2010年01月08日

似るな

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  ねんねこに包まれてゐしはもう昔この子が私に似ませんやうに
                     河野 裕子
  似るな似るなといひて育ててきた息子冷蔵庫にてあたまを冷やす
                     米川千嘉子


 子どもが生まれると、人はどんなことを思うのだろう。
 生まれる前は確かに、「どんなところが私に似るかなあ」と無邪気に楽しみにしていた。でも、自分と別の人格をもった一人のひとが、本当に眼前に現れると、とても怖くなって、「どうか、自分にだけは似ないでほしい」と思ったのを覚えている。
 そういう気持ちは、父親よりも母親の方が強いのだろうか。ここに挙げた二首は、いずれも女性の作品である。
 一首目は、母親である自分を超えてもっともっと大きく羽ばたいてほしい、というような気持ちが感じられる。自分の子が「ねんねこ」に収まっていた頃をとうに過ぎた感慨は、誰もが経験するものだろう。そして、この歌にはどこか、微かな疲れが漂っているのが悲しい。
 二首目は、さらに内省的な作者像が窺われる。というのも、「冷蔵庫にてあたまを冷やす」という素っ頓狂なことをしている息子をこよなく愛し、「ああ、自分に似なくてよかった」と安堵しているような感じがするからだ。「似るな似るな」とは思ってきたけれど、ここまで私と違う生き物に育ったとは……という、半ば呆れたような愉快な気持ちと読めないこともない。でも、私には「安堵」が強く感じられる。
 いろいろな事件が起こると、いまだに加害者の親にコメントが求められ、責任が問われたりもする。けれども、「似ませんやうに」「似るな似るな」という思いは、そういう、この世の責任を回避するような小さな思いとは全く違う。それは、自分から一人のひとが産まれたことへの畏れである。自分のような人間に育てられたことで、このひとが持って生まれたよき資質が台無しになるような、そんなことがありませんように、と願う心でもあろう。
 ある年齢を過ぎてから、よその子を見かけると、幼稚園児であろうと高校生であろうと、愛おしくてならない。たくさんの可能性をもった自分より幼い者たちへの思い、それは多分、産んだ経験の有無とは関係のない思いである。こんなあったかい思いがあることを、若い頃は知らなかった。「似るな」と念じなくてもよい分、この思いは心地よいものかもしれない。人の心は不思議である。

☆河野裕子歌集『葦舟』(角川書店、2009年12月)
 米川千嘉子歌集『滝と流星』(短歌研究社、2004年8月)

posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(14) | TrackBack(0) | 元気の出る子育て短歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 あれは確か、松村さんが短歌研究新人賞をお取りになった直後でしたでしょうか、近詠30首に、坊やの手の形が父親のかたちに似てくることに複雑な気持ちになるというようなおうたをつくられたことがありましたね。あれを思い出しました。この歌を最初に拝見した時、う〜んと思ったものでした。たぶん、時の移ろいとともにそういった気分は薄れておられるのではないかと思います。すべてを解決するのが時ということではないでしょうか。
Posted by 冷奴 at 2010年01月08日 11:31
こんにちは。
僕は男ですが、やはり子を持つ親のひとりとして、
とても頷けるものがあります。

子どもの頃、生真面目で実直なだけの父に似たくない、
そう内心思いながら大きくなり、
いざ、自身の子どもを持ったとき、
出来れば僕のような大人にだけはなって欲しくない、
そんな勝手なことを考えるようになりました(苦笑)

上に紹介された二つとも、愛情に満ち、しかも
複雑で微妙な親と子の心理を詠んだ秀歌ですね。

特に二つ目の歌には「似なくて良かった」という安堵、
そして「やっぱり何処か似てしまったかな..」
という、二重の心理のようなものを感じた次第です。
Posted by tokoro at 2010年01月08日 14:15
河野裕子歌集を読んだけど難しかった。だけど上記の一首は分かりやすいと思った。
Posted by 中村 at 2010年01月08日 19:00
冷奴さん、
本人も忘れていたようなことを覚えていてくださり、恐縮というか冷汗三斗というか……時は、本当にありがたい薬だと思います。

tokoroさん、
二首とも「愛情に満ち、しかも複雑で微妙な親と子の心理を詠んだ秀歌」というコメント、とても嬉しく拝見しました。「やっぱり何処か似てしまったかな」という思いを読み取られたところにも脱帽です!

