どんどん捨ててどんどん雑誌また捨ててさびしいさびしい
人の言葉を 米川千嘉子
いよいよ引っ越しの期日が迫ってきた。来週13日には、アパートからすべての荷物が運び出される。目下、「酒とバラの日々」ならぬ「ごみと片付けの日々」である。
この歌を読むと、しんとさみしくなる。片付けというものは、ちょっと悪い人にならないとできないところがある。「ああ! なんて情のうすいやつなの、私って」と思いつつ、古い手紙や写真、いただきものの(絶対に使わない)食器などをどんどん処分しないことには進まない。この歌では「雑誌」というのが効いている。自分で買ったにせよ、人から贈られたにせよ、雑誌には「人の言葉」が満ちている。それが読みたくて買ったり、読んでほしくて贈られたりしたのである。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と思いながら「どんどん捨てて」いると、ものすごく悪人になったような気分になる。それが恐らく「さびしいさびしい」なのだろう。
「どんどん」と「捨てて」のリフレインは、まさに私の今の状況とぴったりのスピード感を出している。ものを捨てるのは、それが本当に小さなつまらないものであっても、自分の過去を捨てることだ。「さびしい」が繰り返されることで、片付けに必ず伴うある種の厭世感や快感のないまぜになった気分がぐんと迫ってくる。
でも、「さびしいさびしい」が作者の気持ちであると同時に、「人の言葉」というものも、そもそもさびしいものなのだと読めるところが、この歌の味わいではないかと思う。
言葉は不完全なものだから、どんなに駆使しても相手に伝わらない。一番身近な人にだって、自分の気持ちを余すところなく伝えることなんてできない。言葉を使わず、ぎゅっと抱きしめたり、心からの笑顔を見せたりする方が、気持ちが伝わることもあるのだから、言葉なんて悲しいものである。
何かを捨てなければ暮らしは成り立たないことのさびしさ、言葉を用いた表現のさびしさ、それが印刷されたものを捨てるさびしさ……一首に使われている語はとても少ないのに、人生における真理がここにはある。
さぁて、それではまた片付け作業に戻らなくては。
☆米川千嘉子歌集『滝と流星』(短歌研究社、2004年8月)
引越はやっつけ仕事!割り切れなくっちゃ出来ません。それを言葉でスマートに表現することは、(私には)大変だと想いますぜ!
身内へ言葉で心を伝えることが難しいというのは、私自身、一時期「鬱」になるほど、思い詰めたけど、血がつながっているヒトだけへでも、まずは伝え、Family単位で同じ言葉を使い、いたわり合うことが、God Fatherじゃ〜あないけど、大切なことだと思います。
昨週はキリスト教では復活祭。今回の由利子さんの引越も復活祭の一つのイベントと割り切って、殻から抜け出てくださいね!?
わかっていても、ものが捨てられなくて、家が片付かない・・・・
大人になるのにも、何かを捨てなくてはならなかったのかも知れません。
でも時は容赦なく流れ、過去のどこかに置き去りでした。
家が近所ならお手伝いに行くところですけどね〜
ありがとうございます、頑張ります!
冷奴さん、
やっぱり片付けって、心を鬼にしなければならないんですねえ。しみじみ……。
Rommelさん、
古い殻を抜け出して新しい生活へ!
よきメッセージをくださり、心から感謝いたします。
SEMIMARUさん、
ああ! 大人になるときに何を捨ててきたのでしょうね。いただいたコメントを読んで、じーんとしてしまいました。
中村ケンジさん、
そのお気持ちだけで十分うれしいです! そして遅くなりましたけれど、興南高校の優勝、すばらしかったですね。私も大喜びしました。
今日は家電リサイクル法に基づく処分を依頼し、冷蔵庫と洗濯機とテレビが持ち去られました。ひぇ〜、まだあと2日あるのに……(回収が水曜か土曜しかないんです、カナシイ)。
いよいよなんですね。
今年は例年になく長いサクラを楽しめましたが、
これはゆりこさんへの大サービスだったのか〜。
捨てる、本当につらいけど、
捨ててしまえば次のことが始まりますもの。
私は老人ホームで帰宅できる日だけを
楽しみに暮らしている母の部屋を
お弟子さんたち総動員で
すっかり片付けてしまいました。
一つひとつ見ていると涙が止まらないので、
見えない袋に入れて、
きまりの透明なゴミ袋に押し込み、
ゴミ捨て場に持って行きました。
でも、今はそこを私の仕事部屋にして、
気持ちも新たにパソコンに向かっています。
捨ててしまった後は、すっきりさっぱり
南の島での新しい暮らしですもの。
ね?
長いコメントになってごめんなさい(~_~;)
コメント、とてもしみじみと拝見しました。お母様のものを片付ける切なさは、私にとっては未経験のもので、想像しきれない部分があります…。でも新しい出発には、捨てることが大切なんですよね。