人たちが抱いてきたものだろう。基地問題だけではない。第二次世界大戦のころの差別や軍から受けた仕打ちの数々は、今も消えることのない深い傷となっているのだ。
沖縄本島を車で移動したとき、走っても走っても基地のフェンスが続くことに圧倒された。やりきれない気持ちになった。けれども、それくらいでは、目の前に基地があり、日々騒音の中に暮らしている人たちの悲嘆には到底とどかないと思う。
この歌の作者は、1941年生まれ。出征した父親は、沖縄で戦死したという。
戦場からのハガキ一枚写真二葉父につながる記憶のすべて
四人の子遺され戦争未亡人。こぼれ繭なり母のひと世は
千葉県生まれの作者であるが、父の亡くなった地である沖縄へは特別な思いを抱いており、何度となく足を運んでいる。
ひらがなで書かれた「わしんとん」は悲しい。米国の首都「ワシントン」とすれば、不穏な、またストレート過ぎるメッセージになるが、やわらかな「わしんとん」は、何か架空の都市のような感じもあり、そこに他国の基地を設けることも爆音を聞かせることも絶対にあり得ない遠さが漂う。
新聞社を辞める前の年、「戦後60年」という年間企画に関わった。そのとき、「ああ、自分は戦争が終わって、たった15年しか経っていない頃に生まれたんだ」と初めて感慨深く思った。母が幼いとき「金鵄輝くにっぽんの〜」と歌いながらまりつきをしていたこと、祖母が大切な指輪などを惜しげもなく供出してしまったこと……戦争についていろいろ聞かされていたのに、自分は戦争とは遠く隔たった世代だと思い込んでいた。
私たちの想像力は本当に貧しい。なかなか遠くへ働かせることができない。だからこそ、歴史を学び、ニュースを深く分析しなければいけないのだと思う。
☆田村広志歌集『島山』(2004年11月、角川書店)
記憶のある人もだんだん少なくなり、風化が心配です。
世界規模で見れば、内戦、民族紛争と、戦火の絶えることがありません。
でも、現代は報道により、戦争の実態を知ることができます。
ベトナム戦争を終わらせたのはカラーテレビ(それも日本製!)という話もあります。
戦場の血の色をよりあざやかに映すカラーテレビを見たアメリカの一般国民の多くが反戦市民運動に参加したといいます。
報道の役目というのはとても大事だと思います。
純粋に沖縄を日本が護り、返還を果たした政治家もいた、またその後の米軍基地について(韓国などもだが)正面から取り組む力が欠けていた日本政治がある。
私自身も、幼き頃より海軍兵学校受験に因島へ向かっていたこと、戦後混乱によって思想を転換したことを子守歌のように聞かされてきた。
この齢になって、ドイツが徹底的に非ナチ化をしたことをお手本にして、日本人一人一人が、単なる自国を正当化する歴史教育だけではなく、戦争のむごさを若い世代に教えるよう、転換していくべきなのではないかと、思うのだが…。
現政権第一期目が始まり、広い意味での「経済戦争」に取り組んでいるようである。来期の選挙では、戦後教育のしっかりしたメッセージを国民に訴え、与党(あるいは連立加入)になれる政治へ変わっていければと思う。
「戦後60年」企画では、戦争を知る人から直接、話が聞けるぎりぎりの時期だったことを痛感しました。報道の役目について、改めて思うばかりです。
Rommelさん、
政治は一人ひとりが動かすものだと信じたいです。よりよい歴史観をもつために、学び続けなければならないのだと思います。
本当にそう思います。
お人柄がしのばれる謙虚なご返答に、感じ入っております。
いえいえ怠けごころに負けて、軽いものばかり読んでしまうことも多いのです。読むべき本の多さを思うとため息が出ますが、少しずつでも……。
「鬼のドキュメント軍曹」とは、カッコいいですね!
今月は私も新聞を二紙購読することになり、朝からリッチな気分です(日経の「私の履歴書」は、11月1日からノーベル物理学賞を受賞した益川敏英さんなんです。嬉しいなぁ〜〜)。