
福袋みな持つて乗るひるでんしや福は膨らんでゐてみな同じ型
馬場あき子
新しい年を迎えた。何だかやっぱり嬉しい気持ちになる。
福袋を見ると、福岡の旧友を思い出す。彼女は学生時代から毎年一月に、友人たちと「福袋大会」を催している。参加者それぞれが同じ値段の福袋を1つずつ買って集まるという楽しい企画である。
自分が買った福袋であっても、大会まで決して開けてはいけない。必ずその場で広げ、参加者全員で物色し合うのだ。それから、準備された「投票用紙」に自分の欲しいものを書いて投票する。たとえば、「フリル付きの白いブラウス」だとか、「色鉛筆セット」だとか……。競合する相手がいなければ、投票した品物は自分のものになる。もしバッティングすれば、ジャンケンなどで決める。十数人も集まれば、ブランド品や食器の福袋、台所用品の福袋などいろいろなものが集まり、場はなかなかに熱くなる。
私もこれまでに3回参加したのだが、なぜかいつも誰も選ばないものを選ぶようで、非常に歓迎されるのであった。
この歌の作者は、みんながこぞって福袋を買う風潮を、ちょっぴり疎ましく思っているようだ。「みな持つて」「みな同じ型」に、かすかな批判が滲んでいるように感じる。「ひるでんしや」の長閑な感じは、たぶん平和に慣れきった日本の緩んだ雰囲気をやんわりと批判したものだろう。でも、幸福というものは平凡な形で、似たりよったりだという箴言めいた言葉と解釈してもよいかもしれない。読むときの気分によって、少し印象が変わる歌のように思う。私も、これは本当は批判の歌だと思うのだが、福袋大会という、ささやかな同窓会を楽しんでいる友人たちを思い出すと、お正月だけはこの歌を「福」に関する寸評だと解釈してもいいかな、と思ってしまう。
新しい一年、多くの出会いや収穫がありますように。
☆馬場あき歌集『ゆふがほの家』(不識書院、2006年10月)
福岡のお友達との「福袋大会」、楽しそうでいいですね。みんなでその場で開いて、自分が欲しいものをゲットでいるというのがいいですね。
今回の歌は、ゆりこさんのお師匠さんの歌なのですね。
「福は膨らんで」の所がいいですね。
みな同じ型なら「袋は膨らんで」の方が自然だと思うのですが、あえて「福」が膨らんでと歌っていて、縁起がいいですね。
この表現から、福袋からみんなに大きな福が訪れるようで、とても温かみがある歌だなぁと私は感じました^^
今年もゆりこさんの歌やエッセイなどを、たくさん楽しませていただきたいと思います。
今年もどうぞよろしくお願いします。
1日が金曜日だけど書くのかな、と思っていたら、ちゃんと新しい自由帖を読めて、今年は何か得した気分です。
福袋。皆同じ。批評的に取れば批評的な歌。でも、平凡こそ幸せ、と思えれば幸せ。由利ちゃんの解説をなぞっただけのような書き込みですみません。でも、この歳になって、平凡が一番、という気がしています。
極平々凡々と。
孫たちの笑顔弾けてお正月
元日から温かなコメントをいただき、とても嬉しかったです。今年もどうぞよろしくお願いします。KobaChanさんを始め、みなさんにますます楽しんでいただけるブログにしたいと願っています。
濱徹さん、
「平凡が一番」ということば、若いころは「ふ〜ん」なんて思っていましたが、年々深いものを感じますね。
お正月の一句もありがとうございました!
明けましておめでとうございます
本年も宜しくお願い致します
と言いますか、以前から愉しくブログを
拝見させていただいておりました。
この僕も素人ではありますが、
恥ずかしながら、拙い短歌を書いております。
このたび誠に勝手ながら、リンクをさせて頂きました。
何卒宜しくお願い致します。
こちらこそ、今年もどうぞよろしくお願いします。
tokoroさん、
はじめまして! リンク、どうもありがとうございます。すてきな写真がたくさん掲載されていて、魅力的なブログですね。どうぞよろしくお願いします。
山寺修象さん、
何と! その頃は私はかりんにはまだいませんでした。それでは私の先輩ですね。
今年も毎週金曜日が楽しみです。
元旦は休みと思っていたので更新されていてうれしかったです。
今年もよろしくお願いします!
