
<生まれたらそこがふるさと>うつくしき語彙にくるしみ閉じゆく絵本
李 正子
ショパンは昔から好きな作曲家だが、崔善愛(チェ・ソンエ)著『ショパン――花束の中に隠された大砲』(岩波ジュニア新書)を読み、いっそう心ひかれるようになった。
この本の著者は、在日韓国人として日本に生まれ育ったピアニストである。「はじめに」には、ショパンが祖国ポーランドを離れる直前に友人へ送った手紙が紹介されている。「二度と祖国に帰れないかもしれない」という悲痛な思いが綴られた文面を読んだとき、著者は非常にショックを受けたという。なぜなら、かつて彼女は、外国人登録に必要とされていた指紋押捺を拒んでいたため、「もう日本に戻れないかもしれない」という不安を抱え、北九州市から留学先のアメリカへ旅立った経験をしていたからだ。
「指紋押捺拒否? 北九州?」……私は記憶を探った。最初に入った新聞社で校閲記者をしていたころ、ちょうど在日韓国人の指紋押捺拒否や氏名の読み方を巡る裁判があり、その中心的な人物がこの本の著者の父、崔昌華さんだった。留学中だった善愛さんも、指紋押捺を拒否し、1985年に出た判決で罰金1万円の有罪となった。再入国許可を申請しても受け入れられない状況となってしまったのだ。それは、侵略され続けていたポーランドを離れようとするショパンが味わったのと同じ悲嘆だったという。
この歌の作者、李正子(イ・チョンジャ)さんも在日韓国人だ。「半島を越えきしものの息づきか烙印かゆびしめらせて指紋を押しぬ」という指紋押捺の歌も作っている。「生まれたらそこがふるさと」だと単純に考えられない状況、自分の生まれ故郷と祖先の生きた地が異なることへの複雑な痛みが込められている。
私は押捺拒否の運動や裁判を直接取材することはなかったが、サツ回りのころ、放火現場に近づきすぎて所轄署で指紋をとられたことがある。「念のため」ということだったし、周りで捜査員たちも笑いながら見ていたのだが、あんなにも嫌なものだとは実際に経験するまで分からなかった。
「革命」のエチュードやロ短調のスケルツォは、ワルシャワ蜂起が失敗に終わったころに作曲されたものである。そこには、“con fuoco”(烈火のごとく)という発想記号が書かれており、ショパンの絶望や怒りを読みとることができる。「ピアノの詩人」と称されるが、彼の音楽は決して抒情的なばかりではなく激しい情熱と苦悩がこめられているのだ。評論家の才もあった同時代のシューマンは、それを「花束の中に隠された大砲」と表現した。
崔善愛さんの「ショパンの悲しみが自分の悲しみとして響いてきました」という言葉は重い。指紋押捺は撤廃されたが、歴史を乗り越えた解決はまだ実現していないと思う。
☆李正子歌集『ナグネタリョン――永遠の旅人』(1991年5月、河出書房新社)
まつむらさん
私は初任地大阪で東大阪市を担当していたので、新人記者として、指紋押なつ拒否運動の真っただ中に飛び込んでいました。ほぼ毎週のように市役所の窓口で、報道のカメラの前で、15歳の勇気を振り絞って拒否の意思を表明するのを見聞きしていました。報じていくうちにだんだんと記事の掲載も少なくなっていき、子どもたちの、そして父母の思いが伝えられないことをもどかしく思いながら働いていたのを思い出します。
崔昌華さんも何度か大阪にお越しになりましたので、よく覚えています。善愛さん、善恵さんのお嬢さんお二人じゃなかったでしょうか。
崔さんの2人のお嬢さんのこと、よく覚えていらっしゃいましたね!
