一冊の未だ書かれざる本のためかくもあまたの書物はあめり
香川 ヒサ
四月上旬に引っ越すので、持ち物を少しずつ片付け始めた。一番たいへんなのが、本の選別である。
いま住んでいる木造二階建てアパート(推定・築四十年以上)に十数年も居ついてしまったので、本の増殖ぶりがすごい。これでも、時々整理していたのだが。先週から今週にかけて複数の引っ越し業者に見積もりを依頼したところ、異口同音に「コンテナ一個では入りきれません」と断言されてしまった。嗚呼!
新居に入りきらなくても困るので、一冊一冊吟味して、資料性の高いもの、愛着のあるもの、古書店・古書ネットでもなかなか手に入らない短歌関係のものなどを優先して、持っていく本と処分する本を分けている。
今日、処分すると決めた本を紙袋七つに入れ、近所のブックオフに持ち込んだ。計算してもらう間、店内でぶらついている私は、まずまず心穏やかな人物に見えたかもしれないが、実際のところ、胸中では「ああっ、こんな素晴らしい本がこんな廉価で!」「あ〜、君は手元にずっと置いて、時々開いて楽しむ本だよねえ、気の毒に」といった声が逆巻き、騒がしいことこの上ないのだった。
ブックオフでは新刊書店以上に、何というか、孤児院を訪れた篤志家のような、絵本『100まんびきのねこ』のおじいさんのような気分になってしまう。本たちに「おばさん、わたしを連れて帰ってください」「いいえ、ぼくです、ぼくです」なんて呼びかけられているようで、居ても立ってもいられない。
結局、歌集(105円ですよ!)と歌書(800円)、川島幸希著『英語教師 夏目漱石』(新潮選書・2000年、650円)の三冊を買ってしまった。漱石の本は、出版されていたこと自体知らなかったので非常にラッキーだった。歌集と歌書は差し障りがあるので書名は秘すが、以前から買おうと思っていたものだ。ほとんど、「おお、きれいな白猫だ」「このトラ猫も愛らしいこと」と次々に拾い上げてしまった、絵本のおじいさん状態である。実はもう一匹、とびきり美しい黒猫、違った、谷川俊太郎の詩集も買うところだったが自制した。
香川さんの歌は、歌集『ファブリカ』の最後に置かれた一首。ものを書く人間としては、自分に言われているような感じがしてしまう。けれども、この歌は「まだ見ぬ偉大な作家、まだ生まれぬ未来の一人の作家のために、世界中の書物がある」と解釈する方が、スケールの大きな時間、また夥しい本の数を感じさせてよいと思う。
それにしても……帰宅して本棚を眺めるが、全然減ったように見えない。わが家の「かくもあまたの書物」が新居に収まるよう、再び選別作業に入らねばならない。
☆香川ヒサ歌集『ファブリカ』(柊書房、1996年3月)
☆ワンダ・ガアグ作/石井桃子訳『100まんびきのねこ』(福音館書店、1961年1月初版)
私、そんなに薄情っていうか、本の価値を知らない者ではありませんよ!! そして贈られた本には思いがこもっていることも、よくよく知っております。いやいや、心配させてしまって、ごめんなさい。
morijiriさん、
うーん、そんな余裕はないし、いつも見えるところに本を置きたいし……。それくらいの量が自分にふさわしい本の数のような気がします。
「読んだら捨てる人」というのは、本当にドライな人ですよねえ。私は本の版型、厚み、装丁を含め、全部大好きなので(文庫本でさえ、そうなのです)、処分するのは実に実につらいです! ああ、どうなることやら。
コビアンさん、
そう! 本の次に困るのが手紙と写真です。これまた、「あ〜〜、薄情な私〜〜」と胸をかきむしられる思いをしながら、切り刻まないといけなかったり……。「思い切って物を処分出来る良い機会」とは思いますが、皆さん、どうしていらっしゃるのでしょう。
ちーがった! 関東エリアじゃなくて、沖縄・石垣島へ引っ越します。遊びにいらしてくださいね〜
まじ石垣島ですか!!!
