2010年04月02日

松木秀さんの歌集

『RERA』

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 目を凝らして物事を見ること。情報に流されずに、自分の価値観でニュースや出来事をとらえ直すこと。本当にむずかしいが、それに挑戦し続けている歌人が、松木秀さんだと思う。

  誰しもが「空気を読んだ」だけだろう沖縄戦の集団自決

 2冊目となる、この歌集のあとがきに「私が短詩型の実作をはじめたのは、まず川柳の分野においてでした」とあり、ああ、と合点の行く気がした。「沖縄戦の集団自決」の歌を読んで思いだしたのが、川柳作家の鶴彬だったからだ。鶴は「万歳とあげて行った手を大陸において来た」「手と足をもいだ丸太にしてかへし」「タマ除けを生めよ殖やせよ勲章やらう」などと、痛烈に日中戦争を批判した人である。
 「空気を読む」ことの恐ろしさを、私たちは日頃あまり考えない。「読まない」「読めない」人をあてこすることはあっても、「読む」人に対しては「常識のある人」「話が通じる人」と受け取ることが多いと思う。しかし、「空気」とは何だろう。
 戦時中の「空気」を私たちは知らないが、かなり重苦しく人々を支配したのは確かである。空気を読むという最近の言葉を用いることによって、沖縄戦における悲劇が一気にリアルなものとして提示されているのは、本当にすごい。松木さんは、意味優先で作られた自分の短歌は古びるのが早いと嘆いているが、古びてしまうものだけではない。こんなふうに過去をまざまざと現代によみがえらせることだって出来るのだ。
 集団自決に対する、やりきれない思いがなければ、この歌は作られなかった。そして、それが日本人特有の「空気を読む」ことの最悪、極限の状況において起こったのではないか、という視点こそ作者独自の切り口である。この諷刺の見事さ、嗤いの強さには圧倒される。

  二〇〇一年九月十日の夜までは二十世紀は続いていたり
  検索でひとまず少し知ってみる深く知るため電源を切る


 歌を作るという行為は、日常のなかで立ち止まることではないかと思う。あふれる情報に溺れ、慌ただしさに流されるままでは、何ひとつ自分でつかむことはできない。そして、優れた歌を読むと、読んだ者も「立ち止まる」ことができる。
 一首目は、「9・11」が起こるまで、20世紀の気分が続いていたことを鮮やかに提示している。もちろん、2001年が明けたときから21世紀は始まっていたのだが、何となく右肩上がりで一応は平和な20世紀の気分のなかにいたのを思い出す。あの夜(日本時間)を境に、世界の様相は劇的に変わってしまったのだと改めて思う。
 二首目は、まさに「立ち止まる」ことの大切さが詠われている。何かを知りたいと思ったとき、インターネットで検索するのは、もはや当たり前のことになってしまった。しかし、パソコンの電源を切り自らの考えを深める選択肢は、私たちにちゃんと残されている。それをするかしないか、だけなのだ。

  ごみ箱は何でもごみにしてしまうミカンの皮も記念写真も
  「おすすめの本があります」Amazonに教えられては買う本の束
  レーガンやサッチャーが惚け中曽根が惚けぬ理由は俳句にあるか
  夢の中筒井康隆あらわれて既知外既知外叫んで通る


 読んでいて何度もふき出してしまった。いろいろな笑いがある。そして、毒がある。
 短歌について講演したとき、「面白い題材を詠った短歌と狂歌の違いは何ですか」と訊ねられたことがあるが、うまく答えられなかった。今の時代、川柳に比べると、狂歌はあまり盛んではない。短歌が諷刺や笑いをも包括するようになったということだろうか。松木さんの作品は、現代短歌のなかで異彩を放ち、歌の世界を豊かに深めていると思う。
 この歌集には、やわらかな抒情が漂う歌もいくつかあり、とても楽しんで読んだ。

  そのむかし熊は神なりきこの土地にレラという名の風吹きしころ
  はつなつの風れられらと過ぎゆきて銀のしずくのしたたるまひる
  つなぐほどさみしいはるのゆびさきをそれでもかさねあって、みず
いろ

 松木さんは北海道登別市に住んでいる。歌集のタイトルでもある「レラ」は、アイヌ語で「風」を意味するのだという。一首目で詠われた、熊が神だったころの風も、二首目の「れられらと」吹きすぎる光る風も、本当に美しい。
 時に毒を含む哄笑を込めつつ、松木さんは歌の韻律や抒情をこよなく愛する人なのだと思う。しかし、そこに浸ってしまうことへの照れがあるのかもしれない。松木さんの鋭いまなざしと笑いをこよなく愛するファンの一人ではあるが、読者のことは気にせず、心の赴くまま存分に詠い続けてほしい。

 ☆松木秀歌集『RERA』(六花書林・2010年5月、2100円)
posted by まつむらゆりこ at 00:00| Comment(6) | TrackBack(0) | 歌集・句集の紹介 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
上記の集団自決の一首・・・沖縄出身の私には心を打つ衝撃的な一首です。

鶴彬も大好きです。松村さんが知っているのはビックリしました。さすが勉強家だと思いました。

※話はかわりますが、センバツ高校野球で沖縄が決勝まで勝ち進んだので明日は早起きして甲子園まで応援に行ってきます。よろしかったらTVの前で応援してもらえると幸いです。
Posted by 中村ケンジ at 2010年04月02日 20:57
今日は盛りだくさんですなぁ!
私は、昭和生まれの「歌作り」の外野なのですが、1,2首目は、幼き頃より父より囁き続かれた、戦争のむごさを感じ入り、現在も「テロ」という戦争が起こっていることを、短い中で表現していると美学さえ感じる。
インターネットどっぷり世代がWorking Poorで、戦後間もなくに多くの日本人が生き抜いてきた「力」をつかみ取っていないことを感じる。
 また、同時に「内容のある情報=Intelligence」教育の大切さを感じる。
まずは、身の回りの私に関わる人々から、その大切さを「お知らせ」していくことが必要であると、感じることが出来た。感謝!
Posted by ErwinRommel at 2010年04月03日 00:16
中村ケンジさん、
集団自決の一首だけでも、この歌集を読んだ価値があると思います!
*高校野球、私も応援しますよ〜〜

Rommelさん、
「盛りだくさん」と評してくださって、嬉しいです。読み応えのある歌集は、がんばって紹介しなければ!と思うのでした。
Posted by まつむらゆりこ at 2010年04月03日 11:05
小学生の時ひめゆりの塔を学校から映画館まで歩いて観に行き感想文を書かされ小さいながら「かわいそう」という記憶があります。もう60年も昔のことです。
Posted by コビアン at 2010年04月03日 14:56
コビアンさん、
戦争のこと、決して忘れてはいけないですね。いま、小川洋子の『アンネ・フランクの記憶』を読み、ミープさんの著作など読み返したくなったところです。
Posted by まつむらゆりこ at 2010年04月03日 21:47
まだ歌集を入手していないのですが、一読の価値はありそうですね。
戦時詠の代表作を詠んだ作家には、渡辺白泉もおられますね。

戦争が廊下の隅に立っていた

川柳作家は戦時中、かなり大規模な弾圧を受けたそうです。批判精神の発露を許さない指導者は、やがては滅びます。これは歴史が証明していることです。
それでは。
Posted by 雨宮 司 at 2010年05月04日 17:12
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