中村さん、
今回の歌集は、死を見つめたうえでの日常の感慨が多かったので、難しいと感じられたのかもしれませんね。何か透徹した思いが詠われた作品が多いと私は感じました。
Posted by まつむらゆりこ at 2010年01月08日 22:55
米川さんの歌を僕は、逆接として読みました。「似るな似るなといひて育ててきた息子」は、(自分がかつて子供のころやったように)「冷蔵庫に」あたまを入れるようにして「あたまを冷や」している。という内容にとりました。作者の感慨は全く入れず、特に下句が実際の描写のみの文体です。とてもいい歌だとおもいノートに書き写ました。前後の歌を読んでいないし、最近の米川さんの歌や米川さん自身を知らないので誤解かもしれませんが。
 日本語の特質、短歌の一首の流れとしてそう読み取るのが自然だとおもいました。
Posted by 山寺修象 at 2010年01月09日 10:28
山寺修象さん、
逆接という読み、とても面白いですね。大らかで、わが道を行くお母さん像が浮かんで来て、楽しくなりました。
Posted by まつむらゆりこ at 2010年01月10日 10:20
二首目、思わず苦笑しました。昔々、猛暑の日、帰宅直後冷蔵庫に頭を入れ冷したことが一度だけあります。幼い息子はそれを見ていたらしく後日同じ事をしたと妻から話を聞きました。妻はその事に象徴される私の言動型式が嫌だったのでしょう。息子に「お父さんに似ないで」とよく話していたそうです。時は過ぎ、息子は体つき私そっくり、言動は「妻の型式」そっくりと育ち社会に巣立ちました。(これでは草食系男子が増えます)
そして、私は「子育て・夫婦学科」を卒業しました。
Posted by ひろし at 2010年01月11日 07:40
ひろしさん、
おお、実際に冷蔵庫に頭を入れたご経験が!
「母の型式」は「父の型式」よりも、危なくなくて真面目である場合が多いように思います。少年少女とも「親の型式」にはまり過ぎず、のびのび育ってほしいです!
Posted by まつむらゆりこ at 2010年01月11日 09:13
二首目の歌は、こちらのブログにて2007年6月にもご案内いただきましたね。
その時には私も自分の二人の娘に対して、「似て欲しくないところが似ている」ということを感じ、思わず笑ってしまいました。
それから2年半が過ぎ、子供たちも成長する中で、自分には持っていない良い面や、可能性を感じることが多くなりました。娘たちは、彼女たちの学びの場で、私が教えてやれないことをしっかりと学びとり、成長していることを知る機会に何度か遭遇しました。そんな時には、私自身を少しずつ超えて行く子供たちのことを、とても頼もしく思いました。
また、そういう思いは、ゆりこさんが本文の最後の方でおっしゃている、「あったかい思い」に通じるものがあるのではないかと思います。
そんな「あったかい思い」を、もう一度自分自身にも向けてみたいと思います。「似るな」と思う対象は、たいがい自分のいやなところのはず。しかし、そんな自分自身のいやなところも、心がけ次第で変えることができる・・・。
年が明けてから、高校時代の恩師と四半世紀ぶりに話す機会がありました。恩師が今の私にかけれてくれた言葉は
「人間は変わることができるからな!」
何気に今の自分を悲観する私に、恩師はこんな言葉をかけてくれました^^;
将来を担う子供たちにも、そして自分自身にも「大いなる可能性」を見出したいものです。
本題からそれたかもしれません。ご容赦くださいませ^^
Posted by KobaChan at 2010年01月11日 10:11
KobaChanさん、
2007年6月にも、同様の文章を書いていましたね!(汗) 丁寧に読み続けていてくださること、感謝するばかりです。
この歌、本当にいろいろなことを考えさせてくれるものですから……。ともあれ、親になれたことは人生のとても大きな贈り物だなあと思うばかりです。
Posted by まつむらゆりこ at 2010年01月11日 22:48
私も冷蔵庫に頭を突っ込んだことがあります。仲間とアップルパイを作るのに夏場はバターが溶け出してしまうので、苦肉の策で。とてもうまくできましたよ。(笑)
Posted by コビアン at 2010年01月14日 19:13
コビアンさん、
おお! 冷蔵庫に頭を突っ込んだことのないのは私だけって気がしてきました。夏のアップルパイ、おいしそうです。バニラアイスクリームを添えて、ね。
Posted by まつむらゆりこ at 2010年01月14日 22:45
うちの場合、「似るな」と思っているのは娘たちのようです(泣)。
Posted by もなママ at 2010年01月17日 16:37
もなママさん、
いやぁ、うちの息子もそう思っているかもしれません。お互い、そんなものかもしれませんねえ。
Posted by まつむらゆりこ at 2010年01月17日 20:20
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