
猫の凝視に中心なし まひる薄濁の猫の目なれば
葛原 妙子
昨日、ある人をインタビューした際、話の中に度々「定型」という言葉が出てくるので、どきどきしてしまった。彼は、文学とは全く関係ない分野でのクリエイターなのだが、幼いころから「定型」ということに対して、たいへん敏感に反発し、忌避しようとしてきたというのである。全く新しいジャンルを開拓した人の幼年期の原体験は、実に興味深かった。そして、短歌という「定型」を自分が選んだことについて、改めて考えた。
私は、ある時期まで詩を書いていた。なぜ短歌へ惹かれたか、というと、詩という「不定形」が怖くなったのだ。自分できちんと形を決め、終わり方を決める詩を書くことは、かなりのエネルギー量を必要とする。あるとき私は、自分の中から呪詛のように、再現なく言葉がずるずると引きずりだされるのが恐ろしくなってしまった。自分にはそれを統御する力がない――。そういう消極的な理由で短歌を選んだことは、今も私のどこかに棘のように刺さっている。
数日間世話になっている相棒の実家で、猫たちを見ながら葛原の歌集を読んでいて、この一首に立ち止まった。「猫の凝視」は葛原その人の凝視のようでぞくぞくさせられるが、何よりもその字足らずの破調に魅せられる。定型を知り尽くし、そこから飛び出すエネルギーを感じる。実作者であれば、字余りは試せても、字足らずは容易なことでは真似できないことが分かるだろう。どうしたら、こんなふうに詠めるのだろう。
まだまだ「定型」を究めていない自分を省みるばかりだ。
☆葛原妙子歌集『葡萄木立』(白玉書房、1963年)
ほんとうの不定型は定型をきわめた先にあるのですね。考えさせられました。
たぶんその先にあるものは定型でも不定型でも非定型でもない、それなのに定型の完璧さをすべて兼ね備えた何かなのでしょう。
そんな境地に私も立ってみたいものです。
以前、俳句の先生をしている知人がいて、その方に指導料金も払わずに子育て俳句を作っては見てもらっていたんですが、中学時代の先生にその俳句を見せると、「あなたの俳句は短歌的だから、あなたは短歌を作ると良い」と言われて・・。
でも、短歌ってどういう時に作るんだろう?短歌と俳句では何が違うのだろう?と、ずっと考えていて・・。季語という縛りが無くなるだけで、私には短歌がつかみどころが無く、とても難しく思われたのです。
ところが、一昨年友人が亡くなって、せめて今日だけでも友のことを考えていたいと思っていると、いつの間にか短歌を作ろうとしていました。その時は、俳句を作ろうと思ってもとても作れそうになかった。
鑑賞する場合でも、定型におさまっていないものだと、読むのを投げ出したくなって、短歌って難しいと思っていました。
でも、葛原妙子全歌集を購入して、「葛原妙子、その酩酊の韻律」という松平盟子さんの文章を読んで、足りない文字の、その空白に広がる余韻の美しさを知って、目が開かれる気がしました。
私が最初に出会って心を捉えられたのが、『葡萄木立』の中の、
明るき晝のじじまにたれもゐず ふとしも玻璃の壺流涕す
なのですが、
初句の一字足りない空間の中で、明るさが、どこまでも、どこまでも広がっていくように思え、その後の「たれもゐず」が際立ってくるような気がします。
私は時々この短歌を口ずさんでみるのですが、初句が一字足りないために、私はこんなにもこの歌が好きなのかも知れないと思ったりします。
以前、京都新聞の俳句欄に私の作品が入選しました。
「定型を破ってみたい雪の朝」
…失礼しました。
女装している村松さんを初めて見たという声多かったですね。
台風の影響なく無事お戻りになられますように。
「定型」を本当の意味でマスターして壊せればいいのだろうな、と思います。本当の天才は「定型」の拘束を必要としないのでしょうけれど。
よいかおりさん、
葛原妙子の作品との出会いのことを書いてくださり、ありがとうございます。字足らずが欠落に感じられない表現を私も目指したいです。
kenkenさん、
「守る」は次のステップのために必要なことなのでしょうね。
重方さん、
きみ、きみ、「女装」は許しても「村松」は許さないよ!(笑)明日の飛行機、まだ予測がつきません。那覇で足止めを食らいそうです。
あ、なるほどね。よかよか、許しちゃあよ(いま福岡にいます!)。
「ツイッターが一回140字だというのがよかった。大震災に持続的に立ち向かうのには、「定型」が必要だったのです。そうでないと、相手が強すぎて、向かいあえない」
詩人の彼が、ツイッターを「定型」と呼んでいることがおもしろかったです。もしかしたら、新しい時代の、「新しい定型」の誕生かもしれませんね。
お返事がこんなに遅くなって失礼しました。
和合亮一さんがツイッターの140文字を「定型」と呼んだこと、ちっとも知りませんでした。すごく面白いですね!いろいろ考えさせられます。
教えてくださって、本当にありがとうございました。