2009年12月18日

戸籍

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 戸籍から戸籍へ移るも旅ならん〈英子〉の二字がわが具体なり
                       鈴木 英子


 来年1月に仕事でアメリカへ行くことになった。ちょっと弾んだ気持ちで、向こうの友人と連絡を取り合ったり、フライトを予約したりしていたのだが、はっと気づくと、パスポートの期限が立派に切れていたのであった。
 慌てて区役所へ行き、必要書類である戸籍謄本を取ってきた。8月に期限切れになっていたパスポートは10年パスポートだったので、実に10年ぶりに自分の戸籍を見たのだが、やっぱり不愉快になった。ほとんどの人は、自分の戸籍を見ても何とも思わないだろうが、離婚した人間にとって戸籍は、いつまでも離婚した事実を突きつけてくる。そして、もし再婚したら、同じ1枚の紙に、昔の配偶者と新しい配偶者の名前が共存することになるのである。それは、あまり面白いこととは思えない。
 「戸籍なんて、単なる記録じゃないの」と思う人もいるかもしれない。しかし、それならば、なぜ自分の産んだ子の名前が、私の戸籍のどこにも記されていないのか。戸籍というのは家族を単位にした記録でしかない。戸籍筆頭者を中心に考えられたシステムなのである。
 例えば、夫を戸籍筆頭者にして結婚した女性が、子どもを連れて離婚し、別の人を戸籍筆頭者にして再婚した場合、そのままでは子どもは新しい夫の戸籍には入らない。「入籍届」を出すと、同じ戸籍に入り同姓にはなれる。しかし、そうしても新しい夫と子に法的な親子関係は生じないので、実際には養子縁組の手続きをすることが多い。養子縁組手続きを経て、その子は女性の新しい夫の「養子」として記載される。その子が女の子であった場合、彼女は何年たっても「養子」だが、もしお母さんと新しいお父さんの間に新たに女の子が生まれたら、その赤ちゃんが「長女」になる――。何て融通の利かないシステムなんだろうと思う。
 芸能ニュースなどでは、「結婚」の意味で「入籍」という言葉がよく使われる。新聞社にいたときは、ゲラでそういう見出しや記事を見つけると、「これ、違いますよ」といちいち出稿部や整理部に言いに行っていた。「入籍」は、「ある人が既存のある戸籍に入ること」なので、初婚者同士の結婚では、まずあり得ない。親の戸籍からお互いが出て、二人の新しい戸籍がつくられることが多いはずだ。しかし、あまりにも頻繁に「入籍」が使われているので、もう誤用が一般的になってしまうかもしれないと、近頃ではあきらめ気分である。
 数日前、あるテレビ番組で、性同一性障害のカップルが法律婚までたどり着いたケースが取り上げられていた。彼らは性転換手術を受けて戸籍を変えた。戸籍などどうでもいいではないか、という人もいるが、パスポート取得のときなど、いろいろな場面で戸籍謄本(抄本)は必要になる。さまざまな苦労やつらい気持ちを経験し、「名実ともに結婚したい」と願った、そのカップルの熱い思いに私は打たれ、性別が変えられるようになったのを本当に喜ばしいことと思った。
 現代における家族のあり方や人々の感覚に合わない部分が、戸籍にたくさんあるのは明らかだ。私自身はもはや要らないのではないかと思うが、まだ使い続けるのであれば、性別が変えられるようになったように、少しずつ時代の変化に適応されなければ、と強く願う。そして、戸籍が「実質的には個人の記録」というのであれば、年金記録のようなものをこそ、きちんと管理してもらいたい。
 鈴木英子さんの歌は、結婚によって姓の変わる女性が「戸籍を移るなんてちょっとした旅のようなものであって、自分自身はちっとも変わることがないのだ」と、かろやかに表現したものだと思う。拘らない自然体がとても羨ましい。でも、私は多分、ずっと拘り続けるだろう。

 婚のことなど国に届けてやるまいと太閤嫌いのわが矜恃なり
                        松村由利子


 ☆鈴木英子歌集『淘汰の川』(ながらみ書房、1992年)
 ☆「短歌研究」2008年9月号


posted by まつむらゆりこ at 08:47| Comment(14) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
由利ちゃんのそんなところが「記者魂」ゆずりの人格で魅力的なんじゃないでしょうか(笑)?

私はオトコで離婚協議中なので、子供たちの姓をどうするか、等々、中期的な思案で考え事をしたことがあります。
でも、はっきり「雲間に光が差してきた」考えは、「血は水より濃し」という誰がいったか、Hitlerか、の名文句と共に、親子の「気持ちが繋がった感覚」さえ確認できればよいのだ!ということでありました。

実は、私はパスポートコレクションをして、たくさん想い出を創るのが、今の時期の私が出来ること。そして、体が動かなくなったときに、その想い出を持って死にゆくことが理想です(ちょうどAn Affair to Remember,邦題「めぐり逢い」Debograh Karr, Cary Grant主演での老婆が二人に語りかけた雰囲気)。

