
さがし物ありと誘ひ夜の蔵に明日征く夫は吾を
抱きしむ 成島やす子
二十歳のころ、この歌に出合った。新聞か雑誌の記事だったと思うが、はっきりは記憶していない。今から考えると、この歌の収められた『昭和萬葉集』が刊行されて間もないころだから、書評に引用されていたのかもしれない。ともかく歌の力に圧倒され、胸がきりきりと痛んだ。ずっと忘れることができなかった。
先日もふと思い出したが、きちんとメモしたわけではないので、覚えている通りの歌だったかどうか心もとなく、何に収められている歌なのだろう、確かめたいなと考えていた。そんなとき、たまたま『短歌』八月号(角川書店)の特集「心に響くとっておきの歌」で、この歌に再会した。
十六人の歌人が一首ずつ挙げているのだが、林和清さんが「歌が喚起するもの」と題し、この歌が「出征する夫を贈る歌としてもっとも記憶に焼きつくものだった」と書いていられる。そして、その理由を「この歌には、詠まれていない部分をありありと喚起させる力があるのだ」と指摘する。
出征前夜の家では、夫の両親や親族はじめ大勢が集まってにぎやかな宴が開かれているのだろう。「蔵」があるということは、裕福で由緒ある家だということを示している。作者は夫のそばを片時も離れたくないのに、台所で忙しく立ち働かざるを得ない立場である。その寂しさ、つらさを思いやった夫が「ちょっと探し物が…」と中座し、やっと実現した、つかの間の抱擁なのだ。どんな映像でも散文でも表現できない、緊迫した状態での愛のかたちだと思う。
ところで、歌の出典を確かめようと石垣市立図書館へ向かった私は、ある関連書を見て驚愕してしまった。それは『昭和は愛(かな)し――『昭和萬葉集』秀歌鑑賞』(小野沢実著、講談社)という本である。著者は、この歌について、次のような鑑賞をしているのだ。
「夜の蔵」とあるところをみると、もう三、四時間後には、二人だけの床に入ることが可能であるのに、それが待ち切れずに、妻を抱いたのである。
ただ抱くだけで満足したかどうかの描写はないが、おそらく身体の奥底から激しく突き上げてくるものにせかれて、妻を押し倒し、共に燃え尽きるほどのいとおしい営みが行われたのではないだろうか。
私は長きにわたって「つかの間の抱擁」と思っていたので、この著者の生々しい解釈には心底びっくりしてしまった。歌の解釈は読む人にまかされているので、これが間違いだとは全く思わないが、「探し物」という口実で中座する夫のやさしさを思うとき、万感こめてぎゅっと作者を抱きしめる姿しか浮かばない。
男性が読むとまた違う現実感があるのかなあ……。林和清さんの言うように喚起力のつよい歌だから、その後のストーリーも想像してしまうのも無理はないが、この一首はこの場面のみを深く味わう方がいいように思う。そして、短歌はこうした凝縮された瞬間をすくい取るのに、悲しいほど適した詩型なのだと思う。
☆『昭和萬葉集 巻六』(1979年発行、講談社)
なるほど。よい解釈をありがとうございました。二十歳のころに読んだ第一印象をそのまま持ち続けていましたが、本当にそうですね。「切迫感」というものについても考えさせられます。
そこから先何も書かなくてもいいくらい。
そう! そうなんですよね! その心遣いだけで、じーんとしちゃうです。このあたり、男女の感じ方の違いがあると思います。
とても暑い一日でした。
戦争のことはいつも考えていなければいけないけれど、やっぱり8月には特別な感慨を抱きます。
いろいろな思いが交錯します。
出征前夜の思い、というのは、想像し尽くせないものがあるでしょうね。伯父様のエピソードを考えると、この歌は激しい抱擁だったかも…と思い直しました。
私は「激しい抱擁」の方に一票です。
ただ、小野沢さんの解釈ともちょっと違います。むしろ、出征前夜は多くの人が集まり、遅い時間まで騒ぎ、このままでは、夫婦二人の時間などとても作れそうにない。
(蔵があるくらいなので、夫は、地方で酒作りや味噌作りでもやっている旧家の跡取りなどを想像ししまいます。以前、宮崎あおいが主演したNHKの朝ドラ「純情きらり」のような)
夜が更けても、母屋には、夫の両親が控えていて、「さがし物」とでもいって、妻を蔵に連れ出すしか、若い二人だけの空間と時間は確保できなかったのではないか。
そこには、やむにやまれぬ夫の側の「別れ」に対対する「切迫感」が表現されているように思います。
なんとか、妻を連れ出した夜の蔵で、おそらくはまだ若い出征兵士の夫が妻に対して求めたものは、やはり「つかの間の抱擁」では終わらず、「激しい抱擁」だったのではないでしょうか。男の立場でこの歌を読むと、そう考える方がしっくりきます。
「吾を抱きしむ」をどう解釈するかは、男女の違いもあるように思います。
私も、この歌の切迫感は最後の抱擁だったのではないかと思っていたので、いただいたコメントを読み、深くうなずく思いでした。出征前のお祝いがそんなに遅くまであるかどうか判断しきれなかったのですが、たぶん妻である作者は後片付けもしなければいけないし、「二人だけの空間と時間は確保できなかった」に違いありません。ありがとうございます!!
似た光景が、当時の日本の、いや、参戦した
各国のあちこちであったのではないでしょうか。
今年は、とりわけ暑く、朝から暑い日が続きます。高齢者に聞くと、終戦の日も暑かった、それも朝から晴れて暑かった、そのことはよく覚えている、という人が多いです。
本当に! 同じような経験をした方がどれほどあったことでしょう。歌を語り継ぐくらいしか私にはできませんが、皆さんと一首を深く読みこむことができて、そんな思いを新たにしました。
由利子さんの視点(男性が詠むと生々しい傾向がある?と思われている部分)はその通りだと思うし、出征する年頃の男性であると、その喚起力のある詩に託した表現になることは、大いに共感できますなぁ!?
まあ、いまどきの「草食系男子」には、このような状況が迫っていないし、昔に比べて男女同権社会(女性が社会の表舞台で仕事ができる社会?)が浸透しているので、がより浸透しているので、表立っては耳触りのよい語彙で歌を詠むでしょうね?
いずれにせよ、この歌は男性の戦への恐れ、そしてそれを妻との「ひと時に費やす」ということで、形をなす情況を描いているという意味で、「深い〜い」ですね!?