生えかけの水掻きを見せてあげようか寝ころんで言ふ畳の部屋で
河野 裕子
私の目下の悩みは畳である。
引っ越しのあいさつに近所を回ったとき、本土から移り住んだ人から「ここでの生活は自然との闘いですよ」と言われた。暑さや台風のことだろうと思い、私は「そうですかぁ、えへへ」なんてへらへら笑っていた。自分は暑さには割と強いし、台風は一度どんなものか体験してみたくて楽しみなんだもの、という気持ちがあったからである。
違った。全然違った。まず遭遇したのは、うっすらと緑の粉をふいたような畳だった。「もしかして……」と確かめるまでもなく、それはカビであった。掃除機を「強」にしてかけ、消毒用エタノールを浸した脱脂綿で根気よくこすり、除湿機を長時間かけるというプロセスを何度か繰り返し、もう大丈夫かな、と思ったのだが、これもまた甘かった。今度は、畳の表面をすばやく動く、ごくごく小さな生物を発見したのだった。鉛筆の先で突いたくらいの、本当に微小な虫である。何も悪さはしないが、放置するのもイヤだ。ネットで調べると、ダニではなく、どうやらチャタテムシらしい。
そして、私を憤らせたのは、カビもチャタテムシなどの虫も、新しい畳ほど発生しやすいという事実であった。「誰だ! 『女房と畳は新しい方がいい』などと、たわけたことを言ったのは!!」とふつふつと怒りが湧いてきた。女房も畳も絶対に古い方がいいのである。昔からこのことわざには異議を唱えてきたが、主に女房に関してだけだったことを畳に詫びたい。古女房に虫が付きにくいかどうかは保証しないが、畳の名誉(?)のために言っておくなら、古い畳の方が吸湿しにくいのでカビや虫が付きにくい。このことわざを作った人は、実にものを知らない人物である。ああ、早くうちの畳も古くならないものか……。
チャタテムシらしき生物は実に小さいので、畳の上を歩いていると、何だか荒野か砂漠を旅するけなげな生物に見える。しかし、そこは心を鬼にしてガムテープの切れ端でばしばしと取ってゆく。つねづね、視細胞のなかでも、動くものをすばやくキャッチする桿体細胞の能力には感嘆してきたが、畳の表面に目を凝らし微小な生物を発見するとき、自分に備わった能力が少しだけ誇らしく思える。しかし、そんなことに感心している暇はない。早くガムテープの出番がなくなってほしい。
畳に寝ころぶ気持ちよさを詠ったこの歌は、屈託ない想像がとても楽しい。歌が作られたのは1999年、作者が乳がんの手術を受ける前年であった。
☆河野裕子歌集『歩く』(青磁社・2001年12月刊)
悪戦苦闘のようですね〜でも、すぐに慣れるから大丈夫ですよ〜住んでいた私が言うから間違いないですよ〜
最近、河野氏の作品がよく取り上げられるのでうれしいです。
かつて「そらいろ」でこんなに笑ったことがあったかしらん。
あーん、おなかいたい。
ぜひ畳にわびて♪
お励ましくださって、ありがとうございます。
きっといろいろなことに慣れて、たくましくなると思います〜
もなママさん、
笑っていただけて嬉しいです!
畳の虫は、悪いことはしないんですけどねえ……。
でも、畳も衣服も、そして伴侶も、時間がたってなじんだほうがいいかも・・
畳といえば、近所の畳店の広告が面白かったです。その畳店では、畳の高級品・普及品のランクを「横綱」「大関」と相撲の番付で命名してましたが、「横綱」は最上ではありません、「横綱」の上に「親方」があり、さらにその上の最高級のは「おかみさん」と命名されてました、よほど恐妻家なのか・・・
面白い広告のこと、教えてくださってありがとうございます。最高級が「おかみさん」というのは笑えますね! 「女房と味噌は古い方がよい」ということわざもあるみたいです。
歌と言い、由利子さんのコメントと言い、私の笑いのつぼに入って、暫し体が震えていましたぜ!?
因みに、ことわざの方は、それは男性かつ昔の20代後半の方がコメントされて、所謂、ボーイズ・トークのような感じで流布されたのではないかと、いう説があります。
個人的には「女房」と「畳」を一色端に論ずることに無理がありますなぁ!?
現代で40歳以上かつ婚姻経験がある人にとっては、あくまでも「ボーイズ」でしょう。アダルト男性にとっては、「(個人的に)女房は新しく、畳は古い方が良い」というのが、しっくりするきがしまっせ?
っといった感じで、Gender Gapは感じられますか?
本当はそれが理想です。
でも、ことわざというものは、芯をとらえているという陽の部分と、補足するのは人一人の努力であるということもあるので、思念も広がりますなぁ!
「女房」と「畳」の距離感がいいんでしょうねえ。「味噌」だと、「糟糠の妻」と何だか重なって、あまり意外性が出ない感じがします。