私は沖縄出身ですけど石垣は行ったコトないしうらやましいです。
今年、歌集を自費出版予定ですので、新住所をメールアドレスに教えてもらえば郵送しますね〜
本は大切、捨てるようなものではない、と幼いころから思ってきました。けれど、専門書や資料が増えるにつれ、そんなことも言っていられなくなり、最初は小説類を500冊ほど図書館に寄贈し(要らないものは廃棄してもよいと言って)、その後はそれも受け入れてもらえず、友人たちに西洋美術関係のカタログや本を差し上げ(これも結構な量でした)、最近は専門で関係ありそうな本やカタログ以外は買わない、いえいえ、最近では関係ありの展覧会のカタログでも買わないこともあります。それでも増えていく本と資料で部屋はあふれかえり、整理の悪さも重なって(整理するにもスペースがないので)必要な資料を探し出せない、庭に書庫を建てるスペースもないので、やはり専門以外の本や雑誌、文庫類は捨てざるを得ない、という状況。一年に少なくとも一度か二度は選別せざるをえず、本や資料は生き物のように増殖する恐ろしいもののようにも思います。それでも、捨ててしまってもう一度読みたいと思っても今は入手しにくいものが恋しく、また、どうしても愛着があって、子供の頃の本は捨てられないで取ってあるのですが。。。ご苦労お察しします。
ホントですよ!
中村ケンジさん、
沖縄出身の方とは! そして歌集のご出版予定もうれしいニュースです。すごく楽しみにしています。
くらささん、
本への愛着って、何ともいえないんですよね。読まなくても、そこにあれば安心するというか…。ある時期の自分の心の方向を示す痕跡のような面もあるし、なかなか処分できないんです。同じ苦労をしていらっしゃる方が多いことがわかって、ちょっとほっとしています。
私も「相談員」の仕事をしているので、あっこれはあの社長の問題解決のアドバイスに使えるとか、これは学生の頃より好きだった俳優や音楽家のシャシンだとかで捨てきらずに、引越の際に膨大な(それも重たい)荷物になったことを覚えている。
でも、これらの本があったから今の自分まで成長させてくれたのだっと考えると本当にMy幸指指数が上がっているのを感じますなあ!
「これらの本があったから」という思いは、すごくよく分かります。本は自分の内面の記録だと思います。
ブックオフに並んでいる歌集を見ると「救ってあげたい」気になられる由、孤児院の孤児のように感じてしまう私と一緒ですね! でも、図書館は歌集を引き取ってくれませんし、ブックオフへ泣く泣く「誰かいい人に読んでもらいなさいね。うちにはもう置いておけないんだよ」と持ってゆく人が大半だと信じています。
まさに、ゆりこライブラリーですね^^
ところで私は、ゆりこさんの本(歌集とエッセイと与謝野晶子)、
ぜ〜んぶ持っています^^
私の宝物でありまして、
きっと膨大なゆりこライブラリー以上の価値があります^^
ああ、本当にありがとうございます!!
古書店に自分の本があると、やっぱり一抹のさみしさはあるもので…大事に持っていてくださること、心からお礼申し上げます♪
思い出し笑いしながら、自分も同類だということにハタと気づいてしまいましたが…
私も自分の歌集をブックオフで見つけたことがありますが、むしろラッキーに思いました。贈呈した方すべてが私の歌集に興味を持つはずはありません。興味を持たない方の段ボール箱の奥底に眠るくらいなら105円で回収して手元のストックを増やしておきたいです。印刷した数は限られていますし、今後、差し上げたい方に出会うここともあるでしょうから。事前に不要だと分かっていれば無理に送りつけたりはしないのですが…
いまアマゾンの古書でも出品されていますが、100円程度まで安くなったら回収するつもりです。
温かいメッセージ、本当にありがとうございます。私にとってのsomething blue は石垣焼のペンダントです!
もなママさん、
あまり無駄遣いしない方だと思うのですが(本質的にケチ)、本だけは衝動的・貪欲に買っちゃいますねえ。
村田馨さん、
ホントですね。私も出版社が増刷してくれない自分の本を、読みたいという人にあげるため、アマゾンの「中古品」で何冊か買いました! 読まれてなんぼですもの。
それにしても、石垣島とは、思い切ったところですね、「せめて九国の地」という心境です。
捨てるのも古書店に売るのも胸が痛むことですね。「2ケ月」というところに、SEMIMARUさんの愛を感じます!
「九国」の出身者としては、も少し遠くを目指してみました。