
春の海あたたかげにも膨らみて寄るしら波は笑ふがごとき
窪田 空穂
南島には夏と冬しかない、という人もいるが、空の色や光線の具合に春や秋を感じることはある。そして、それぞれの時期にしか採れない自然の恵みは、何よりも季節を感じさせてくれる。石垣島の春の場合は、アーサ(アオサ)である。
先日、島の知人から「アーサ採りに行かない?」と誘われ、締め切りを山ほど抱えているにもかかわらず、近くの湾まで一緒に出かけた。なにしろ、旅行者として島を訪れていたころから、ずっと気になっていたのが、潮の引いた湾で何かを拾っている人たちの姿だったのだ。相棒と「なに拾ってるんだろう」「私たちも引っ越してきたら拾いに行こうね!」と話していたので、このチャンスを逃すのは惜しかった。
長靴を履いて、つばの広い帽子をかぶり、ざるを持ったら出発だ。干潮時の湾は、ずいぶん遠くまで歩いてゆける。きれいなアーサの緑は、春そのものといった感じがする。岩に付いている生乾きのものは、ぺりぺりと剝がすことができるのが面白い。窪みにたまった海水の中にゆらゆらしているものの方が、採るのが簡単で砂などが付きにくい。アーサを採りながら、暖かくてやさしい風に吹かれていると、本当にゆったりした心もちになった(締め切りのことは少なからず気がかりだけど……)。
この歌を読み、「春の海」というものをこれまで知らなかったと思う。「膨らみて寄るしら波」が実感できるほど、海を眺めることはなかった。そもそも、海そのものを知らなかった。ここに暮らすようになり、湾のそばを何度も通っているうちに自然に干潮、満潮の時刻が分かってきた。海の色も日々違っていて、いつも新しい。
アーサは春先にしか採れない。海からの贈りものだなぁ、としみじみ思う。この贈りものがずっとずっと届くように、海を守らないといけないという気にもさせられた。
採ってきたアーサは、乾燥させて砂粒や貝殻のかけらを除き、小分けにして冷凍した。残りは冷蔵して、おつゆやてんぷらに。最高の春の味わいである。
☆窪田空穂歌集『木草と共に』(1964年10月、春秋社)
アーサを採りに行く湾は、朝は満潮なのでお昼過ぎでないと(笑)。
冷凍しておきますので、いつでも遊びにいらしてください。
・・・まだ2月ですよぉ。。。
生きることの素晴らしさを、
上記の歌からしみじみ感じますね。
いい歌だなあ...。
子どもの頃、海に取りに行ったものです。
おつゆも天ぷらも最高のごちそうです。
もしかしたらもずくもとれるかもしれないですよ。
春ですね!(きっぱり)陽射しが変わってきました。この時期、夏より好きだなぁ。
tokoro-11さん、
しらべがゆったりしていて、本当にいいですね。頭で作った歌はダメだよ、って言われているような気持ちになります。
中村ケンジさん、
おお、やはり子ども時代に採りに行きましたか。もずくも少し見つけて、その場で食べちゃいました。
私は菜の花畑へ出かけて、ビール煮にして春を感じたいなぁって想いつつ、日々の業にいそしんでいますよw
四国八十八箇所巡りで、店先に天草が干してあったので、一袋買い近くの岩場で同じものを見つけて、家でところてんを作っては食べました。(これは美味しかったです)
石垣島でも、洗ったり異物を取り除いたりする面倒を嫌い、アーサを採る人は減っているそうです。春を感じることができて楽しいのにな、と思います。
コビアンさん、
楽しい中で、「ああ、海を汚しちゃいけないな」という思いがぐんと強まりました。分厚い海苔を作るのも楽しそうです!