アボカドの固さをそっと確かめるように抱きしめられるキッチン
俵 万智
月に1度、所属している結社「かりん」の校正のお手伝いに行く。校正の作業というのは、本当に勉強になる。経験を重ねるうちに勘所のようなものがわかってくるし、よくある間違いというのも心得るようになる。
ことばの濁点の有無、あるいは濁点か半濁点かを間違えるケースはけっこう多く、「ベッド」を「ベット」、「バッグ」を「バック」、「ジャンパー」を「ジャンバー」などいろいろある。なかでも「アボカド」を「アボガド」と表記している人は実に多い。avocado だから「アボカド」と思うのは、まあ若者だろうが、だいたいの人は何となく覚えているものだ。
私はあるとき、「やや、もしかして、あの間違いは『アボガドロ定数』に起因するのではないだろうか!」とひらめいた。そう、1モルの物質中に含まれる、その物質の構成粒子の数のことだ。私はアボガドロ定数でつまずき、共通一次試験を物理・地学で受験するという無謀な方向へ走ってしまった人間である。「みんな、私と同じようにアボガドロ定数に悩まされた結果、つい、アボカドと聞いた瞬間『アボガド…』と思ってしまうのではないだろうか」
この素晴らしい思いつきを、何人かの友人に話してみたのだが、いずれも反応ははかばかしくなかった。「ええ? そうかなぁ(「お前だけだよ」という冷たい視線)」「日本人には『アボガド』っていうふうに濁音が続くほうが発音しやすいんだよ」などと、賛同が得られないまま長い年月がたった。
ところが! 先日、柴田元幸のエッセイ集『つまみぐい文学食堂』(角川文庫)を読んでいて、躍りあがってしまった。柴田氏は「『アボカド』のことをなぜか『アボガド』と言う人が多いのはグーグルで検索しても明らかで、(中略)世の中の半数近くが間違えている勘定である。その原因は、高校の化学で習う『アボガドロ定数』だろう」と書いているのである。
柴田氏がこのエッセイを書いたのは、単行本が出版された時期からすると、3年あまり前と思われる。いまグーグルとヤフーで検索すると、「アボカド」対「アボガド」は、ほぼ2:1と、かなり認知度が高まっているが、それにしても3人に1人は「アボガド」派だ。昨日、近所のスーパーで見た野菜売り場の札にも、しっかり「アボガド」と記されていた。
この歌は、食べごろを知るためにアボカドをやんわりと指で押す感じを、抱擁と重ねた巧さが光る。トマトや梨に比べると、アボカドはなじみが薄い。そして外観も黒くてごつごつして、今ひとつ中の様子を想像しにくい。
「君はいま幸せ?」「ぼくのことを本当に好きなの?」――いや、もっと深刻な事態において、彼は作者の胸中を測りかね、「そっと確かめるように」抱いたのかもしれない。というのも、後半の五七七は「たしかめる・ようにだきしめ・られるキッチン」と、句またがりが連続していて、うねうねと何か不穏なものを感じさせるからだ。この作者は、あくまでも明るい作風を持ち味としているが、こうしたリズム感でもって内面の屈折を見せるあたり、やっぱり巧者な歌人だと思う。
☆俵万智歌集『プーさんの鼻』(文藝春秋、2005年10月)
いやいやいや、私も大昔「アニミズム」か「アミニズム」か、自信がない時期がありました。シュミレーションは「趣味」があるから、発音しやすいのでしょうか。
沖縄にいた頃はほぼ毎週1〜2回は食べていたな〜
すりつぶしてジャムにしたら最高に美味しいんだよな〜
20代のころ、こう書かれた看板をマドリードの街中で見かけるたびに
「アボガド屋?にしては重厚なドアだな」などと思っていました。
辞書を引いて赤面して、
この瞬間から「アボカド」と認識するにいたりました。
アボカドのジャム! それは私にとって未知なるものです。試してみなくては〜〜
かたつむりさん、
重厚なドアの「アボカド屋」。ファンタジックです! 久しく遠ざかっていたスペイン語の単語、しかも弁護士なんていう語を覚えられて、ちょっぴり得した気分になりました。
なるほど! 濃い色と薄い色を混ぜて買うとは、なかなか。あの種は、確かに植えたくなりますね。
(名前の響きが懐かしい!)流行ったその時代を瞬時に思い出してしまった。
この詩は、お堅い5.7.5.7.7、云々のルールを一部守りつつ、自分の感性をしているという意味で、私は共感できる。
アボカドかアボガド論争も面白い!
