
いちまいの魚を透かして見る海は青いだけなる春のまさかり
前川佐美雄
石垣島は穏やかな春である。アーサが終わって、いまはモズクが採れる時期となった。
先日の4月5日は旧暦の3月3日、つまりひな祭りだが、この日、沖縄各地では「浜下り」という行事が行われる。女性が菱形のよもぎ餅を持って浜に行き、海水につかって身を清めて健康と幸せを祈願する、という習わしである。浜下りは「ハマウリ」と発音するが、八重山では「サニズ」と呼ぶらしい。
私と相棒も、スーパーでよもぎ餅とおにぎりを買って浜辺へ。すでに石垣島では3月21日に海開きが行われ、足を濡らす海水は心地よい冷たさである。ちょうど大潮の時期なので、沖の方までずっと歩いてゆける。こちらに来ると、海は生活の場なんだなぁ、とひしひしと感じる。
新聞社にいたころ、地方版にある「満潮 干潮」の欄を見て、「誰がこんなものを参考にするのだろう」などと思っていた自分が恥ずかしい。近所の人と話していると、「今日モズク採りに行こうと思うんだけど」「あ、干潮、何時だっけ」「今日は2時半すぎだから、一番いいのは…」という具合に会話が展開する。
「厄落とし」や「健康と幸せの祈願」よりも狙いはモズク、という私たちは、目を凝らして浜辺を歩いた。モズクはほよほよと波にそよぎ、触るとぬるぬるしている。これまでにお店で食べたものよりも太くてやわらかい印象だ。群生しているのを見つけると、ガッツポーズしたくなる。先がブルーの美しいサンゴや小さな魚を見るのも楽しい。
「春のまさかり」という歌を思わせる、美しい海を堪能した1日だった。
☆前川佐美雄歌集『白鳳』(ぐろりあ・そさえて、1941年)
先週のブログにはまだ書き込む気持ちになりませんでしたが、前川佐美雄の歌なので反応してしまいました。
やはり、あまりに有名ですが自分が好きな歌は
春がすみいよよ濃くなる真昼間のなにも見えねば大和を思へ
今の自分の気持ちを表してくれていると思えます。
自分は今度の震災で数年間に味わうであろう時間をほんの数日で味わった感じがします。
スーパーの棚から品物がなくなる事への恐怖にも似た感覚、何時間も並んで給水を受けての水へのありがたみ、電気、ガスが繋がる幸せです。
日本に物が溢れていると思う事はちょっとした錯覚なのかも知れません。
これ以上被害が広がらぬように願うばかりです。
松村さんなら本当は絶対ガッツポーズしてると思う。
私はモズクも好きなの買って食べるのですが、でも、自分で海で採ったものを食べるのには何となく抵抗があります。汐干狩も抵抗があるんです。
何でだろう?川のものや山のものは平気なのに。
やっぱり会津の山猿だからか?
PS:海を汚す東京電力不買中!
ご無事で何よりです。こちらから地震お見舞いのメールをすべきでした!!
佐美雄の名歌の「なにも見えねば」には、本当にいろいろなことを思わされますね。
冷奴さん、
年齢を重ねると、さまざまな経験を積んで共感能力が高くなりますから、ありがたいことなのですね! それにしてもA紙…(ホントに?)。
重方さん、
あ、ばれてました? ガッツポーズしてました。
石垣島の海は本当にきれいだから、採ってそのまま口に入れちゃえますよ。遊びにいらしてください。あー、しかし海を汚しちゃいけませんよねえ。
ちなみに私のもずくの一首で入選作
「逆立ちの海雲のような気分です過去語るには酸味がキツく」は唯一のモズク詠です。
モズクの歌、ありがとうございます。
私はまだモズクの歌をつくっていないので、プレッシャーです!今回の浜下りを題材に頑張らねば。
えっ、「移住してからのほうが季節感たっぷり−−」というご指摘、すごくびっくりしました。そうかぁ、以前は街の生活で季節を感じる余裕もなかったのだと思います。
コメントありがとうございました!「まつばらゆりこ」さんかなぁ、「まきむらゆりこ」さんかなぁ、なんて楽しく想像しています。また遊びにいらしてくださいね。