河野裕子さんが亡くなった。
胸のどこかにぽっかりと大きな穴が開いたような気持ちだ。いつかこういう日が来るとは覚悟していたが、信じたくなかった。
身をかがめもの言ふことももはや無し子はすんすんと水辺の真菰
私が歌を始めるきっかけとなったのは、河野さんのこの一首だった。子どもを産んで間もないころ、初めて買った短歌総合誌に載っていた。当時の私は、小さな赤ん坊を育てながら、なぜかその子が大きくなって離れてゆくことばかり思っていたから、自分の心情にぴったりだった。
この人の作品をもっと読みたい、と切望し、やっと手に入れたのは砂子屋書房の「現代短歌文庫」である。付箋だらけの色褪せた本を、何度読み返したことだろう。後ろの方のページに子どもの落書きが残っているから、いつもいつも手元に置いていたのだと思う。
たつぷりと真水を抱きてしづもれる昏き器を近江と言へり
君は今小さき水たまりをまたぎしかわが磨く匙のふと暗みたり
ブラウスの中まで明るき初夏の日にけぶれるごときわが乳房あり
出産や育児の歌にも惹かれたが、そこにとどまらない豊かな世界に魅了された。何というイメージの大きさ、妖しさ、美しさであろう。
しつかりと飯を食はせて陽にあてしふとんにくるみて寝かす仕合せ
良妻であること何で悪かろか日向の赤まま扱(しご)きて歩む
言葉のすみずみまで張りつめたような名歌の数々を生み出した河野さんの歌が、ある時からゆったりとした緩みを呈するようになった。第五歌集『紅』に収められた上の二首が、批判されたことも覚えている。
けれども、ほわりとした温かみや太々とした身体感覚を帯びた河野さんの歌は、初期の抒情を湛えつつ、より深く生命や人生を表現するものになっていったのだと思う。
夜はわたし鯉のやうだよ胴がぬーと温(ぬく)いよぬーと沼のやうだよ
病むまへの身体が欲しい 雨あがりの土の匂ひしてゐた女のからだ
さやうなら きれいな言葉だ雨の間のメヒシバの茎を風が梳きゆく
これからも私は繰り返し、河野さんの歌を読み続けることだろう。読むたびにほっとしたり、胸が締めつけられるような思いを味わったりしながら。
☆現代短歌文庫『河野裕子歌集』(1991年2月・砂子屋書房)
『紅』(1991年12月、ながらみ書房)
『体力』(1997年・本阿弥書店)
『母系』(2008年・青磁社)
『葦舟』(2009年・角川書店)
それにしても、ゆりこさん、出産してから歌をはじめたとは。もっと若い頃からたしなんでおられたのかと思っていました。かるたの名人だったようだし…。
歌人としてのゆりこさんも真菰のような成長をとげられたのですね。
百人一首以外の歌をほとんど知らなかった私にとっては、ゆりこさんが和歌の世界の原点です。
亡くなられた歌人も、ご自分がきっかけで歌を始めたゆりこさんが、すぐれた歌をたくさん作っていること、きっと喜んでおられることでしょう。
上記のコメントと同意見です。
松村さんは2〜3歳から短歌やっていると思ってましたよ〜
男性の場合(私だけかもしれないが)、歌は歌ったことはないが、せいぜい自分が作った格言らしきものを子供に発するだけで、歌という表現形態の深さを感じますね。
最近感じることだが、強いリーダーは短い文章で演説をし、民衆を引き付ける傾向があるようだ。もしかしたら、歌は静かな人を引き付ける魅力があるのであろうとかんじまっせ!?
とても大切な方が亡くなられたのですね。
ゆりさんも、とっても寂しい思いをなさっていることでしょう。
どうぞ、気持ちをしっかりと持って下さいね。
歌を詠む方は幸せですね。
自分の生きた証、その時々の想いを、
とても素晴らしい言葉で残されていますね。
そして、それを読ませていただくたびに、
その方のことをありありと思い出すことができる。
まさに、永遠の命を感じます。
由利子さんのご案内で、
私も河野裕子さんの歌に触れることができました。
ありがとうございました。
河野裕子さん
心よりご冥福をお祈りいたします。
二十歳の頃から歌を作っていましたが、それは思いついたときに…という程度だったのです。本格的に学びたいと思わされたきっかけが、河野さんの歌でした。
中村ケンジさん、
いやいや…もっと早く十代の頃に出会っておきたかったです。
Rommelさん、
そうですね、歌は形のない思いに形を与えるものかもしれません。口数の少ない人は短歌に向いているのかなあ。
KobaChanさん、
短歌は活字になって残るのがいいところですね。千年前、百年前の歌人の心も、その中に保存されていますもの。
「河野裕子・選」の投稿歌には「死」について真正面から詠んだ作品が多かったように思えます。
ご自身の「死」と向き合いながら、投稿歌の中の「死」をどう感じられたのでしょうか。
本当にぎりぎりまでお仕事をなさったそうです。胸が痛みますが、素晴らしい人生だったと改めて感服します。
師と仰いでいらした方を亡くすのは、また特別な悲しみなのでしょう。
私が一番たくさんそらんじているのは、河野裕子さんの作品ではないかと思います。