でも、この歳になると可愛い言葉遊びで、若かりし日の好奇心ありありの頭になっている自分を感じてしまった。
っというのも、由利子さんと同様?私も共通一次導入初期組であり、大学入試では苦労した。(特に数学系)絶対国立じゃないと費用が厳しいっと…。
でも大学で興味を持って挑んだマルクス経済学派ゼミでのマクロ経済。<中略>っで今は経験値で単純な「算数」を使ったお仕事…。
サバイバルをしてきた自分が凹みそうになるときに、身近なところでの楽しみを感じれることは、大変な「人間力」だなあと感じ入りました!有り難うございます。
人間の細胞/人=10兆(10^14)個/人
1999年の世界の人口=60億(6.0×10^9)人とすると
※地球上の人間の細胞の数は、なんと!
=人間の細胞/人×世界の人口=6.0 × 10^23(アボガドロ数)
2009 年の世界の人口=68億(6.8×10^9)人とすると
=6.8 ×10^9×1×10^14>6.0 × 10^23(アボガドロ数)えっ!
地球を1モルとすると人間定員オバー?ってなことはないか(笑)
掲載首がとても気になり『プーさんの鼻』と『トリアングル』を読みましたが、歳のせいでしょう『サラダ記念日』『チョコレート革命』を読んだときの感動はありませんでした。でも、アボガドロ数風に掲載首を分析したりで楽しい連休初日となりました。
アボカドからマクロ経済までの飛躍、恐れ入ります。「アボカドvs アボガド」を楽しんでくださったなら嬉しいです。
ひろしさん、
「地球を1モルとすると」という発想の発想の素晴らしさに脱帽です。もしかすると、人間の定員はオーバーしてるかも……。
いやー、誰にでもこういうことありますって。大リーガーの「ルー・ゲーリッグ」か、「ルー・ゲーリック」か、とか(これ、病名になっているので覚えました!)。
あっ、思い出しました。私はドイルの「バスカヴィル家の犬」のことを、ずーっと(人に言えないくらい長く)、「パスカヴィル家の犬」と思ってたんです〜〜。あー、恥ずかし。
いやいや、外来語を誤って覚えているのはまだ結構。その存在すら知らない自分って???
まだまだ、知らないことがたくさんありそうです^^;
<m(__)m>
未知なる食べものは、いろいろありますって!
私の友人にも「エリンギって、実は食べたことないのよね」という人がいます。アボカドも、好きな人は好きみたいですが、私も実はあまり買いません…。
還暦を越えても、いまだにどちらが正しいのか迷っている言葉があります。
登山などでロープを通す時などに使われる金属製の輪で、その一部が外れるようになっているモノがありますよね。日本語では「安全環」などと言われています。アレです。
ボクは「カナビラ」と思い込んでいたのですが、「カラビナ」という表記を見てからは自信がなくなり、「モンベル」などに行った時も、「あのガチョーンっていう金具」などと手振りを交えながらでしか注文ができなくなっています。
どっちが本当なのでしょうか。
末筆ながら、この楽しい随筆ブログはずっと続けてくださいね。
それは「カラビナ」ですっ! 私もパラグライダーをするとき、7つ道具としてカラビナを使います。木の上に落ちちゃったりしたとき、あれが必要なんですねえ。「カナビラ」なんて、花びらみたいで頼りないじゃないですか。
ブログを楽しみにしてくださって、本当にありがとうございます。皆さまのさまざまなコメントが何よりの励みです。
フランスパンも「バゲット」が正しいのに、ずっと「バケット」と言ってました。
藤田まことの「主水」の読みは「モンド」ですが、主水は水を司る役職なので、濁りをきらって「モント」と読ませた。
ヘルマン・ヘッセの故郷 Calw はドイツ語では「カルブ」と濁るはずなのに、なぜか例外的に「カルプ」と半濁音で読む。
濁音をめぐる事例は尽きません。
恐竜の名前の「〜〜サウルス」を「〜ザウルス」と表記されるのが、個人的には気になるのですが、たぶん濁った方が(怪獣ではありませんけれど)恐竜らしいのかなあと思っています。いろいろな例を挙げてくださって、とても面白かったです!