私は指紋押捺拒否運動が最も盛んだったころ、某社の西部本社にいました。社会部デスクが「崔(チォエ)」というルビに、「読めねえよ、こんな表記!」と乱暴な口調で文句をつけたことがあり、新聞社の本音と建前を見せつけられた思いをしました。
ショパンというとジョルジュ・サンドとのマジョルカ島、愛の逃避行をよく思い出しますが、祖国ポーランドもフランスも、激しく揺れた時代だったのですね。
日本人の同化発想に囚われた古い世代の感慨だと感じます。「うつくしき」「くるしみ」にそれを感じますし、崔さんの再入国許可がらみのお話も、祖国を日本と考えておられる発想かと。いかがでしょうか、ショパンと同列に語るにはねじれがあるように思いますが。なお、在日はそれ自体が苦しみではありません、存在の一パタンにすぎません。苦しみを与えているのは制度や人の偏見といった外部要因と、本人の感情では?制度に偏見がかぶさる場合は制度の撤廃は妥当でしょうが
明るく全員で指紋をとろう、という発想もありだと思います。たとえばですが。
ちょっと盛りだくさんだったかもしれません。子の本、ポーランドの歴史を知るにはとてもよいですよ。
SEMIMARUさん、
これを読んで、ヨーロッパの混乱期がだいぶ頭の中で整理されました。ナポレオンの果たした役割とか。
とるんさん、
はじめまして。コメント大変うれしく、また有り難く拝見しました。
まず、私の文章が至らなかったために、崔善愛さんの思いを十分にお伝えできなかったことをお詫びします。
著者はショパンの置かれた時代状況を知ることで、よりその音楽性が自分に迫ってきたという経験をし、私はそのことに感激しました。今回のブログで一番書きたかったのは、このエピソードでした。
崔さんはショパンの思いに近づくことによって初めて、祖国に帰れなかった父の苦しみを実感したと書いています。そして侵略された人々の痛みをどこまで自分のこととして理解しているかと問い続けていると述べています。ショパンとご自分を単純に同じ状況だと考えたわけではなく、生涯を通して「民族の音楽」を核としたショパンに深く心打たれ、その音楽に揺さぶられ続けていることが本を読むとわかりますが、ここでは書ききれなかったことをお詫びします。
とるんさんが、私の引用した歌について「古い世代の感慨」と指摘なさったのは、とても鋭いと思いました。作者の李さんは1947年生まれで、1959年生まれの崔さんとも少し世代的に隔たっています。しかし、何の疑いもなく「生まれたらそこがふるさと」と思っている人が多いことを思えば、この歌はまだ古びていないと考え、引用した次第です。
別の方のコメントにも書きましたが、今回はいろいろな要素を詰め込みすぎました。本の感想だけでなく自分自身の貧しい経験を少し入れた方がよいと考えたからですが、指紋押捺のことを入れたのは欲張りすぎで、消化不良な文章になってしまったと思います。李さんは押捺拒否運動に加わらなかったことをご自分のエッセイに書いていらっしゃいます。そのことも考えると、反省すべき点がたくさんありました。
とるんさんにコメントをいただいて、本当によかったです。「苦しみ」の原因である外部要因を取り除きたいと願って新聞記者になったことを思い出しました。
私が特に好きなのはスケルツォですが、ポロネーズ、マズルカはポーランドへの思いが濃いと思います。
人それぞれにいろいろな思いがある。
その人にしかわからない怒りや悲しみ。
「花束の中に隠された大砲」というフレーズにひかれました。
ご案内の歌にも通じる言葉だと感じました。
また、そう感じる中で、いろいろな思いがあったとしても、できるだけ美しい生き方を求めてみたいものだと思いました。
いや、私などが抱えるものは、小さなものですが・・・
ショパンの曲、聴いてみようかな^^
美しいショパンの旋律や和音に隠された思い、それを知ることで音楽も深く味わえるのだと思いました。
そして、音楽で自分を表現できる、って本当に素晴らしいことだという感慨も抱きました。下手でも楽器を続けたいです。