
われよりも背のたかき生徒にぶつかればむにゅとつぶやき顔あげず ゆく 玉井 清弘
ツイッター(twitter)は「つぶやき」と訳されているけれど、小鳥のさえずり、くすくす笑いなどの意味もある。私は、tweetと聞くとどうしても、ワーナー漫画の可愛いキャラクター、トウィーティー(Tweety)を思い出してしまう。
それはともかく、先週からツイッターを始めた。きっかけは仕事である。縁あって今月、早稲田大学のワークショップで科学ジャーナリズム概論の授業をすることになったのだが、30代の女性研究者と打ち合わせをしていて、彼女が「いやぁ、最近は私、ツイッターでしか情報を取ってないですね」と言うので驚いた。「そ、それはどういうこと???…」
講義の準備をしながらも、その言葉がずっと気になっていた。そして既成ジャーナリズムの弱点、ソーシャルメディアなど新しいメディアの可能性についてあれこれ考えているうちに、「やっぱりツイッターも知らないで、こういうことは話せないだろう!」と登録するに至ったのである。
初めは勝手がわからず戸惑ったが、だんだん面白くなった。英語の140文字よりも、日本語の140文字は圧倒的に情報量が多い!(表意文字の勝利だな) そして、日本のブログは匿名のものが多いのだが、ツイッターはほとんど相手の名前が分かるのがいい。内容はもちろん大事だが、誰の発言かということが大きな意味を持つ。
顔の見える関係だということはかなり重要で、eHow.com で見てみると、初心者向けに「プロフィールには、あなたが真面目なユーザーだとわかるように書くこと」「プロフィール欄にはあなた自身の写真を付けること。でなければ、少なくともあなたの好きなものの写真を」などとアドバイスしてある。
自分の興味のある人を検索して探すのもいいし、知人のフォローしているリストを見て、「おおっ、こんな人もツイッターをしているとは」と発見するのも楽しい。全く知らない人のプロフィールや発言を見て、その人をフォローすることも多い。
脳科学者の茂木健一郎さんのツイートは、本当に愉快だ。140字の制限を発展させた形の「連続ツイート」は、茂木さんの発案したものである。彼に倣って1つのテーマに関する「連ツイ」を利用する人も現れた。「判断」や「プラグマティズム」などに関する連続ツイートは、茂木さんのブログ「クオリア日記」(http://www.kenmogi.cocolog-nifty.com/)でも読めるので、ぜひどうぞ。社会を変えようとする熱意と好奇心にあふれた言葉は、人を動かすと思う。
それにしてもつくづく思うのは、「ああ、新聞はもう終わりかも……」ということだ。ブログもツイッターも、個人の責任で発言するものだ。新聞はどうしたって、安全なところに身を置いた発言にならざるを得ず、そらぞらしさが漂ってしまう。私もさんざん誰に向けて書いているのか分からない記事を書いてきたから恥ずかしいのだが、不特定多数に受け入れられるような主張というのはあり得ない。「客観報道」という名の下で、当たり障りのない両論併記ばかり書いても、誰も見向きもしないと思う。ツイッターのタイムラインを眺めていると、新しい情報発信、そして、情報の共有による連帯がすでに始まっていると感じる。
☆玉井清弘歌集『清漣』(1998年9月、砂子屋書房)
「つぶやきに負けてたまるか!」という元気はもうない。「いや、まだ大丈夫」と弱々しくつぶやくのみ。
新聞かぁ・・・そういえば周りの友人知人、誰も
新聞とってないな〜インターネットで情報収集できるからな〜
可愛いキャラだけど結構性格悪い(?)でしたね!?アメリカ・アニメ全盛期のきゃらですね。
私は幸いなことにメディア系の仕事でSummer Job程度の経験しかしていませんけど、本当に受信者にとっての情報はTwitterでもない、Blogでもない、…新聞でもない、生の声と参考情報の新聞&ラジオだと、この年になって思いますな〜ぁ!
非営利的見解だとこうなる気がするのだが、営利とのバランスを考えると、Twitterもいずれは、営利、喜劇、悲劇など、様々な道を辿い続けていくと思いますね?(なんか未来学者調になってしまいました(…))
新聞が大好きだった私としては複雑な気持ちですが、ツイッターの可能性の大きさを認めざるを得ません。
morijiriさん、
いえいえ、とんでもない!
冷奴さん、
「権威」はもう存在しないという時代なんだと思います。知も情報も共有したところから、真に豊かな産物が生まれるのだと期待しています。
中村ケンジさん、
面白いですよ!
Rommelさん、
メディアがこれからどうなってゆくか分かりませんが、複合的なものになるのでは、と思います。
電子媒体は結局ツールが必要ですから。伝単(宣伝ビラ)のようなプリミティブな手段は現代でも使われるでしょう。
台風が来てるようですね、そちらの様子はいかがでしょうか。
新聞も若干変わりましたから、対応できていない分野もあると思います。コース料理のような新聞よりも、アラカルトの好まれる時代ですし。
SEMIMARUさん、
紙の媒体はなくならないと思いますが、従来の新聞であり続けるのは無理ではないかと懸念します。
ところで私はいま東京におります。わが家が心配でなりません!!
わざわざ買ってきていただいた『31文字のなかの科学』は、じっくりと楽しみながら、少しずつ読み進めていきたいと思います。
今後、twitterでもフォローさせていただきたいので、よろしければアカウントを教えていただければ。ちなみに、私は @bifue です。よろしくお願いします。
仕事の必要上、何人かをフォローしていますが、本質的にツイッターが苦手です。
このメディアに嵌るかどうかは、フォローしきれないことを苦に病むかどうか、で決まるような気がします。その人の書いたものを読みたいと思うとき、少なくとも読み落としがないようにしたいと思うと、さて、ツイッターにどれだけの時間を投じ、どれだけのツイートを遡ればいいのか。ブログだけでも読んでいくのが大変なのに。
松村さんだけでなく、多くの人がせっせとツイート、リツイートをしているのを拝読すると、本業の時間は大丈夫かいな、と余計な心配もしてしまいます。
新聞についてのご指摘は良く考えてみますが、いわゆる速報メディアでの生き残りは難しいという気がしています。では、どこに生きる道があるのか。逃げ道のないインサイダーは途方に暮れています。
新聞は「速報メディア」でない方向を目指せば生き残れるのではないかと思います。何のかんの言っても、私の根っこは新聞記者なので、プロの価値判断、できる限りの客観的評価は大事だと信じています。ツイッターの極意は、あんまり真剣にならないこと……かな?
橋田さんへ連絡とってみますが、明日(
27日)の夜以降になると思います。今しばらくお待ちくださいませ。
びっくりいたしました(*^_^*)
この場をお借りして申し訳ありません。
拙いブログですが
アドレスを入力させていただきましたので
田中様にごらんいただくと嬉しいのですが。
ご丁寧にありがとうございます。田中たつ子さんがご覧くださることを願っております。
田中さん! メールアドレスを入れてくださればこちらからご連絡できるのですが……。