
ほの紅き兎の耳のびくびくと大きな声の男恐るな
岡南著『天才と発達障害』(講談社)を読み、ああ、自分が人の顔を覚えられないのは、視覚よりも聴覚が優位だからかもしれないと思った。本のサブタイトルは、「映像思考のガウディと相貌失認のルイス・キャロル」。先日のブログで、アスペルガー障害など発達障害の人と自分はそう変わらないと書いたが、この本は「だれにでも認知の偏りはある」というスタンスで書かれていて深く共感した。
人によって感覚器の感度は違うが、ふつうはそれをあまり意識せず社会生活、家庭生活を送っている。しかし、視覚優位の人と聴覚優位の人では、同じ状況に置かれても感じ方がだいぶ違うというのだ。テレビの音量が大きいと感じるか否か、部屋の明暗や色調に敏感かどうか……著者の岡さんは「認知の違う人が同じ空間にいる場合には、互いの認知の偏りや違いを、具体的に理解することが必要になります。夫婦はもちろん、親子、兄弟姉妹の中にあっても、認知の違いはかなりあるものです」と述べている。
で、どちらかというと私は音に敏感な方だと思う。絶対音感はないけれど、音程をはずしたコマーシャルソングなど聞くと気持ち悪くてならない。地下鉄のホームで、車輪と線路が擦れ合う音に思わず耳をふさぐことも多かった。また、テレビの音が大きいとそれだけで不愉快になってしまうし、駅頭で男性の怒号が聞こえると足がすくむ。この歌で「大きな声の男恐るな」と言っているのは、実際にはとても恐れているからなのだ。声の大きな人に悪気はないのだろうが、私は圧倒されてしまう。テレビの討論番組や国会中継を見ていても、声を荒らげる人は発言内容とは関係なく嫌いになる。
その半面、他人がすごく気になるのに、私は平気ということも多々あるに違いない。この本では、視覚優位の人は映像で思考するため情報の同時処理が得意で、他人の理解が自分よりも遅いことに苛立つ傾向があると指摘されている。こういう人は空間認知についても得意だから、自分を含めた前後左右の空間を瞬時にとらえるのも簡単だ。
ということは、視覚情報の処理が不得意な私が、運転中に相棒から「寄りすぎ、寄りすぎ!」と怒られたり、「さっきの標識、見てなかったの?!」と驚かれたりするのも当然なのである。相棒にいらいらさせられる一方で、私も向こうをかなり不愉快にさせているのだろう。気をつけなくちゃ! 普通の人同士のコミュニケーションも、互いの思いやりや我慢や忍耐で成り立っていることを思うと感慨深い。
認知の仕方が違えば、学習や記憶の方法も異なるということも考えさせられた。学級崩壊のような事象は、小さい頃から膨大な視覚情報にさらされ、耳を澄ませて聴く訓練をあまりしていない子どもたちが増えたことによるのではないだろうか。子どもによって効果的な学習方法が異なるということを、もっとうまくクラス分けなどに応用できればいいのにな、と思う。
皆さんは視覚、聴覚どちらが得意ですか? あるいは嗅覚??
☆松村由利子歌集『薄荷色の朝に』(1998年12月、短歌研究社)
なるほど!納得です。
私の極度の方向音痴は視覚情報の処理が苦手なことに原因があるのかも!
反対に、我が家のくまごろうさんはきっと、視覚情報の処理が得意なのですね!
実に深い。妙に納得した私でした。。
久しぶり!
視覚と聴覚、もちろんどちらも備わっていて、そこそこ働かせているはずなんですが、得意不得意があるのは面白いと思いました。
視覚優位な人も、色か形か、全体か部分か、と分かれるそうですよ〜。
今の子ども達は、一日中、溢れる音や映像に晒され過ぎて、却って五感の働きが鈍ってしまっているかも知れませんね。大人も同じだと思いますけど。
あっ、体調によっても違うというのは鋭いです!
情報過多というのは、人間を鈍くするのではないかと思います。モノも情報も少ない方がしあわせな気がします……。
遠くへ行ってしまったけれど…。
ゆりこさんは調べ物をするのも仕事のうちだから無理でしょうね。(笑)
えっ、あの方の声は全然大きいと感じませんでしたよ!
やわらかい声だったからでしょうか……。
コビアンさん、
言われてみて気づいたのですが、私は活字を見るのは大好き。動くものを見るのが苦手なのかもしれません!CDとDVD、もらって嬉しいのはCDの方。いろいろ面白いですね。
視覚・聴覚、いろんな事からインスピレーションを得て作歌しています。
モノや情報が溢れすぎていることが、人をスポイルしていくのだと思います。
とは言え、それにどっぷり浸かってしまって、逃れられなくなっている自分が情けないですが、、、。
僕の理想は良寛さんですね。 自分が寝られるスペースだけの何もない庵に住み、近所の子供達に愛され、実は書道も短歌も達人。
カッコよすぎですね。
視覚と聴覚、私はどちらも苦手なような気がします。
「耳を澄ます」というのは、いいですね^^
時々は意識的に耳を澄ましてみたいと思います。
歌を作るとき、自分がいかに普段、注意散漫に生きているか痛感します。視覚も聴覚も使ってないだろ、自分!って感じです。
けんじくんさん、
おお、良寛さんが理想…いいなあ、女で良寛さんみたいな人ってちょっと思いつきません。ロールモデルないかしら。
KobaChanさん、
いやいや、ギターを弾いて歌う方が何をおっしゃいますか!「耳を澄ます」こと、私も心がけたいと思います。
耳がヤバイです。
耳を澄まして、聴き取りたいこと
たくさんあるのにね、自然界には…
年を重ねるということは
そういうことね。
目はOKOKです。
周りはみな老眼で悩んでおりまする〜。
そういう年なのね…
えっ、耳が?!私は相棒のつけてるテレビの音がうるさくて、耳栓してパソコンしてますよ〜〜(涙)。気がつくと耳栓が3つもある!
老眼は私もまだなのですが、もうすぐ来ることでしょう。「そういう年」の未知との遭遇を楽しみましょう!
書斎じゃないんですか、旦那様のそばでほほえましいですね♪
ちなみに私は臭覚がいつまでも衰えず困ってしまいます。歳を重ねるといろんなはたらきが弱くなるはずなのに...
書斎をつくって、そこで仕事をしているのですが、何せ開放的な家なのでテレビの音が聞こえてしまうのです(相棒はテレビっ子だった世代みたいで…)。匂いというのも、なかなか奥が深いものですよね!
家人から「神経質」といわれることもあります。それがいいことなのかどうかはわかりませんが・・・
気になるのは、今の子供たちです、小さいときからテレビゲームなどで人工的な映像や音にさらされ、視覚・聴覚はどうなるか、また香りグッズなどで自然な嗅覚も衰えてしまうような気がします。
テレビやゲームは目を使っているようで、ひどく偏った見方しかしていないと思います。耳というか聴こうとする心も鈍くなりそう。小さい人たちには、言葉は生きた人から発せられるものだということを、まず伝えたいです。
MRIの金属音を聞きながら眠れる→聴覚も鈍感。
そんな私ですが、嗅覚だけは得意分野のような気がします。
本当に匂いがあるものも、ないものも、
なんとなく「におう」と感じることが多々あります。
わぁ、久しぶり!お元気ですか。
事件への嗅覚が鋭い方であることは重々知っておりますよ。私はそっちはダメでしたが、実際の匂いについては、人の気づかないものも嗅げます!