私の気持ちは鈴木英子先生の気持ちもオトコとしてよくわかりますね
Posted by ErwinRommel at 2009年12月18日 10:07
戸籍ってもともと徴兵と納税のために始まったのではなかったでしたっけ?だから天皇家は戸籍がない。この歌は姓がどうあれ私は私と言う意思表示に受け取るのは深読みでしょうか。
Posted by morijiri at 2009年12月18日 14:32
Rommelさん、
いろいろありますが、本当のところ紙一枚のことなんだと割り切ればいいんでしょうね。

morijiriさん、

私も「姓がどうあれ私は私という意思表示」と読みました。心の奥底では、そう思ってはいるのですけれど……。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年12月18日 18:02
三年前に主人に先立たれ、相続の手続きは三代前迄遡り、分厚い謄本を取り寄せた時は大変でした。これとは別の意味で怒りを感じるの良く解ります。
Posted by コビアン at 2009年12月18日 20:03
コビアンさん、
相続の時はまた別の大変さがあるでしょうね! 誰のためのシステムなんだろう、もっとシンプルにならないかしらと思ってしまいます。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年12月18日 21:30
一列に並んだ凧の写真を配したところがニクイですね!
この記事を読んで、夫の実家から「男を産め」と言われ続けたことを思い出しました。女はこの一本の凧糸にはつながらないからでしょうか。

もう産めないトシになって、ちょっぴり安堵。三人の娘たちには、列に連ならずに自由に大空を舞ってもらいたい。

・・・まあ、男の子もひとりくらい育ててみたかったけど。生まれていたらやっぱり何も考えずに「跡継ぎ」なんて言っちゃってたんでしょうか(苦笑)。
Posted by もなママ at 2009年12月19日 07:46
もなママさん、
写真についての素晴らしいコメントに拍手です!!
「男を産め」というプレッシャーがあったなんて驚きました。これからの子どもたちは自由に大空を舞ってくれることでしょう。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年12月19日 11:09
戸籍の話しではありませんが、つい最近、
「KobaChanの心情は痛いほどわかりますが、ルール上、ご希望に添うことはできません。」
と、あくまでも穏やかに、しかも冷たくキッパリと断言される出来事がありました。
なんて融通が利かない人だと、ムカっと来て文句を言いましたが、
あくまでも穏やかに、しかも冷たくキッパリと同じことを言われました。

いい加減頭に来たので、とことんボロボロに言い倒してやろうと思い、もっともらしい文句をその人に思いっきりぶつけました。
しかし、穏やか、かつ、冷たい態度のその人を、自分が傷つけていることに気付きました。冷静さの中にも、その人の悲しい気持ちが自分にも戻ってきたのですね。
その人にも、人の血が流れているのという当たり前のことを感じたのです。

話題を変えて、その人の仕事の苦労も感じるし、あくまでも穏やかに話を進めることがスキルに、すごく感動したし、勉強になったよということを伝えました。
そうしたら、その方の態度もそれまでと全く変わり、本来の話題とは大きくそれて、旧来からの友人のように話すことができました。

その時、それまでとことん拘ってた私の心情や事情、
また、融通の利かないルールのことなども、
どうでもいいやと思えました。

心底頭に来た相手から、話し終えたら
とても優しい気持ち、癒しの気持ちをもらえました。

どうにも融通が利かない制度やルールが、
この世にはたくさんありますね。
Posted by KobaChan at 2009年12月19日 13:00
 いろいろなこだわりがないと、人生はつまらないのでしょうが、あんなん紙だけじゃんということで……。とはいえ、いとおう×をつけた身としてはその辺のことをもっとちゃんと考えないといけないのかなぁ。反省。
Posted by 冷奴 at 2009年12月19日 13:07
KobaChanさん、
なんだか胸があったかくなるメッセージをありがとうございました。人間のシステムはどう変わろうと理想的、完璧なものになんてならないのかな、と思わされました。やわらかく受け止められる自分になりたいと思います。

冷奴さん、
お励ましのメッセージと取りました。紙のことなど笑い飛ばせるようにならなくちゃ、ね!
Posted by まつむらゆりこ at 2009年12月19日 23:26
ご無沙汰してます。
私の両親の戸籍は少々複雑でした。
父は血のつながりの無い家に大人になってから養子に入り姓が変わりました。
母は一度目の夫と死別。私の兄はその人との間にできた子供。
2人は出会い、母が父を養母の元からトラックの荷台にのせて連れ去り、同居開始。
やがて私が2人の間に生まれますが、戸籍上は両親は夫婦ではないので母の籍へ。”私生児”といじめられると思ったのか、小学校に入る前に慌てて認知。(これで”庶子”??)
小学生の頃、父がちょっとしたことで地元の警察に表彰された時の姓がまったく聞いた事のない(父方の親戚の生徒も違う)ものだったので不思議に思ったのを憶えています。
私の事を父はずっとゴミ箱の横で拾ったと言っていたので、私の家の戸籍は変なんだな、と思っていました。
実は全ての流れを把握したのは数年前、母が妻に話したのを又聞きしてからです。

いろいろあったという事なのですが、両親も兄も私も気になりませんでした。父は戸籍なんて役人が自分たちの仕事をやりやすくするためだけのもの・・・どうでもいい、と思っていたのでは、と思います。

海外にも行かなければ、遺産も無い、稼ぎが無いから税金も納めた事が無い、人から非常識と言われても全く気にならない、”普通”ということを嫌う、そんな父だから、だったんでしょうけどね。今の世の中なかなかそんな風には生きられない、のかもしれません。
Posted by chibinemu at 2009年12月20日 03:15
chibinemuさん、
なんだか自分がこだわっていたことが、おかしくなりました。本当に「どうでもいいこと」に思えてきました! ありがとうございました。
Posted by まつむらゆりこ at 2009年12月20日 13:43
入籍ってそう意味だったんですね。
マスコミも間違ってるのですね。良く判りました。
良いお年を。
Posted by むうむう at 2009年12月31日 22:18
むうむうさん、
マスコミは今も昔も、時々間違うので、私たち一人ひとりがしっかりしないといけないと思います。新しい年もよろしくお願いします!
Posted by まつむらゆりこ at 2010年01月01日 00:09
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