納豆は「なんのう」海苔は「のい」となり言葉の新芽すんすん伸びる
俵 万智
言葉を覚え始めた子供は面白い。人間の言語獲得のプロセスをこうまでつぶさに観察できる機会はめったにあるものではない。子育てにそれほどかかわらない父親たちは、ものすごく損をしていると思う。
だいたい2歳くらいで単語を話し始める子が多いが、中にはもっと遅い子もいる。うまく発音できない言葉もあれば、単語の中で子音や母音が入れ替わることもあり、非常に興味深い。
「ばんそうこう」を「ばんこーそー」、「プレゼント」を「プゼレント」などと言い間違えるのは、一音がそのまま入れ替わっているので分かりやすいが、2歳ごろの息子が「くむら」と言ったときは初め何のことか分からなかった。「くるま(KU・RU・MA)」の「R」と「M」が入れ替わっていると判明したときは妙に感心した。
当時の息子の言葉を記録したノートには、「ぽっくとーん(ポップコーン)」「じゅんびたんじょう(準備完了)」「でれにーらんど(ディズニーランド)」などが書かれており、いま見てもふき出してしまう。あるとき、私が「リップクリーム」と言うのを真似ようとしてどうしても言えず、何度か試みた後、いきなり「行ってきまーす!」と叫んだことがあって驚いた。促音や伸ばす音の位置が全く同じ語を、よく思いついたものだ。
子育て中は忙しくて日記をつけたりするのは大変だが、「あれっ」と思った言葉だけでも書きとめておくと後で楽しい。言い間違いも愛らしいし、大人には考えつかないような詩的な言葉を言うこともある。記録しておかなければ、子供はすぐに「なっとう」「のり」と言えるようになり、親もそれ以前の発音のことなど忘れてしまうかもしれない。でも、「なんのう」「のい」というメモがあれば、どれほど年月が経とうと親は必ず、納豆とごはん粒だらけになってにこにこしていたときの子供の顔を思い出す。
☆俵万智歌集『プーさんの鼻』(文藝春秋、2005年11月出版)