元日は頑張って書きましたが、1月下旬はちょっと仕事で日本を離れるので、更新できないかもしれません。ごめんなさいね。
今年も宜しくお願いいたします。
福岡の福袋大会、楽しそうですね。
「岩○屋」とか「井×屋」のでしょうか?
引用歌は、福がみな同じ型というのは、おかしい、といってるようにも見えます。
それぞれの人に、いろんな福があってよいのではないかと思います。
しかし、正月2日の風物詩が福袋というのは、やはり長閑でいいですね。
今年はゆりこさんに大きな大きな福が来そうですね。がんばってください。
そうです。今は「三○」とか、「イム○」とかかなり多様化しているみたいですよ!
長閑な新年がどこの国でも迎えられますように。
コビアンさん、
今年もよろしくお願いします。皆さまにも大きな福が来ますように!
昨年は「遠き鯨影」で短歌研究賞受賞なさって、おめでたいニュースにわき返りましたが、今年は福袋に入りきれないような「おめでたい」ことがありそうな予感がいたします。今年もさらなるご活躍と幸多きことをお祈りいたします。おめでとう!
今年もよろしくお願い申し上げます!
受賞というのは、一緒に喜んでくださる方が多いほど嬉しいものなのだな、としみじみしております。
去年はいっぱい受賞されたんですね!!
それに、子どものお話の連載もされたし、実り豊かな一年でしたね。
今年もますますのご活躍、期待しています!!
福が「膨らんでみな同じ」なのは良いのではないでしょうか♪
ひとりだけ膨らんでなかったらさびしいもの(笑)。
どの人の心も福でたっぷり膨らみますように! 今年もどうぞよろしくお願いします。
馬場さんの歌は、確かに皮肉めいたくだりで共感する。同時に、これを歌った時代背景は、戦後の一定の収束を得た「平和」であると思う。
今を生きる由利子さんは、どのような歌を歌いたくなるのか興味津々でありまする。
最近、某大手広告代理店チームが書いた本で、「タグ化」を題材にした、市場分析の本に目を通した。
2Dacade前位に語られた、ネットワーク組織論(金子郁容先生だったと思う)を進化させた概念のようだ。
道歩く人の「福袋」を見ると、中身が見えるモノが増えてきているようだ。(首都圏でもそうではないですか?)
小生は、可視化→想像力の減衰という図式が、急速に進んでいるように感じる。
想像力が必要な短歌を含む芸術は、どこへ行くのか、一抹の不安を感じるのは私だけであろうか?
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
幸福は、それぞれがどういうふうに思うかによって違うと思うので同じ形ではないけれど、心がみな同じように福で膨らむという考え方は素敵ですね。
「ひるでんしや」は「平和」の象徴だという読み、鋭いです!
くららさん、
今年もよろしくお願いします。「福」って、夢や希望のことかなあ、と思います。形のあるものではないような。
私も現実の「形」のあるものではないと思います。でも「幸福の形」は人それぞれとも思います、この場合の「形」は実態のあるものという意味に限定されません。心のあり様というか…。
それにしても、福岡の福袋大会は楽しそうですね。
私は福袋なるものを買ったことがありませんが、頂いたプレゼントの包装を開ける時、わくわくドキドキします、中身がわからない福袋も同じ? そして、そのわくわくは夢や希望を思っている時のわくわくドキドキに似ていますね。
あっ、私の言葉が足りませんでした。ごめんなさい。
形がないというのは、「願いが成就したものとしての福」ではなく、その願い自体さえ輪郭があやふやな、とても漠とした夢や希望、というふうに書きたかったのです。くららさんの言う「心のあり様」に重なっているのではないかしらと思います。