2011年01月28日

土屋千鶴子さんの歌集

『オフィスの石』

0128『オフィスの石』.jpg

 
 働く女は、強くてやさしい。その一所懸命さがいとおしくて、抱きしめたくなってしまう。

  働けど働けどなほノルマ増えオフィスの夜をしのび泣く石
  新人に情報公開説くまひる〈透明で公正な県政〉の夢
  「あいさつは明るく」といふ通達のギャグかと思ふ夜中のオフィス


 この歌集の作者は、県庁に勤めている。ふつうの企業以上に、前例や慣行の束縛が強く、仕事量も多いだろう。1首目は自らを「しのび泣く石」に喩えたところが泣かせる。2首目の「夢」、3首目の「ギャグ」には、作者自身の味わっている苦さがあふれている。

  真夜中もやつてるけれどコンビニぢやないのよここは救急病院
  生後二十日のわが児がベビーベッドから落ちたと泣きぬ落としたでなく
 

 行政の仕事はいろいろな現場に足を運ぶ。少し新聞記者の仕事とも似たところもあるかもしれないが、もっと当事者に近い。感情的になりそうな部分を敢えて抑え、やんわりと皮肉を利かせているバランス感覚がいい。この情理のほどよさこそ、作者の特性ではないかと思う。

  研修に改めて読む日本国憲法はほう旧仮名遣ひ
  芯深く疲れた夜は珈琲も笑顔も薄いお店にゆかう
  繊細な線で囲まれカンヴァスに裸婦は牛乳よりも冷えゐる

 
 情理のバランスが、1首目のようなユーモアというか余裕を生んでいる。2首目の「疲れ」には共感する人も多いだろう。3首目は見られ描かれる対象である「裸婦」へのまなざしが鋭い。女性性への批評と読んでもよい。
 これほど知的で冷静な作者が、恋を詠うとき、それはそれは伸びやかで瑞々しい心がほとばしる。

  お互ひの名刺の意味は消失すはだかのふたりに滝のよろこび
  毛糸玉ころがるやうなやさしさに名前呼ばれし雪ふる朝(あした)
  わたくしが誰かの妖精だつた頃木の実を降らす風と暮らした


 もう一度恋をしたくなるような、激しくも美しく、かなしい営みが胸を打つ。きりきりと働く日々だからこそ、こんな恋ができるのかもしれない。
 最近、女性の職場詠が増えていて、とても嬉しい。いろいろな現場の歌が私は好きだ。働くという当たり前の、けれども常に真剣勝負で待ったなしの現場。人生そのものの熱さが、そこにはある。

☆土屋千鶴子歌集『オフィスの石』(短歌研究社、2011年1月)
posted by まつむらゆりこ at 07:59| Comment(6) | TrackBack(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
この記事へのコメント
 私は松村さんの新聞社のデスク時代に詠ったのが好きで、土屋さんのおうたもその風がありますね。「はだかのふたりに滝のよろこび」というのはどう解釈すればよろしいのでしょうか。
Posted by 冷奴 at 2011年01月28日 11:24
冷奴さん、
あー、この歌は相聞歌、ということで、もうよいかと。それ以上の説明を求めるのは、野暮というもの……。
ではありますが、少し書いてみますと、性愛の場面の歓喜という理解でよいと思います。「滝のよろこび」はその激しさと私は取りましたが、相棒は「シャワーを一緒に浴びているイメージ?」と申しております。どちらにしても、自らの歓びに酔いしれている感じが魅力的な歌です。
Posted by まつむらゆりこ at 2011年01月28日 12:36
この世の中、パソコンやコピー機、携帯電話のお陰で、機械が仕事仕事をしてくれるので、本来人間が楽になるのかとおもいきや、ますます忙しくなるって不思議ですね。
Posted by コビアン at 2011年01月28日 14:23
コビアンさん、
本当にそうですね。ペーパーレスになると言われていたのに、以前よりも紙の消費は増えているし。人間らしい働き方を一人ひとりが考えないといけないと思います。
Posted by まつむらゆりこ at 2011年01月28日 17:39
職場詠…知らない世界を知る事が出来るので読んでて楽しいですね〜
Posted by 中村ケンジ at 2011年01月28日 18:46
中村ケンジさん、
「知らない世界」というのは本当にそうですね。科捜研で働く女性など珍しい職業の人がドラマのヒロインになるのは、そのあたりの面白さなのかしらん。
Posted by まつむらゆりこ at 2011年01月28日 21:13
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