2009年11月13日

昭和の空

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 末期の眼あらば見たきよアドバルーンいくつも浮かぶ昭和の空を
                     藤原龍一郎


 この歌を読んで、斉藤茂吉と古賀メロディーを思い出した。いったい何の関係があるのか、と不思議に思う人も多いだろうが、多分この歌の作者は、昭和11(1936)年に発売され、翌年映画の挿入歌として使われてヒットした「ああそれなのに」(古賀政男作曲、星野貞志=サトウハチロー=作詞)を念頭に置いて作ったのだと思う。この歌の冒頭が「空にゃ今日もアドバルーン」なのである。
 全体的にのどかな、しかしちょっぴり物悲しいメロディーである。さびというか終わり近くの「ああそれなのにそれなのにねえ」というリフレインが小唄のようで、つい口ずさみたくなる魅力がある。

 鼠の巣片づけながらいふこゑは「ああそれなのにそれなのにねえ」
                        斎藤 茂吉


 茂吉の愛すべき一首にこんな歌がある。歌がはやった当時、茂吉は50代に入ったばかりであり、20代の永井ふさ子と恋愛関係にあった。昭和12年3月に、ふさ子宛に書かれた手紙には「あゝそれなのにそれなのにネエです」と、会いたい思いを募らせる心情がしたためられている。近代の大歌人、茂吉が流行歌に自分の気持ちを託したのかと思うと、この歌の味わいもまた深まってゆく。
 私は「鼠の巣」の歌に漂う何ともいえない可笑しみと生活の匂いが以前から好きだったが、「ああそれなのに」の歌についてはほとんど知らなかった。先日調べものをしていて、この歌の歌詞全部とメロディー、また英訳された複数の歌詞を知るに至った。"Today in the sky ad-balloon"で始まる和製英訳がこれまたおかしくて、昭和初期の雰囲気を改めて興味深く思うのだった。
 「アドバルーンいくつも浮かぶ昭和の空」は、のどかな雰囲気に思えるが、実際には曲の発売されたのは二・二六事件の起こった年であり、翌年には盧溝橋事件を契機に日中戦争へと突入する。のんきにぷかぷかと浮かぶアドバルーンの背後には、暗い時代が迫りくる不穏な雰囲気が漂っていたのだ。この歌の作者は、今という時代と「昭和の空」を重ねて見ているように思える。平和そうに見えて平和ではない時代。歴史はいつも、後になってみないと分からないのだが、作者はそれを先取りして何か警告したいような気分なのではないかと思って読んだ。

☆藤原龍一郎歌集『ジャダ』(2009年10月、短歌研究社)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(9) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
最近アドバルーンって見ないですね。
見かけるとそれだけで郷愁をさそわれます。

先日久しぶりに上がっているのを見たんですけど、うちの娘は「アドバルーン」という言葉すら知りませんでした。

「いくつも浮かぶ空」
たしかに昭和の風景です。
Posted by もなママ at 2009年11月13日 18:10
アドバルーンは、昭和、それも高層ビルのほとんどなかった高度成長以前のムードです。

2.26とアドバルーンというと、よく歴史の本にのってる写真で「勅命下る軍旗に手向かふな」と記された投降をよびかけるアドバルーンを思い出します。
 高層ビルでアドバルーンはほとんど見えなくなりました。それだけでなく、見えなくなった重要な何かがあるような気もします。

Posted by SEMIMARU at 2009年11月13日 20:14
もなママさん、
えーっ、「アドバルーン」そのものを知らないなんて〜〜。なんか自分が昭和の空に取り残されたアドバルーンみたいな気がしてきました。

SEMIMARUさん、
本当に! 「昭和の空」というか、自分が子供だった頃の空には、何か明るくてのんびりしたものが浮かんでいたように思います。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年11月13日 23:12
とても楽しい短歌エッセイですね。

でもボクの興味は「ああそれなのに」。

その英訳ボク知っています。ボクよりひと回りくらい上の先輩(その人からは無数の猥歌、「一つ出たホイ…の類」や替え歌「いやよ止めてそんな事、そうはさせぬアソコ…、(KO大応援歌『若き血に』など実に下品且つ貴重なる古い時代の学生文化を教えていただきました)から伝授されています。
改めてNETで調べてみると(暇なもので)、ゆりこさんおっしゃる通りいく種類も英訳版があるのですね。どれが主流ということはなさそうですが、その全部でボクの記憶と違っている個所がありました。
Ah nevertheless, nevertheless, you see
 (ああそれなのにそれなのに ねえ)
この ねえ が You see に該当するのですが、記憶では、ここが don't you なのです。しかもこの翻訳?ではここが一番気に入っていたところなので余計オヤッと思ったわけです。何が don't you かさっぱりわかりませんが変に英語っぽくて優れていると思いませんか。

すみません、また本筋から外れたところでつまらないコメントを書いてしまいました。反省してます。
Posted by マコトニイチャン at 2009年11月14日 00:51
マコトニイチャンさん、
お楽しみいただけましたか。
「ねえ」が、don't you? という訳はありましたよ! この訳、秀逸だと思いました。それでもって、nevertheless は「ねばざれす」と平坦(?)に読むんですよね。いやあ、渋い……。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年11月14日 08:04
「ああそれなのに」・・・
美ち奴さんが歌った名曲ですね。
最後の「あたりまえでしょう」の節が、「あったりまえでしょう」と聴こえるのが、とても印象的な歌だと思います。
由利子さんもこの歌ご存知なのですか?
実は、私もですねぇ、この歌知っていました。私、そんなに若くもないですが、同年代でこの歌を知っている人は、ごくごく少ない、いやまずいないような気がします。
なにしろ、大みそかには、レコ大の裏で放送されていた懐メロの番組を、家じゅうそろって見るような家庭で育ったものですから、ごく自然に懐メロに詳しくなってしまいました。
あっ、すっかり私ごとで恐縮です。

アドバルーン・・・
今でも時々見ます。住宅展示場のPRなどで^^

「昭和の空」と「昭和の歌」
いいですねぇ^^
Posted by KobaChan at 2009年11月15日 21:34
KobaChanさん、
いやいや、歌というものは親や年上の人が歌っているのを聞いて覚えるものです。私も「とんとんとんからりと隣組〜〜♪」なんて歌えますよ! 「ああそれなのに」をご存じだということ、とっても嬉しいです。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年11月15日 23:31
 ブログに一番反応があるテーマは「食い物」と見ておったのですが、「歌」ってのもあったね。これも今の歌ではなく少し前の歌。わかるような気がします。ネバザレスというのもきいたことがあるような・・・。この前、運動部の若手に猥歌が通じずよわりました。ぼくらのころは英訳版もあったというのに。
Posted by 冷奴 at 2009年11月16日 11:24
冷奴さん、
歌を広い世代で共有できた時代は、本当にしあわせだったと思います。song の歌でさえそうなのですから、poem の歌は、もっと寂しい状況なのかな、と心配になったりもします。どちらの歌も、たくさんの人に口ずさまれてこそ、という面がありますよね。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年11月16日 11:48
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